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ジャニーズの教科書。第1章「トップグループ制」③

いよいよ明日はドラマ『銭の戦争』の最終回ですか。どうなるんだろ? 先週は凄かった。草磲剛が飯島さん、ジュリーさん、両方の心を掴みまくってるのを観ててクラクラしました。派閥争いなんてなかった。ドラマ『お兄ちゃん、ガチャ』もヤバいです。京本大我が消されそうな雰囲気でしたよね? でも、岸優太はミコのお兄ちゃんになるから、うまく収まるのかな? 



3回目です。今回は1992年の大転換です。80年代にはティーン・アイドルで人気を博したジャニーズでしたが、90年代に入りぱったり人気がなくなります。そこで、20代女性にも受け入れられる大人のアイドル育成に方針転換するのです。その大役を任されたのがSMAPでした。


◉ジャニーズの教科書。第1章「トップグループ制」
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150302/1425298187
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150309/1425863357


ジャニーズ事務所の歴代トップグループ
  初代トップ ジャニーズ
 第2代トップ フォーリーブス
 第3代トップ 郷ひろみ
 第4代トップ Johnny’s ジュニア・スペシャル(JJS)
 第5代トップ 川崎麻世
 第6代トップ 近藤真彦(一時期、田原俊彦と2トップ)
 第7代トップ 光GENJI
 第8代トップ SMAP(少年から大人への物語を一時期KinKi Kidsが受け継ぐ)
 第9代トップ 嵐(少年から大人への物語をHey! Say! JUMPが受け継ぐ)


ジャニーズ事務所、1992年の大転換
ここでトップグループ制の成立過程を見てみよう。初代から第4代のJJSまでは、ジャニー喜多川がどのグループに注力しているかぐらいの意味しかない。しかし、1975年3月末で 郷ひろみが他の事務所に移籍し、ジャニーズ事務所の冬の時代がスタートする。この苦しい時期を経て、郷をスターにした戦略をあらためて意識したようだ。郷と同じくCBSソニーからデビューした第5代トップの川崎麻世からは、少年から大人への物語がバトンのように受け渡されて行く。SMAPと嵐のトップ交代を例にその戦略を具体的に解説して行こう。

 
80年代にはヒットチャートを制覇したジャニーズだが、1990年を境に、そのブランド力は一気に低下する。ミリオンセラーが続出した1991年にデビューしたSMAPは、シングルが15万枚しか売れず、苦しいスタートを切った。

 
1992年、トップグループSMAPの低迷をきっかけに、ジャニーズ事務所は方針の大転換を計る。事務所がメインに扱うタレントを、それまでの美少年アイドルから、20代女性にも受け入れられる大人のアイドル、もしくは国民的スターを輩出する方向に転じたのだ。SMAP3枚目のシングル『心の鏡』(1992年3月)では、そのことが表明されている。ジャニーズは、こっそりとではあるが、事務所の方針を歌詞などで明かしているのだ。



シングル『心の鏡』の歌詞は、公募によって選ばれたと言われている(どこで公募されたのだろう?)。それを書いたのは当時16歳だった福島優子だ(ザテレビジョン、1992年3月20日号)。しかし、『心の鏡』の歌詞には、他の誰かの手が加えられていると私は考える。福島が学生だからという理由ではない。まずは『心の鏡』のサビ前の歌詞を見てもらおう。


 ♪ 街に向かって走ろうよ 宝さがし夢を追いかけて
   未知のパワー見つけるのさ
   自由望むなら 自分をみがこう
              『心の鏡』作詞:福島優子、作曲:筒美京平、編曲:土方隆行


