ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

サイゾーが間違えるのはウィキペディアのせい。

サイゾーの音楽サイト『リアルサウンド』に注目しています。最初は音楽批評サイトということだったんですけど、サイト内の人気記事ランキングはほとんどジャニーズ記事で埋められています。本日は10位以内に8つ。これだからジャニーズ記事はやめられないw 



◉ジャニーズ新人を支える「ヒット請負人」 作曲家・馬飼野康二の功績を探る(北濱信哉)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20131106-00010002-realsound-ent
『そんな彼がジャニーズの楽曲を手がけるようになったのは近藤真彦の紅白出場曲「ケジメなさい」がきっかけ。元々「ブルー・シャルム」時代に現ジャニーズ事務所顧問、ジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長の小杉理宇造氏とバンドを組んでいたこともあり、親交のあった小杉氏はすでに職業作家として実績を積んでいた馬飼野氏に楽曲を多く依頼するようになる。近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく(編曲)」や光GENJI「勇気100%(作曲)」、SMAPの「しようよ(作曲)」など誰もが耳にしたことのあるようなジャニーズの楽曲を手がけているのも実は馬飼野氏なのである』


さて、今回のサイゾー記事は「御年65歳のヒットメーカー」こと馬飼野康二先生を取り上げています! 馬飼野メロディーを子守唄に育ったと言ってもいいくらい、ジャニーズ・ファンにはお馴染みの作家さんですよね? 馬飼野先生がジャニーズに関わるきっかけになったのはマッチさんのデビュー曲『スニーカーぶる〜す』です。『筒美京平ヒットストーリー1967-1998』には当時の経緯が書かれています。


筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998

筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998


近藤真彦スニーカーぶる〜す』は最初に録音されたものから、歌詞の一部とすべてのアレンジが録り直しされています。それはジャニーズから小杉さんにだされたノルマ「ミリオン」をクリアするためだったそうです。その録り直しのときに、すでに 西城秀樹松崎しげる愛のメモリー』で作曲・編曲家として活躍していた馬飼野先生が呼ばれたそうです。あれ? 上のサイゾー記事・・・間違ってますよ。『ケジメなさい』がきっかけと書いてある。



どこで『ケジメなさい』が出て来たんだろ? あっ、ウィキペディアにある馬飼野先生の主な作品が原因のようです。マッチさんのところ、一番最初が『ケジメなさい』になってます。時系列で並べておかないとサイゾーさんが間違えるじゃないかw でも、間違いはこれだけじゃないんですよ。もう一度サイゾー記事から。


『ジャニーズにおいても多くのヒット曲を飛ばした実績から、事務所サイドは彼に絶大な信頼を寄せるようになる。そして1990年代後半からはこれから世に送り出そうとする「トップアイドル候補生」デビュー曲の指名先として、必ずと言っていいほど馬飼野氏が選ばれるようになったのだ』


上のサイゾー記事には90年代後半から馬飼野先生がデビュー曲で起用されるとあります。でも、違うんですよ。80年代後半からなんです。下にリストをつくっておきます。「たまにはCDのクレジットに記載された彼らの名前にも目を向けてみよう」ですねww


男闘呼組『DAYBREAK』(1988年8月)作詞:大津あきら、作曲:Mark Davis、編曲:松下誠Mark Davis
忍者『お祭り忍者』(1990年8月)作詞:原六朗荒木とよひさ、作曲:原六朗馬飼野康二、編曲:鷺巣詩郎
SMAP『Can't stop!!-LOVING-』(1991年9月)作詞:森浩美、作曲:Jimmy Johnson、編曲:船山基紀


上のリストにある「Mark Davis」と「Jimmy Johnson」ですが、これも馬飼野先生なんですよ。ジャニーズ・ファンには有名な話ですけど、若い人だったら知らないかも。しょうがない。