ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

映画館の音響をテレビ型からサイバースペース型に切り替えよう。1

 

ライブハウスより映画館の方がいい音なのではないか?と考え、いくつか映画を観てきました。結論から言うと、それほどよくなかったって感じです。これはもちろん観た映画にもよるんです。当然ですよね。例えばファレル・ウィリアムスが音楽を手がけた『ドリーム』とか、黒沢清監督『散歩する侵略者』も音が良くてサントラを買いました。ところが家で聴くとそれほどでもなかった。もちろん悪くはないですけど、映画館でCDを買いたいと思ったときのあのサウンドではなかった。実は Spotify で聴いた音の方が、私には気持ちよく感じるんです。これはリアリティの問題ではないか?

 

 

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

  TOHOシネマズくずはモールドルビーアトモス

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』

  台北シネコン(恐らく標準)

『アラジン』

  TOHOシネマズ仙台(IMAX

『MIBインターナショナル』

  ユナイテッドシネマ水戸(標準)

 

 

ゴジラ以外の2つは、サウンドを聴くためじゃなかったら絶対に行きません。『アラジン』はそこそこ面白かったけど。MIBなんて「4」じゃないですか。期待する方が間違ってるw でもこれがサウンド的には一番よかったんです。この Youtube で聴く音は映画館で聴く音よりもいいですね。いっそのこと YoutubeNETFLIXが映画館を作ればいいのかも。

 

でね、こういう指摘があり得ると思うんです。お前が求めている音が特殊であると。映画館の迫力ある音響こそが我々の求める音であると。そうですよね。そうかもしれないです。でもそういう時代は終わりつつある。時代は明らかに私が求める音の方に向かっている。それはリアリティの問題。私たちのリアリティはかつてのようにテレビによって作られるのではない。PCやスマホに向かい、視覚と脳内、サイバースペースで作られるよになっているから。インターネットのない生活なんてもう想像できないもんね。

 

例えば、絵についてもそうですよ。テレビカメラで収めた現実の風景よりも新海誠君の名は。』のデジタル処理されたテカってる風景の方を欲望するというようになった。サウンドも一旦 YoutubeSpotifyなどのプラットフォームを通過したテカった音を欲望する。それに適した音楽が EDMや K-POPです。というわけで映画館はどういう音を志向すべきか? 映画関係者を説得する文章を書こうと思っています。

 

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

 
モダンのクールダウン

モダンのクールダウン

 

 

また東浩紀さんの文章から引用します。これは稲葉振一郎『モダンのクールダウン』で書かれたことを引用してキャラクター小説について東さんが書いた文章です。なので、その本を読んでから書くべきなんですけど。とにかくその部分を引用します。まずはお勉強だと思って次の文章を理解してください。

 

 公共性とは、人間と人間が、共同体的な限界を超えて出会う場所のことである。近代社会もポストモダンの社会も、村落共同体を超えて成立する巨大な組織なのだから、必然的にそのような場所を必要とする。

 そして稲葉によれば、近代文学自然主義的リアリズムも、ポストモダンまんが・アニメ的リアリズムも、まさにその場所を作りだす装置として解釈できる。彼はつぎのように述べている。「リアリズム小説や映画が、「現実世界」と些細なところでしか食い違わない世界を舞台とする理由は、まず基本的には効率の問題で」あり、まんが・アニメ的リアリズムの成立についても同じことが言える。(P61)

 

 自然主義文学の作家は、現実を描くべきだと感じたからではなく、現実を描くとコミュニケーションの効率がよいので、現実を写生していた。同じようにキャラクター小説の作家は、キャラクターを描くべきと感じているからではなく、キャラクターを描くとコミュニケーションの効率がよいので、キャラクターを参照している。(P62)

 

例えば大塚英志によって「まんが・アニメ的リアリズム」という言葉が使われたが、それはラノベに代表されるように、過去のまんがやアニメを想像力の源泉として書かれた作品群のことだった。作品を作るときに、自分の体験を参照するのではなく、自分が観てきたアニメやマンガを参照する。その方がより視聴者にリアリティを持って受け入れられる作品になると作者は感じているのです。

 

わかりますよね。完全なオリジナルを志向するのではなく、かつての作品の断片を組み合わせて新たな作品が作られる。既に当たり前のこととなっています。

 

でこれらの文章を援用して私が言いたいのは、サウンドについても「現実」がそのまま再現されるよりも、一旦サイバースペースというフィルターを通過したサウンドをリアルだと受け止めるようになっているということです。

 

例えば、私が今回のゴジラを観て、一番違和感を持ったのは、ミサイルの爆破音です。普段、私たちはミサイルには遭遇しません。何をもってミサイルをリアルだと感じるのか? これは主に地上波テレビを通してだったと思うんです。ニュースであったり、アニメであったり。しかし、地上波テレビの時代は終わりつつあります。若者がテレビを持っていないというニュースもあります。私の場合も引っ越してからテレビアンテナをいまだに繋いでいません。ネットに繋いで NETFLIXDAZN を観ているのです。なのでいつまでもテレビ世代に合わせた音響で上映してると間違うぞってことです。ああ、NYにでも行って映画館のサウンドをチェックしたいな。