ハノイの日本人

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細野晴臣氏「音像」に飽きたと語る。

 

困ったな。細野さんが「音像に飽きてきた」と語られてる。いやいや、これは飽きたとか、飽きてないって話ではないですよね? だって音楽のジャンルは関係ないんだし。自転車に乗れるか乗れないかみたいな話ですから。もちろん細野さんがそれを追求する必要はないかもだけど。細野さんだって「音像」の感覚が身に付く前には戻れないはずですよ。特にライブでそれを無視できるのでしょうか?

 

 

月刊誌『MUSIC MAGAZINE』も含めて音楽評論で「音像」の話は無視されてますよね? 語れるのは『ele-King』くらいです。このインタビュアーの方もそうですが、「音像」の感覚を身につけてる人は少ない。でも実際には K-POPブームに代表されるように若い世代ではその感覚は当たり前になっています。意識していなくてもその感覚は身についている。

 

じゃあ、その「音像」とはなんなのか? デザインされているように音のイメージが観える音楽。私はその説明をするべく現在書籍をいろいろ漁っているわけです。「音像」の制作にはHIPHOP、ハウス、テクノなどのクラブミュージックなどの技術が使われています。そして、もう一つ重要な要素、音響派の音楽も影響したと感じます。現在で言うポストロックです。そこで音響派に関する書籍を探しました。以前も触れた大友良英著『MUSICS』にいい話がありました。

MUSICS

MUSICS

 

 

大友さんはPAに注目されています。PAはそもそもナチスの拡声装置が起源で、空間を支配するための暴力的な装置であると。そして、PAを通すことでミュージシャンが元々作った音とは似て非なるものが出来上がる。音響派の音楽にはそのようなラジカルで本質的な問いがあったと書かれています。

 

なるほど。音楽が奏でられる空間にスポットを当てたのが音響派だったと。それはダンスさせることに焦点を当てたクラブミュージックとは違いますよね。じゃあ、この表現を借りて現在のバーチャルな「音像」を説明すると、どうなるか? バーチャルな「音像」は空気の振動を音に変換する脳にスポットを当てた音楽と言えるのではないでしょうか?