「宝物は街(ストリート)にある」「自由を得るためには努力しよう」という主張が歌詞には込められている。例えば、光GENJIパラダイス銀河』では、子供たちの天国が描かれていた。そして、そこには辿り着くまでの過程は書かれていない。努力や苦労の果てにたどり着いたわけではなかった。福島が意図的であったかはわからないが、SMAP『心の鏡』はジャニーズで最初に努力の大切さを歌った歌詞であった。当時、ジャニーズのトップだったSMAPは追いつめられていた。CDが売れず努力するしかない状況だったのだ。「もう顔だけでは売れないぞ!」そんな逆風の中で活動していた。

 
それまでのジャニーズに対する世間のイメージは「ジャニーズ ⇔ 実力」というものだった。上の歌詞「♪ 自由望むなら 自分をみがこう」は、「ジャニーズにとっての未知のパワーである『実力』を手にしよう」という、SMAPの「実力派宣言」と言ってよかった。もしくは「脱アイドル宣言」と言い換えてもいいだろう。さらに重要なのは2番のサビの歌詞だ。


 ♪ こわれた鏡ぴかぴかに いつまでも輝かせて
   過去は戻らないけど未来は続くもの


この歌詞で「心の鏡」は「こわれた鏡」となっている。いきなり「心」が壊れたと言っているのだ。なぜか? 理由はどこにも書かれていない。とにかく「心の鏡」は割れてしまった。私が「誰かの手が加えられた歌詞」と言うのはこの2行のことなのだ。

 
実はこの「鏡」は、80年代ジャニーズのシンボルとも言うべき「ガラス」と同じ言葉である。それは繊細な少年の心を象徴するものだ。例えば、KinKi Kids『硝子の少年』では、「♪ 僕の心はひび割れたビー玉さ」という歌詞が登場している。繊細な心が壊れることにより、少年から大人になるという表現がされている。KinKi Kidsのデビュー曲『硝子の少年』は、少年と大人の「境」を表現した通過儀礼ソングだった。

 
つまり、『心の鏡』の「♪ こわれた鏡ぴかぴかに いつまでも輝かせて」という歌詞は、通過儀礼を経て大人になった後もトップとして輝き続けるという、ジャニーズのルール変更を示した歌詞だと解釈できるのだ。それまでのジャニーズでは、トップが通過儀礼ソングを歌った後1年程でトップ交代が行われて来た。少年アイドルこそがジャニーズ事務所が扱うメインのタレントだったからだ。以下は通過儀礼ソングの発売月と、次のトップがデビューした月をリスト化したものだ。



郷ひろみよろしく哀愁』(1974年9月)→1975年4月 事務所移籍
 ⇒1975年2月 Johnny’s ジュニア・スペシャル(JJS)デビュー

◎ JJS『ラストショー』(1977年7月)*JJSには少年から大人への物語はない
 ⇒1977年7月 川崎麻世デビュー

川崎麻世『レッツゴーダンシング』(1979年9月)
 ⇒1980年6月 田原俊彦デビュー、1980年12月 近藤真彦デビュー

近藤真彦『青春』(1986年7月)
 ⇒1987年8月 光GENJIデビュー

光GENJI荒野のメガロポリス』(1990年2月)
 ⇒1991年11月 SMAPデビュー

SMAP『$10』(1993年11月)
 ⇒1999年11月 嵐デビュー

 
それまでは通過儀礼ソングを歌った後、1年ほどでトップ交代が行われて来た。しかし、SMAP は1993年にシングル『$10』で通過儀礼を済ませ、大人になった後もトップに居続けた。次のトップ候補、嵐がデビューするのは、それから6年も経ってからだった。


SMAPはデビュー時に光GENJIからトップを引き継ぎ、さらに、大人になってからもトップで居続けた。そのため、実質17年という長期政権になったわけだ。これは過渡期だから起こったことではあるだろう。SMAPジャニーズ事務所で初めて、大人になった後で売れたグループとなった。それまではデビューから5年もすると人気はかなり落ちていたのだ。SMAPの成功モデルにより、ジャニーズ・アイドルの人気も一過性のものに終わらず、以降はジャニーズ事務所の経営もぐっと安定したものになっている。(つづく)