ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

私の音楽履歴書 80年代。

前回は70年代に私が聴いてた音楽について書きました。でも、まだ小学生ですから、完全にテレビからの情報に頼っていました。しかし、80年代には状況が劇変します。まず、中学3年生のときに、周りの友人たちが急に洋楽の話を始めました。1985年にテレ朝系で『MTV』が始まったのがその理由でした。



でも、その前から CM で外タレが人気になることもあったかな。当時はアメリカでヒットしてから半年、いや1年とか経ってから日本で人気になることも多かったです。まだ情報が伝わるのに時間がかかった時代です。このあたりのグループはいま聴いても特別な感情がわいてきますね。MTV の登場と同時に体験した音楽だからかもしれません。




◉私の音楽履歴書 70年代。
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20140412/1397307149


1980年には最初のレンタル・レコード店三鷹市にオープンしています。『黎紅堂』です。レコード1枚につき300円ほどでアルバムが1日レンタルできる画期的なこの業態は、1983年には1700店舗にも増殖しています。



私がレンタル店を最初に利用したのは高校生の頃でした。駅前にできた『黎紅堂』で REM『ライフズ・リッチ・ページェント』を100円で借りました。オープン記念で安かったのかな? 弟が会員になってて、最初はカードを借りていた気がします。なんで REM だったのかな? 100円レンタルでほとんど商品がなかったからかも。当時、このアルバムを気に入った記憶はありません。でも、上の曲は凄く記憶にのこったな。


そうだ! 当時は洋楽も発売と同時にレンタルできたんですよ。いまは1年経たないとレンタルできないですよね? それは90年代に入ってからなんです。大学生の時レンタル屋でバイトしてたんですけど、ニルバーナの『NEVERMIND』がレンタル禁止になる前に発注してて誉められた記憶がありますw



1982年10月、最初のCD 50 タイトルが発売されています。でも、CD レンタルに切り替えたのは高校を卒業してからだったはず。あと、輸入盤屋タワーレコードの日本1号店が札幌にできたのが1980年4月。京都にできたのは1988年くらいだったかな? 店頭でビルボード・チャートが貼り出してあったので、R&B チャートを観てレコードを買ってました。テディー・ライリーの GUY はライブにも行きました。下の映像を観るとw 時代ですね。CAMEO や FULL FORCE などのファンクも聴いてました。



そうだ、ウォークマンもあった。音楽を自分ひとりで聴く時代。買ったのは高校生の頃のはず。とにかく音楽を聴く環境が急速に変化したんですよ。CDで気軽に音楽が聴けるようになり、ウォークマンで場所を問わずに音楽が聴けるようになった。



◉ 1980年1月 沢田研二TOKIO』発売
◉ 1980年4月 松田聖子裸足の季節』でデビュー
◉ 1980年6月 田原俊彦『哀愁でいと』でデビュー
◉ 1980年12月 近藤真彦スニーカーぶる〜す』でデビュー
◉ 1981年1月 ザ・ぼんち『恋のぼんちシート』発売
◉ 1981年10月 松本伊代センチメンタル・ジャーニー』でデビュー
◉ 1982年5月 中森明菜『スローモーション』でデビュー
◉ 1982年10月 ビリージョエルのアルバム『ニューヨーク52番街』など50タイトルがCD発売
◉ 1982年12月 マイケル・ジャクソン、アルバム『スリラー』発売
◉ 1983年9月 チェッカーズギザギザハートの子守唄』でデビュー
1984年11月 レベッカ『ヴァージニティ』発売
1984年12月 とんねるず『一気!』発売



この PV は今観ても凄いですよね。全編放送した『MTV』の次の日は学校で大騒ぎでしたよ。毎週末に放送される番組を楽しみにしていました。他にも来日アーチストが登場する『ベストヒットUSA』も観てました。RUN DMCジェームス・ブラウンが出た回は印象に残ってるな。


番組名を思い出せないんですけど、中島らもさんが『ちくわの穴』というコピーライター養成コーナーをされていたバラエティ番組が土曜日の夕方に放送されていたんです。そこにソニー系のグループがたくさん登場していた記憶があります。そこでレベッカ米米クラブなんかを観ました。キラーメイを観たのもこの番組じゃなかったか?



私の聴いてた音楽、80年代後半はますますジャンルレスになって行きます。学校ではヤな感じの人たちが BOOWYコピーバンドをしてました。女子はジャニーズや尾崎豊なんかが人気でした。当時、私は洋楽を聴くのと平行しておニャン子クラブが好きでした。でも、よく考えるとレコードは1枚も買わなかったし、レンタルしたこともなかったんですよ。あくまでもテレビ番組とセットで好きだったみたいです。



◉ 1985年5月 角松敏生『Tokyo Tower』発売
◉ 1985年7月 おニャン子クラブセーラー服を脱がさないで』でデビュー
◉ 1986年8月 RUN DMC『WALK THIS WAY』発売
◉ 1987年5月 THE BLUE HEARTSリンダリンダ』発売
◉ 1987年7月 光GENJI『STAR LIGHT』でデビュー
◉ 1988年3月 エレファント・カシマシ、アルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でデビュー
◉ 1988年8月 岡村靖幸『大好き』発売
◉ 1988年9月 Public Enemy『It Takes A Nation Of Million To Hold Us Back』発売
◉ 1989年2月 森高千里ザ・ストレス』発売
◉ 1989年4月 ユニコーン『大迷惑』発売
◉ 1989年6月 ニューエスト・モデル『ソウルサバイバーの逆襲』発売
◉ 1989年7月 BO GUMBOS『BO & GUMBO』発売
◉ 1989年10月 THEピーズ『バカになったのに』でデビュー
◉ 1989年10月 ジッタリン・ジン『エヴリディ』でデビュー




80年代後半にはバンドブームが始まります。当時は洋楽を聴く人と日本のロックを聴く人は今よりもはっきりと別れていました。洋楽派は日本語のロックをバカにしてましたよね? ちょうどそんな頃、私は音楽雑誌を買うようになったんです。1988年2月号の『Rockin'on』バーナード・サムナーが表紙の号と『Music Magazine』LL Cool J が表紙の号でした。つまり、私の中でも洋楽の比重が高くなった時期でした。それでも、日本のロックでも面白い音楽がたくさん登場した時期だったんです。





ライブにも行き始めました。1988年9月にはアムネスティ・インターナショナル企画の『HUMAN RIGHTS NOW!』というフェスに行きました。会場は東京ドームで ブルース・スプリングスティーンピーター・ガブリエルトレイシー・チャップマンユッスー・ンドゥール、竜童組が出演しています。ワールド・ミュージックのブームもあった頃ですね。



他で印象的だったのは Public Enemy の来日公演を京都のライブハウスで観ています。マッチョな感じの人たちに弾き飛ばされて嫌な感じでした。でも会場全体で『Bring the noise』の合唱には鳥肌が立ったな。




『MTV』で最初に RUN DMC が登場したときは覚えています。そのとき HIP HOP を知りました。でも正直、このときは HIP HOP の本質をわかっていなかったんですよ。音に関することです。なので派手なネタがあるものは理解しやすいんですけど、音で聴かせる曲はまったくわかりませんでした。それが理解できるようになったのは渋谷系グループのあるアルバムを聴いたときでした。それは90年代になります。



日本語のロックに偏見がなくなったのは上のリストに並んだアーチストの楽曲を聴き出してからですね。いろんな国の音楽が聴けるようになった中で、わざわざ日本語の曲を聴く訳です。だから、歌詞が面白いグループが多いんですよ。もちろん、曲もよかったですけど。特に Theピーズは好きだったなー