ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

オタク と OTAKU についての記事。気持ち悪いでしょう!

これ、おもしろいですね。まだ、最後まで読めてませんが、帰って来てから感想を書きます。私も 広州 のメイドカフェで、なぜカップル客が大半なのかを考えてたんです。店長にも聞いたのですが「こっちの方が普通でしょう」というような反応でした。たしかに、そうなんですけど…


アメリカの「自称OTAKU」には日本の「オタク」を見下す権利はない(冷泉彰彦
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101122-00000301-newsweek-int
『今年2010年の7月から8月には、熱海市を挙げて「ラブプラス+現象(まつり)」というキャンペーンを行っていたのですが、アメリカでの反響は予想以上に大きなものがありました。特に大きな記事を組んでいたのは『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙で、9月2日には国際面の半分を使った記事を掲載しており、本来はもっと大きな注目がされても良かったはずの「民主党代表選への小沢一郎氏の立候補」というニュースはかすんでしまっていました。(中略)新聞やサイトの報道自体は「異様に詳しい」ところに「差別感覚」がチラチラするだけでしたが、最近のウェブ報道につきもののインタラクティブな読者参加の部分では、とにかく日本の「オタク」を見下すような差別的な文言に満ち溢れていました。批判的な書き込みは男女双方からあり「自分は健全なOTAKUだと思ってきたが、これは不健全」だとか「女OTAKUの自分にしても、こんな男性は気味が悪い」などという「オタクの定義」をめぐる混乱と違和感、そして「こんなの日本だけだよ」とか「悲劇だな」などというような感じで「一人で熱海に泊まるゲームファン」への差別的なコメントが溢れていたのです』
 

うーん、最後まで読んだのですけど、この文章自体に疑問がわいてきました。明確な「オタクの定義」を前提にした文章ですよね。あるんですか? 以下の文章も気になります。


『今回の「ラブプラス+」ファンへの差別感情の噴出と背景には、そんな現象、つまり「女だったり、彼女がいる人間はどんなに頑張っても正当オタクとはみなされない」ことへの怒り、理不尽な思いというのがあったと言えるでしょう。では、彼等アメリカのアニメファン、自称「OTAKU」たちによる「気味が悪い」という書き込みは正当化できるのでしょうか? 私は違うと思います。日本のカルチャーが、特に男女関係の表現において過剰なまでの繊細美、非日常的な洗練を保ってきたのには、理由があるからです。それは、自由な男女の交際を禁忌だとする「上の世代」や「公権力」の抑圧が前提としてあり、これに対する反発力が表現の原動力となってきたという点です』


この文章だと「日本カルチャー」の中に女性作家のマンガは入らないことになりますね。それは困るな。女性のオタクだっていると思いますよ。でも、どんなジャンルでもそうでしょうけど、先鋭化した集まりの中に入りたい人がいたとしても、簡単には入れてもらえない。ただ、それだけのことだと思うんです。単純に大人げない人が集まってるのかもしれないけど。


で、この『ラブプラス+現象(まつり)』は、普通に「気持ち悪い」と言ってもいいでしょう。差別じゃないですよ。まともな感覚ですw たぶん、冷泉さんも実際に見たらそう思うんじゃないかな? 恐らく、参加した人たちも普通じゃないことぐらいは自覚していると思いますよw だからこそ、特別なイベントになるんでしょうし。放っておいてあげたらいいと思います。放っておけないのはこっち。「家族が次世代のカップル形成に非協力的な文化」というのは、非常に気になります。あるよねー。