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ジャニーズの教科書。第3章「SMAP、そして父になる」⑥

今回は大人になったSMAPがどのような歌をうたってきたかです。



◉ジャニーズの教科書。第3章「SMAPそして父になる」①〜⑤
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150511/1431325930
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SMAPは大人のアイドルとして歌う。
次に、2段階目「注目を浴びる過程でSMAPの楽曲を大人向けにシフトして行く」を解説しましょう。注目したいのは、6枚目『雪が降ってきた』(1992年12月)です。前作がアニメ『姫ちゃんのリボン』(テレ東系)の主題歌であったことでもわかるように、それまでは主に10代に向けた楽曲がつくられていました。しかし、この曲以降は「アイドル」というカテゴリーを意識せずに、もっと広い年齢層に聴かれる楽曲に変わっています。



『雪が降って来た』は「渋谷系」という後にブームが仕掛けられる言葉を持ち込んだ楽曲でした。「後に」というのは、93年のまでその言葉はなかったからです。ですが、渋谷にある世界一とも言われた中古レコード店群、そこに集まるミュージシャン、DJたちから生まれたある種の価値観、それをSMAPの楽曲に持ち込んだのです。「渋谷系」という言葉を説明しておきましょう。




渋谷系」という言葉は、渋谷にある外資系大型レコード店の邦楽売れ筋アーチストたちのことを指しました。代表的なグループは、ピチカート・ファイヴ、元フリッパーズ・ギターの2人小沢健二小山田圭吾オリジナル・ラヴラブ・タンバリンズなどでした。HMV渋谷店の太田浩はそれらのミュージシャンの作品、そして、それらが影響を受けた海外の作品を中心に並べたコーナーを邦楽コーナーとは別に設置しました。それが評判を呼び、渋谷系という言葉と共にそれらのグループの人気は全国に波及したのです。ちなみに、言葉自体は太田がつくった物ではないそうです(若杉実著『渋谷系』より)。





また94年4月から発売されたコンピレーションCD『Free Soul』シリーズがありました。それを選曲した橋本徹講談社に務める編集者でしたが、同時に自分の好きな音楽を紹介するフリーペーパーを92年から制作。そして、そこで紹介したレコードをかけるクラブイベントを主催します。それがレコードからCDというメディアの変化の中で、CD再発という流れに合致します。膨大にある過去音源がCD化されて行くのです。その時代は新しい音楽も古い音楽も横一線で聴かれました。橋本は『Free Soul』も「渋谷系」の流れの一つだと語っています。


『Free Soul』とは、ロックでもソウルでも、体系的に聴くのではなく、自分たちがソウルと感じるものをDJ的センスで自由にチョイスして聴くというスタイルでした。例えば、1995年に発売されたCD『フリー・ソウル・パレード』では、1曲目がスピナーズ『It’s a shame』2曲目がジェーン・バーキン『ロリータ・ゴー・ホーム』という選曲がされていました。それは従来のソウル、ブラック・ミュージックの聴き方とはまったく違うものでした。




J-POPに一番活気があった時期、そのシーンの空気をSMAPは同時進行的に取り入れたのでしょう。次の『ずっと忘れない』『はじめての夏』とフリーソウル路線でのシングルが続きます。3枚とも作詞:森浩美、作曲:馬飼野康二、編曲:長岡貢です。そして、『雪が降ってきた』と『ずっと忘れない』が収録されたアルバム『SMAP 004』(1993年7月)でも、大きな路線変更が示されました。アルバム・ジャケットの表面からSMAPの写真が消えたのです。アイドルのレコード、CDとしては異例のことでした。


