ハノイの日本人

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西本幸雄、元近鉄監督 死去。

小学生のとき、母に買ってもらった帽子が西本さんが監督だったときの近鉄のものでした。父がその帽子を見て、これは万博の太陽の塔をつくった人がデザインしたマークだと教えてくれました。岡本太郎さんです。私はその牛をデフォルメしたマークが気に入り、ノートにいくつもそのマークを書いて練習しました。それから近鉄ファンになり、江夏の21球で知られる広島との日本シリーズもテレビで応援しました。



久しぶりに観ましたけど、、、これは勝てたなw 今観ても悔しい試合です。2番目にピンチランナーで出て来たのは 吹石一恵 のお父さんw 鈴木啓示が大エースで、梨田がキャッチャーで、大砲マニエルがいて、それ以降も、次々と個性的な選手が現れ、本当に楽しいチームでした。そういうチームカラーを西本さんがつくられたんだと思います。中高まで近鉄ファンでしたが、大学では巨人戦しか中継のない高知に行ったので、野球からは離れてサッカーファンになりました。最後に観たのはホリエモン近鉄買収を発表したあと。大阪ドームに観に行きましたよ。


梨田昌孝氏「一番、尊敬できる方だった」
http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20111126-868822.html
『阪急、近鉄を強豪チームに育て上げた西本幸雄氏が25日、心不全のため、兵庫・宝塚市内の自宅で死去した。91歳だった。(中略)梨田氏にとって、ただの恩師ではなかった。中学3年生の時に、実父・豊氏が死去。西本氏が近鉄の監督に就任した時は、入団3年目、20歳だった。「2人目の父親」。キャンプではグラウンドの猛練習だけではなく、夜間の宿舎では畳がすり切れるくらいバットスイングを課された。ビンタも浴びた。回し蹴りも食らった。それでも、西本氏の情熱にひかれる一方だった。西京極でのゲームだったか。キャッチャーフライを追いベンチに突進したら、西本監督はバットケースの前で身をていして守ってくれた。「何と選手のことを思ってくれる人か、と。今も忘れられない」』


広岡達朗氏「“次の近鉄の監督はおまえだ”と誘われたことを思い出す」
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/26/kiji/K20111126002112220.html
広岡達朗氏 私もいろんな指導者に仕え、また見てきましたが、西本さんがNo・1の指導者です。選手は育つと信じ切って戦い続けた方で、今の指導者が見習わなければならない姿勢です。西本さんが近鉄監督時代に会うたびに“次の近鉄の監督はおまえだ”と誘われたことを思い出します。』