ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

ジャニ友、インタビュー!前編。

今月はじめにハノイに遊びにきてくれたジャニ友のOさんが、きのうKAT-TUN の東京ドームライブを1列目で見たと知らせてくれました。その快挙を祝いつつ、きょうはヒーローインタビューをさせていただきました。このインタビューの質問はメールで送ったのですが、なかなか面倒くさいものがあったと思います。Oさん、大変忙しい方なのに。「自分の歴史を語ってください」って軽く言われてもねえ? でも、今ままで聞いたことのなかったような面白い話が聞けました。ありがとうございます。


追記:最初の質問に答えてもらい、さらに質問を加えて完成させました。長くなったので「前編」「後編」に分けて掲載します。Oさん、本当にありがとうございました。



ーーOさん、きのうのKAT-TUN のライブで1列目で見たそうですね。おめでとうございます。ハノイで会ったときは1列目だと言ってませんでしたよね。座席は当日までわからなかったんですか?

『はい、わかりませんでした。ネットで場内座席表などは出回っていたと思いますが、チェックしていませんでした。ジャニーズのライブ会場は、例え席番号が若くても、ブロックやシートの配列によっては、実際は後ろのほうでハズレだったということもあるので、アリーナ席とはいえ、今回も全く期待していませんでした』


ーーそうなんですか。ダフ屋対策なんですかね? 面白いですね。
『席番号はアリーナA12ブロック9番。この「A12ブロック」ってのが謎なんですよ。何だかわからないでしょ? 12だと、とても前とは思えないでしょ?』


ーーたしかに。で、そのKAT-TUN のライブはどうでしたか?
『まずは、一言、素晴らしい! あっという間の3時間でした。そしてライブというより、KAT-TUN のことになりますが、美しい』


ーー美しいw 顔のことじゃないですよね?
『そりゃあ顔でしょw 容姿を言えば、アイドルだから顔は小さいし、体は細いし、肌はつやつや、ツルツルだし、美しいという形容詞がぴったりですよ。容姿じゃなくてライブのことを言えば、舞台設定も美しかったです。KAT-TUN ライブは海賊とか毎回テーマがあって、セットもそのテーマに沿ったものになります。今回は惑星をイメージしてました。噴水のように噴き上がる水や、炎をうまく使って、あとは花火も効果的に使ったりとか。あんまり言うとネタばれになるから、もうやめておきます』


ーーまさしくジャニーズのライブって感じですね。
KAT-TUNは普段、シングルCDのカップリングを歌わないのですが今回のライブでは少しやっていました。またさすがに8日間連続、同一会場ライブということで、日替わりコーナーも設けていて、昨日(5/18)は田口のプロデュースの日でした。そしてライブ中に、日テレ系テレビ番組「サプライズ」の生中継が入りました。KAT-TUNがアンケートに答えるというもので、スタジオのくりーむしちゅーとのやり取りもなかなかでした。その分、時間をロスした気がしますが、これまた他の日と差別化でき特別感は増しましたね』


ーー東京ドーム8日連続なんですか? 凄いですね。ところでOさん、ジャニオタ歴は何年ですか? これまでの軌跡を簡単に紹介しれもらえますか。
『30年です。君、何歳?って感じですね(汗) 金八先生時代の田原俊彦を「カッコいい〜」と思ったのが最初です。クラス全員がマッチ派でしたが、一人だけトシちゃん派でした。アイドル雑誌『明星』『平凡』などの付録シールが山のように集まりました。その後、しばらくは田原俊彦をメディアで追っている日々が続きます。1985年に、男闘呼組岡本健一が「サーティーンボーイ」というドラマに主演し(ちなみに相手役は後にCCガールズになる、藤原理恵田原俊彦を超える存在に急浮上しました。今でも心の奥底では、岡本健一が一番だと思っています』


ーーマッチさんの方が人気があったのは知っていましたけど、そんなに差があったんですか。岡本健一は、息子もデビューしましたよね。
『そこまで格差あったのは、うちのクラスだけかな。でもトシ派ってほとんど聞かないですよね。岡本ジュニアは岡本圭人ですね。Hey!Say!JUMP なら森本君がかわいいけど、ケイトもお父さん(岡本健一)のことがあるから応援していますよ』


