ハノイの日本人

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アシッドハウスとはなんだったのか?

この前、チームしゃちほこ『いいくらし』を聴いて、アシッドハウスという言葉を思い出しました。イギリス発の最新ダンスミュージックってことでコンピCD とかも発売されたんですけど、いまいち音楽ジャンルとしての特徴がなかったんですよ。当時、友人と「アシッー! って叫んでればアシッドハウスなのか?」って語り合ったのを思い出します。ハウスとどう違うのかわからなかったんです。やっぱり、ドラッグ&ダンスが巻き起こした社会現象だったようです。



◉第90回:1988年に始まった「セカンド・サマー・オブ・ラブ」(久保憲司
http://www.drillspin.com/articles/view/704
『今から26年前、1988年から89年にかけてイギリス中がダンスに狂った時期があった。ダンスに狂ったというか、全員がこの曲のように「アシッード」と叫んで町中を練り歩いていたのだ。バカみたいでしょう。日本に置き換えると「そんなの関係ねぇ!」というギャグを18歳から28歳くらいの大人がダボダボの服を着て叫びながら町を歩いていたようなものだった。というか、3歳の子供まで「アシッード」と叫びながら三輪車をこいでいたのですから、完全に社会現象でした。服屋さんに入ると、店員が接客せずに店のカウンターに乗って踊ったりしていた。僕はそんな光景を見ながら、サンフランシスコのヘイト・アッシュベリーはこんな感じだったのかなと思ったりしていた』



 

久保憲司さんは80年代にイギリスで生活されていたカメラマンの方です。下に書かれたグラムロックの話は初めて知りました。そうだったのか。しかし、アシッドハウスが誕生してから26年経って、こんな風に日本のアイドルが甦らせるなんてねww


『ではなぜ88年にイギリスで「セカンド・サマー・オブ・ラブ」としてはち切れたかというと、67年サンフランシスコでのフラワー・ムーブメントの後、デヴィッド・ボウイらがその精神をイギリス風にアレンジし、大衆に広めたグラム・ロック、そして、その後のパンクというフラワー・パワーに次ぐ若者の革命があったからだと思います。若者文化は徐々に拡大していったのだ。そんな中からカルチャー・クラブデュラン・デュランというポップ・アーティストが生まれた。こうしたセル・アウトしたアーティストの影に隠れてしまったアーティストたちが、次のクラブ・シーンの担い手となっていった。それがセカンド・サマー・オブ・ラブの始まりだった。そして、この動きを加速させたのが、アシッドハウスのシーンをバックグラウンドにストーン・ローゼズハッピー・マンデーズというバンドが出て来たところにある。 アンダーグランドになりがちなクラブ・カルチャーがなぜここまで大衆運動までになったかというと、ストーン・ローゼズハッピー・マンデーズというロック・バンドとクラブ・シーンがうまく融合したことにあった』