これも渋谷系の作品群を意識したものでした。渋谷系を代表するアーチスト、フリッパーズ・ギターピチカートファイヴのアルバム・ジャケットは、アーチストの姿よりもデザインを重視したものが主流でした。それらの渋谷系のアーチストの作品でデザインを担当した代表的な人物は信藤三雄です。SMAPのアルバムでは『004』が信藤の事務所に所属していた中嶋佐和子のデザインで、信藤は『SMAP 007 Gold Singer』(1995年)などで起用されています。ネット上のフリー辞書Wikipedia によると、このアルバム『SMAP 004』以降、ジャニーズ事務所主導からレコード会社主導に変わったと書かれています。


SMAP『雪が降って来た』(6thシングル、1992.12、VIC)
   作詞:森浩美、作曲:馬飼野康二、編曲:長岡貢
SMAP渋谷系路線スタート。アルバムジャケからSMAPの姿が消える。


そしてSMAPの人気を決定づけた14枚目のシングル『がんばりましょう』は、SMAP渋谷系路線が結実した、記念すべきシングルとなりました。この曲は先程紹介したコンピCD『free soul』にも後に収録される人気曲NYTEFLYTE『YOU ARE』のサビを大胆に使用したものでした。『free soul』を制作した橋本が主催するクラブイベントに通う人には、すぐわかるものだったのです。現在はYoutubeでも聴けるので、ぜひ。



アイドルとしてではなく、渋谷で遊ぶ若者が「かっこいい!」と思うのと同じ目線で作られた楽曲によってSMAPは大ブレイクを果たしました。70万枚の大ヒットとなっています。


SMAP『がんばりましょう』(14thシングル、1994.9、VIC)
   作詞:小倉めぐみ、作曲:庄野賢一、編曲:庄野賢一
SMAP渋谷系路線がついに大ヒット曲を生んだ。SMAP大ブレイク!



また、『がんばりましょう』は、SMAP結成時に用意されたコンセプト「平成のクレージーキャッツ」を意識した曲でもあります。クレージーキャッツを国民的スターにした人気映画『ニッポン無責任時代』の主題歌『無責任一代男』を意識した歌詞だからです。

 ♪ おれはこの世でいちばん 無責任といわれた男
   ガキのころから調子よく ラクしてもうけるスタイル
   (中略)
   人生で大事なことは タイミングにC調に無責任
   とかくこの世は無責任 こつこつやる奴ぁご苦労さん!


その曲がヒットした1962年は、SMAPが『がんばりましょう』を歌った1994年と、まったく違う時代です。1962年は日本が高度成長時代にあったとき。日本国民が「今日よりも明日」と明るい未来を想像して労働に励んでいる時代でした。その中で、まったく真面目に働かないヒーロー像が描かれたのです。一方、SMAPが『がんばりましょう』を歌ったのは、日本がバブル崩壊に気づき、就職氷河期も意識されだした時期でした。「努力」や「根性」の価値は下がり、その文字が書かれた東京タワーのおみやげが笑われるような時代でした。真面目に働いていても明るい未来なんてないんじゃないか? 若者がそう考え始めた時代だったのです。そういう時代でも、まあ取りあえず、目の前にある仕事をこつこつやりましょうという、脱力系の歌だったのです。それぞれの時代においてカウンターとなる共に奇妙な労働歌でした。


さらに、初のベスト盤『COOL』も、70万枚近いヒットとなりました。そこでは、アルバム『006』でもチャレンジする、NY録音が活かされています。ただのベストではなく、アメリカで活躍するジャズ・フュージョン系の一流セッションミュージシャン、オマー・ハキム、バーナード・パーディーなどの演奏に差し替えられ、新しく甦ったまさにベスト盤だったのです。


SMAPはどのような大人像を提示したか?
以下のリストはSMAPの21枚目のシングル『はだかの王様〜シブトクつよく〜』から35枚目のシングル『世界で一つだけの花(シングルver.)』までの短評です。大人になってからのSMAPがどのような楽曲を歌ったか観て行きましょう。なぜ、この曲から始まるかは後で説明します。


21th. はだかの王様〜シブトクつよく〜(1996年5月)62.6万枚
⇒王様の物語がスタート。最初は裸。給料上げて?