ーーそうか、少し父とは顔のタイプが違いますもんね。それから…
『中3〜高2は、ジャニ友が同級生にいたので、週末は原宿の合宿所やテレビ局などに通い詰めていました。自分の中でのジャニーズ活動全盛期。少年隊のCDデビュー時に、記念の握手会に参加したり、光GENJIのバックにいた、キムタク少年を「素敵〜」と思ったのも、この頃です。少年御三家(光GENJI、男闘呼組、少年忍者)の武道館コンサートや男闘呼組ライブなどに行ってました。しかし残念ながら、男闘呼組がCDデビューした1988年は受験勉強の年だったので、この頃から、熱意がやや下降します』



ーーいいなあ。少年御三家のライブ見てるんですか。シブがき隊はさすがに見てないですか?
『いいでしょ、少年御三家。チャリティ色はないけど、J-Friendsの先駆けですよね。シブがき隊のライブは見ていませんねえ・・・。ただし歌っているところは一応、見たことがあります。テレビ番組の収録で、応援の振付を親衛隊のお姉さんたちと一緒に練習しました。85年か86年ですね。歌のトップテンだったかな。あっ、シブなら当然、モッくんのファンですからね!』


ーー振り付け練習。それは凄そうだw 普通にうらやましいです!
『1990年頃は、『アイドル共和国』のSMAPをよく見ていました。『あすなろ白書』前のキムタク・・・まだキムタクじゃなかった頃の木村拓哉が好きです。ちなみに今は、SMAPなら中居。そして1993年。男闘呼組の衝撃の活動休止・・・ 神奈川県民ホールでやる、ライブチケットも取っていましたが中止。非常にショックでした。まじで』


ーーじゃあ、大学生になってもジャニおたを通してたんですね? そういうのは普通の大学生って感じでしたか?
『全然普通じゃない! アイドル好きって言えなかったから、隠れジャニおたになりました。バブル期でトレンディードラマ全盛で、トレンディー俳優のことは好きって言えた時代です。吉田栄作とかw そんなときに男闘呼組とか光GENJIのことは言えないですよ。だからジャニおたのくせにゴルフサークルとか入ってたし』


ーーおやじギャルですか! それ爆笑ですよw でも、そのことは言えなくて、しかも解散で落ち込んでいたと。大変でしたね。
『90年代は男闘呼組がいなくなったので、特定のグループ、個人よりも、ジャニーズ全般を追っていました。社会人になったこともあり、金銭的にもややゆとりも出て東京圏だけでなく、他都市のライブにも進出。SMAPは大阪、V6は名古屋で見ました。とはいえ、男闘呼組がいなくなったことで、気分は消沈したままでした』


ーー当時は、いわゆる「冬の時代」だったわけですよね? ファン的にはどんな感じでした?
『ジャニファン全体はわからないけど、私はアイドル冬の時代でも別に何も変わらなかったと思っています。歌番組なくなって、レコ大など賞関連の番組に出なくなった程度の認識しかありません。』


ーーそうですか。じゃあ、男闘呼組の喪失感の方が大きかったわけですね。そして、90年代後半、SMAPが大ブレイクします。
『これでね私も冬眠から目覚めたわけですよ。大人もアイドル好きでいいんだって、SMAPが世間を変えてくれたから。光GENJIは、大人が好きになるときは子供を盾にしないと市民権得られなかったけれど、SMAPは大人でも胸を張って好きと言える。「SMAPならいっかー」みたいな。今のSMAPライブは相当に高齢化してます。40代・50代は当たり前。「年金受給者?」って人もかなり見かけます。ちなみにKAT-TUN ライブも10代の子ばかりではなく、30代・40代もいます。だから堂々と行けます。これもSMAPのおかげだと思っています』


ーーさすが、国民的スターですね。それから…
『90年代後半、タッキーや嵐、関ジャニ∞のメンバーがジュニアを形成していた時期で、この辺でまたジャニ熱再燃。当時はこのジュニアの成長を見守るのが楽しみでした。彼らが今のジャニーズを支えていますよね。余談ですが、最近のジュニアの質の低下に不安を覚えています。そして2000年に入り、Kinkiのバックで踊り始めたKAT-TUN赤西仁を見て、今に至る。



あれ?全然簡単じゃなくなっちゃった。これでも相当端折ったのに。30年は長いな。こうして追ってみると、もっと色々まとめたくなりますねえ』

ーー掘ればいろいろでてきそうですね。とてもいい話が聞けました。本当に、人に歴史ありです。後編につづく。