ハノイの日本人

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ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第3期の開講のおしらせ。

東浩紀さんと黒瀬陽平さんが新芸術校の募集で数日前にニコ生無料放送をされたんですが、5時間以上タイムシフトで観てました。最初の方で気になる話があって、後で文字化しようと思ってますが、後半に元ロフトプラスワンの店員の人が登場したんです。中学生の頃の性関係のトラウマの話を堂々としてました。コメントで「LOFT感」っていっぱい流れてておかしかったですw でも、こういう話をニコ生で話せるのは確かにロフトプラスワン経験者だよなと思ってたら「これって放送してるんですよね!」って忘れてたようですww


ちょっと間違って別のところを文字化してたら、こんな時間になってしまった。いまNHK BSの『The Covers』を観てました。この回はロック陣がよかったですね。BRAHMAN満月の夕』、エレファントカシマシ沢田研二『サムライ』とか、その2つのバンドによる『明日なき世界』とか。最高だった。この曲の「東の空が燃えてるぜ」って出だしの歌詞が大好きだったな。なんかガツンと来る感じが。ちょっと笑えるくらい凄い。



◉大槻香奈展開催中の五反田アトリエから東浩紀黒瀬陽平がいちどは潰れかけた新芸術校の奇跡の復活と第3期のあまりに野心的な構想について、酒を飲みながら語る突発無料生放送。それ以上でも以下でもありません。(ニコ生)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv287033733


◉梅津庸一×蔵屋美香×黒瀬陽平×齋藤恵汰 今、日本現代美術に何が起こっているのか(ゲンロンカフェ1月24日)
http://genron-cafe.jp/event/20170124/


東:それで1月24日のイベントで僕としてそういうのも出て来たらいいなと思うのは、新しい日本から出て来た、貧しさをベースにしたアート・コレクティブの運動に名前をつけたり、形容したりするうまい言葉が出て来たらいいと思うんだよね。いま、これはないと思うんですよ。ただ、ニューカマー・アーチストのこないだの『BT』の特集なんかを観ても、結構多くの人たちがそういう潮流に属しているのが、図録を観ただけでもわかるじゃない。
黒瀬:そうです、そうです。
東:あれは今までの美術評論、美術界の言葉では説明しきれないものだと思うんだよね。じゃあ、彼らは何をやってるのか。カオスラウンジは何をやってるのかってこととも関係してるし。新芸術校で何を教えてるのかってことにも関係してる。
黒瀬:そうですね。なんか、それ、きょう言っちゃったら意味ないし、まあ、どうせその言葉にならないとは思うからいいけど。いま、思いつくことで言うと、密室みたいなことだと思うんですよね。
東:密室?
黒瀬:うん。それはそのまま言葉にはならないと思います。でも、キーワードにはなると思います。最近僕が考えてることではあって。
東:密室ってのはどういうこと?
黒瀬:1950年代に中原佑介が「密室の絵画」という有名な評論を書いたことがあって。それを最近思い出してるというか。「密室の絵画」のような評論を書きたいと思ってるんですよね。2016年を経て。それは何かと言うと、戦後ですね、1950年代に絵画を密室劇に当てはめてるんです。つまり、死んだ人間とか、疎外された人間、河原温の『浴室』シリーズとかそうですけど。そういうのが流行ってると。それを中原は揶揄するんです。そういうふうに虐げられた身体ばかりを描く画家は、あたかも探偵小説において、派手な死体にばかり気を取られて、まったく真相に気がつかない発見者であるホテルのボーイとか、でくの坊の刑事みたいであると。本当の名探偵は、ヒューマニズムに左右されない。いくら派手に死体があっても、密室そのものの茫漠とした空間の中からヒントを見つけ出して、謎にせまるんだっていう・・・すっごく抄訳するとですね、もっといろんなこと書かれてるんですけど。そういう評論を書いていて。で、僕、密室に該当すること・・・つまり、死体はいっぱいあるわけですけど、密室に該当する間接的な中間領域というか・・・ 現実と表現の間にある間接的な媒介と言うか・・・それは何にあたるんだろうと今考えていて。これはレプリゼンテーションの問題ですけど。
東:いやいや、まあでも、それは結構面白いんじゃないかな。つまり、いわゆるポリティカリー・コレクト・・・そう言えば Wikipediaに、東はポリティカリー・コレクトって常に間違った発音でしゃべってると書かれてて。
黒瀬:いや、間違ってないですよ。
東:これからはポリティカル・コレクトネスか、ポリティカリー・コレクトか、どっちかで必ず言う。
黒瀬:(笑い)
東:それはともかく、いわゆるポリティカリー・コレクトな普通のアートって言うのは、単に死体を出してるだけなんだよね。
黒瀬:そういうこと、そういうこと。
東:死体を出してるだけだってことに、なんて言うか・・・幻惑されて・・・(中断)それを観て喜んで批評してる評論家というのも、死体が血を流して、首を絞められているのを観て、幻惑されてビックリしてる人たちだ。真のアーティストはその殺人がどうして行われたかという構造にまで入って行かなければいけないんだということだよね。
黒瀬:そういうことです。
東:うん、いいんじゃないの。今の時代に凄く当てはまる話だという気がするね。
黒瀬:我々は密室っていうものを見失ってる気がするんですよ。だから、実は年末に僕は岩渕さんに申し出て、2016年のアートジャーナリズムを補足する形で回顧する原稿を書きたいですと申し出て、1万2000字くらい書いてたんですけど、自分で全部ボツにして。なんか普段と違う文体で書いちゃったから、失敗したんですけど。そこで思ったのが、2016年は本当にいろんなことがあったのに、アートは何も反映できてないんですよ。
東:そのいろんなことと言うのは、トランプとか・・・
黒瀬:トランプとか、Brexitとか。それを思った時に、年末にアートニュースを観た時に、やれルノアール展に67万人入ったとかね、若冲真夏の5時間待ちとかw
東:(爆笑)
黒瀬:(笑いながら)本当ですよ。びっくりでしょ?
東:わかる。わかる。
黒瀬:だから、美術批評をやってる人間としては、そんな直接に反映論なんてやりたくないわけですよ。だけど、アートジャーナリズムが若冲5時間待ちとかしかやらないんだったら「これどうすんの?」とか思った訳です。一方で、2016年はここ5年くらい観始めてたんですけど、普段にも増して海外ドラマばかり観てたんですよ。アメリカはさすがに、一生懸命「鏡」を作ろうとするわけ。トランプの。それが失敗してるのもわかるんですよ。むしろそれが面白い。で、2016年のベストは『アメリカン・クライム・ストーリー』というのがあって、ぜひ観てもらいたいんですけど。O・J・シンプソン事件をやってるんですよ。(という感じで続いて行く・・・)