22th. 青いイナズマ(1996年7月)81.4万枚
⇒嫉妬に狂う。まだまだ青いんです。


23th. SHAKE(1996年11月)87.6万枚
⇒きょうは最高に楽しいね。


24th. ダイナマイト(1997年2月)73.1万枚
⇒快楽優先でもいいんじゃない?


25th. セロリ(1997年5月)73.1万枚
⇒価値観の違う君だけど、出来るだけ一緒にいたい。


26th. Peace!(1997年9月)36.5万枚
⇒「ツツガ無い今日が 実は何より大事」日常の幸せに気づく。


27th. 夜空ノムコウ(1998年1月)162.0万枚
⇒結成から10年。これまでを振り返った曲。そして、もうすぐ「明日」が来る。


28th. たいせつ(1998年5月)41.1万枚
⇒浮かれてた日々を反省。理想の相手を見つけた。君を守り抜くと決意。結婚が近い?


29th. 朝日を見に行こうよ(1999年1月)38.3万枚
⇒大人になったSMAPが下の世代に向けて歌う。もうすぐ新しい太陽が昇る。でも「夢を捨てるなんて とても馬鹿なこと」。SMAPを忘れないでね。


30th. Fly(1999年6月)36.0万枚
⇒時は巡る。星はもうすぐ流れる。嵐を応援してもええねんで。でも、いつでも戻っておいで。大人のSMAPが世代交代を歌う。


31th. Let It Be(2000年2月)30.7万枚
⇒なるようにしかならないのが人生。完全に大人SMAP


32th. らいおんハート(2000年8月)156.3万枚
⇒王の物語完成。カップリング曲『オレンジ』で太陽が沈む。


33th. Smac(2001年7月)22.5万枚
⇒過去曲の断片をちりばめた歌詞。10周年? 一つの時代の終わりを表現。


34th. freebird(2002年5月)30.9万枚
⇒トップを離れて自由になった。


35th. 世界で一つだけの花(シングルver.)(2003年5月)258.2万枚
⇒アルバム曲。ジャニーズのトップではなくなったが、それでもオンリーワンですよ。



ジャニーズ事務所が大人のスターを生み出すことに方針転換したことで、「少年から大人へ」のストーリーよりも、それが終わった後の「大人」のモデルを提示出来るかが大事になったと書きました。そこで、大人のSMAPのためにあるストーリーが用意されました。その起点は『はだかの王様〜シブトクつよく』です。ここからSMAPが本物の王になるまでが描かれます。


しかし、それは古くからある英雄物語のように、他国との戦争に勝ち抜き大国の王となるというようなストーリーではありません。平成の王として、平和な日常に感謝できる大人になるまでを歌詞にしています。結婚して、家庭を持つまでのストーリーと言ってもいいかもしれません。


ちなみに、『はだかの王様』は6人目のメンバー森且行が参加した最後の曲でした。それにしても、ドラマ『ロングバケーション』の大ヒットや『SMAP×SMAP』がスタートした1996年5月に出たシングルのタイトルが『はだかの王様』とは意味深です。木村拓哉の独立騒動も関係しているのでしょうか? まあ、それは別にして、次の『青いイナズマ』も含めて、SMAPはまだまだ成長しなければならないと示されています。嫉妬に狂い自らをコントロール出来ない王では困るのですよ。


『青いイナズマ』『SHAKE』『ダイナマイト』と人気曲が続きます。特に後ろの2つは浮かれまくりの日常を歌っています。SMAPは大人気。魅力的な女性が次々と現れ大忙し。まだ、大人の落ち着きを見せてはいません。しかし、その次のシングルから様子が変わります。山崎まさよしの既発曲をカヴァーした『セロリ』は、価値観が違うことを認めながらも、出来るだけ一緒にいたいと歌うラブソングでした。



