ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

『渋谷系』という本を読んだよ。

渋谷系の音楽やミュージシャンそのものについて知りたい人にはあまり評判がよくないみたいですが、かなりのエネルギーが込められた本だと思いますよ。森川嘉一朗著『趣都の誕生』で秋葉原がオタクの街になるまでの経緯が描かれたように、この本では渋谷という街に集まるミュージシャンから後に渋谷系と呼ばれる音楽群が誕生、そして衰退するまでが(ミュージシャン以外の)関係者の発言を中心にしてまとめられています。これまで言われて来たように渋谷のHMVで働いていた太田浩が「渋谷系」という言葉をつくったというのは違うようです。


『それでも太田が独自のマーケティング論理を編み出し、『SHIBUYA RECOMMENDATION』というコーナーを設置し、大胆な売り場改革を図ったことが渋谷系の全国化につながる一翼となったのはまちがいない。HMV方式とはプロダクトコントローラーではなく、この“渋谷式”“太田式”のことなのだ。』P177


著者自身が「渋谷系」という言葉に愛着を持っていないだけに、渋谷系ファンには疑問を抱く箇所も多いと思われます。でも、その分渋谷系ファン以外の音楽好きが読んでも楽しめる作品になっていると私は思いました。一方で・・・・許せない箇所もあるんですよ・・・・



渋谷系

渋谷系



「ほんとうは言いたくないんだけど……音楽には二通りある。ひとつは聴き手にアピールする音楽と、もうひとつはつくり手を触発する音楽。ぼくはプレスリーなど外国のアーチストに触発され、一生懸命コピーをはじめることから歌をつくってきた。マネする先生がいいからとうぜん上達する。でもピンク・レディーをマネしても上達しますか?(略)日本のばあいは、あまりにも聴き手にアピールする音楽に偏りすぎている(山下達郎)」(『あいつの切り札』富澤一誠・著/音楽之友社


なぜ、この発言が引用されたんでしょうね? この本は81年に発売されたものです。日本でHIP HOPがまだ語られていなかった時代。もちろんCDもありません。こんな古い発言を今になって持ち出された山下も迷惑でしょう。渋谷系が生まれた時代には、誰がつくった音楽であっても、自分がいいと思った音楽はがんがん消化して作品にするという発想があったと思います。ミュージシャンも客も同じフロアーで踊る。そういう開放感がエネルギーになっていました。若杉はレアグルーヴについて「リスナー主導型の音楽ムーブメント」と明快に説明しているのにも関わらず、渋谷系を語る中で聴き手よりもアーチストという古臭い発言をどうして引用したのか? 不自然ですよね。またもやピンクレディー阿久悠の矮小化・・・電通秋元ケツなめ本・・・いやいや断定するのは早いな。



若杉はまた「ミュージシャンとしての肖像に山下達郎を見て取れるなら、楽曲面での元祖は筒美京平になるだろうか」とも書いています。山下達郎は素晴らしいミュージシャンですが、なぜ彼だけが渋谷系の元祖として特筆されるのか? だったら、はっぴいえんどの4人、細野晴臣大瀧詠一松本隆鈴木茂はどうなのか? 本書にも引用されている牧村憲一フリッパーズのプロデューサー)著『ニッポン・ポップス・クロニクル1969-1989』には以下のような記述があります。


『70年4月の初め頃、レコーディングに先立って行われた5人との最初のミーティングを、島はこう振り返る。「映画用のダビング・スタジオのような場所に陣取りまして、持ち込まれたかなりの枚数の洋盤を聴きました。こんな感じでボーカルを、こんな感じで楽器を録りたいと次々と曲をかけ…」』P20



5人というのは、はっぴいえんどのメンバー4人とディレクターの小倉栄司。そして、そのコメントをした島雄一はURCレコード所属のレコーディング・エンジニアでした。牧村はこのはっぴいえんどのファースト・アルバムの録音を「(日本の)ロック・レコーディングの1ページ目」と記述しています。他にも、ピチカート・ファイブがデビューした1985年に起きた事件についても書かれているので渋谷系のファンにもぜひ読んで欲しい一冊です。



先の記述でもわかるように若杉は「渋谷系」を代表するミュージシャンとして山下達郎を据えたかったようです。残念なことにピチカート・ファイヴは評価されていません。HMV太田浩がピチカート・ファイヴオリジナル・ラブが「渋谷系の核」だと言っているにも関わらずです。若杉の持つミュージシャンはこうあるべきという観念にねじ曲げられてしまったのです。しかし、ピチカートの小西康陽はそうした音楽ジャーナリストの姿勢について『ロッキング・オンJAPAN 95年1月号』のインタビューですでに批判しています。


『でも、やっぱりビートルズボブ・ディランが出て来て以来、作曲者とパフォーマーが同一人物になったじゃないですか?(そうですね。:インタビュアー山崎洋一)だから、その人の人間に迫るって事が音楽の本質に迫る事じゃないかっていうジャーナリズムが生まれたわけですよ。『ローリング・ストーン』っていう雑誌と『クロウダディー』っていう雑誌があって、その二つから生まれたジャーナリズムだと思うのね。それは60年代には有効だった気もするんだけれども、もう早くも70年代には無効になってると思うのね。何でかっていうと、ロックミュージシャンが作ったレコードながら、実は結構お金のかかったアレンジャーのレコードだったりするわけじゃないですか。(中略)だから、むしろ僕が共感を持ったのは、もっと前のビートルズボブ・ディランが出て来る前の、かわい子ちゃんがいて、うしろには作曲家や作詞家のプロの職人芸の人がいてっていう。そういう方が音楽的には純粋で完成度の高いものを持っていたし(後略)』


このインタビュー凄く面白いんですよ。このあと「僕は自分の好きなものはロックなんだってはっきり思ってるから」という発言もあって、もっと引用したいけどw まあ、どっかで読んでください。最近の小西で言えば、昨年のあの名曲です。これは渋谷系の事件でした。アイドルブームにすがる音楽界に衝撃を与えました。しかし・・・本書では「アキシブ系」という小さな項目に押し込まれています。渋谷系再評価の背景には、アイドル楽曲を制作する渋谷系に影響を受けたミュージシャンたちの存在があるはずなのに・・・


『また、ここでの詳細は割愛するが、たとえば新潟のアイドルNegiccoのような地域限定グループに小西康陽などが楽曲提供しているといったケースはとても多い。/しかしこれらは、あくまでも企画主導型と呼べる作品でもある。』



地域限定グループ? Negicco『アイドルばかり聴かないで』を聴いてないんですかね? 渋谷系復活的な大名曲なのに。これ評価しないの? やはり電通秋元に配慮しましたか? 著者は当初「バック・トゥ・ザ・90's」的な企画だったが、途中で「渋谷系」に差し替えられたとあとがきで告白しています。つまり、この本自体がアイドルブームに便乗した企画主導型の作品だったのです。であれば、電通秋元のケツなめは踏み絵みたいなもんだし仕方ないですね。


しかし『渋谷系』というタイトルにも関わらず、HIP HOPの革命以前からあるアーチスト至上主義で「渋谷系」を切ってしまった著者。このあたりが評価の分かれ目になるのも仕方ないかもね? いい本になるはずだったのに台無しです。残念ですわ。



あと、サイゾー系音楽サイト『リアルサウンド』が「フリッパーズとパンクはつながらない」と書いてたけど、本人たちが「ポスト・パンク・ポップ」と言ってたよ。この本には書いてないけど。