さらに、次のシングル『Peace!』では「ツツガ無い今日が 実は何より大事」と平和なる日常を歌います。かなり大人になってきました。そして、そのタイミングで名曲『夜空ノムコウ』が登場します。出だしの「あれから」という言葉がとても効果的です。SMAPが結成されたのが1988年4月。それから10年目。メンバー、ファンが思い出すあのときのこと。SMAPにもいろいろありました。デビューからこれまでを思い浮かべます。その上で「夜空ノムコウにはもう明日が待っている」という歌詞が登場しているのです。この「明日」という言葉はなにを意味しているのでしょう? それは後のシングルを見ればわかることです。



28枚目のシングル『たいせつ』では「真実は人の住む街角にある」と再び日常の幸せを歌います。しかも、『SHAKE』『ダイナマイト』で歌った「浮かれてた日」を反省。さらに、「僕らもまた新しい出来事に ふたり試されに行こう」という歌詞が登場します。これから何かが起こると言ってるのです。最後には、君を守り抜くという歌詞もあり、どうやら、ストーリー的にはここで結婚したようです。


29枚目のシングル『朝日を見に行こうよ』。これは『夜空ノムコウ』の続編です。「夜空ノムコウにはもう明日が待っている」という歌詞からさらに時間が経ち、朝日の出る時間が近づいて来ました。これは何を意味しているのでしょう? 歌詞には、これから悲しいことが起こるけど、二人の思い出を忘れないでと歌っています。前作『たいせつ』で結婚し、すでに娘がいるようです。そして、SMAPにとって悲しいことが起こるけど、そのときは新しい太陽を見においでと言っているようです。


『朝日を見に行こうよ』は嵐のデビューする1999年の最初に発売されています。そして、「朝日」という言葉がタイトルに入っているのが、嵐の2ndシングル『SUNRISE日本』でした。つまり、次のトップが生まれると予告した曲が『朝日を見に行こう』なのです。


30枚目のシングル『Fly』は暗い曲です。SMAPとしてもこのような重たい曲をシングルにするのは初めてでした。もうすぐ星(スター)は流れる。時は巡る。SMAPはトップから降りる。だから、君は新しい星の元へ飛び立ってもいいんだよ。今がどんな状況なのか、わかってほしいと言っています。


次のシングルでもそうです。『Let It Be』では、先のことはわからない、微妙な状況にあると言っています。なるようにしかならないのです。今を見失うなよとファンに警告します。そして、本当にSMAPファンが今を見失いたくなるような大事件が起こるのです。シングル発売から2ヶ月後、木村拓哉工藤静香との婚前旅行をスポーツ新聞にスクープされました。


さらに4ヶ月後、32枚目のシングル『らいおんハート』は木村拓哉のために作られた曲です。SMAPが『はじめての夏』で歌った理想の関係「君の涙を指でぬぐえる そんな距離にいつもいたい」がついに描かれます。そして「君を守るために生まれて来た」と歌うのです。これはもう決定的でしょう。この曲で『はだかの王様』から始まった本物の王への物語は完結します。木村は、SMAPは百獣の王ライオンが象徴する偉大なる王となったのです。


一方、シングル『らいおんハート』には、カップリング曲として『オレンジ』が収録されました。こちらはSMAPのシングルで歌われたストーリーの続きです。それは朝日ではなく夕日について歌われた曲でした。『朝日を見に行こう』と合わせて考えると、この「オレンジ」という言葉は新しい太陽である嵐と、沈み行く太陽であるSMAPを表現していると考えられるのです。2000年の時点で既にそこまで開示されていました。


さらに、10月にはアルバム『S map〜SMAP014』が発売されます。収録曲には木村のソロ『shiosai』があり、その歌詞がファンの不安を煽りました。「君に出会えた運命に感謝しよう」という歌詞もありました。翌月、11月には、ついに木村拓哉工藤静香が結婚するというニュースが流れたのです。そして、12月5日に二人は結婚しました。ファンにとって最悪と言ってもいい1年でした。(つづく)