きょうは批評再生塾の日なのに京都にいます。脱落寸前のところから少し立ち直りリハビリ継続中。古い映画をいろいろ観ています。きょうは引っ越しの合間にベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を読んでました。今まで読んでなかったのか? ああ読んでなかったよ。そんな読んでなかった本が本棚にずらっと並んでて壮観ですね。闘争心が早く戻ることを願います。
◉ゲンロン批評再生塾・講評・鴻英良×佐々木敦(ニコ生)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv307585288?ref=top&zroute=index&kind=top_comingsoon
その批評再生塾の佐々木敦先生が京都に来られます。演劇と小説関係のトークですね。これは行かないとな。e+でチケット買ったら「誰がお目当てですか?」とアンケートが出たので「佐々木敦」と書きましたよw 模範的な生徒でしょ? 授業でてないけど。ニコ生で観ます。裏のDOMMUNEも凄いな。でも観ます。
◉11月25日(土)15:00
YUKIO SUZUKI projects『堆積 -Accumulations-』・会場:春秋座 特設客席
【ポスト・パフォーマンス・トーク】鈴木ユキオ、ゲスト:佐々木敦(批評家)
◉11月26日(日)・時間未定・会場『外』
『筒井康隆入門』佐々木敦×青山拓央(哲学者)
『新しい小説のために』佐々木敦×福永信(小説家)
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◉21世紀初頭の身体表象ーーその特質を表す適切な命名法を考案し、その命名の適切性、有効性を具体的な作品、事象によって論証せよ(鴻英良)
http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/subjects/9/
『肉体とは何か、それを「さまざまな出来事が刻み込まれる平面」と定義したのはミシェル・フーコーであった。もしそうだとするならば、出来事の多様性によって肉体もまた多様な姿をとって現れるだろう。いや、むしろ現実に、歴史的な推移の中で、肉体があまりにも違った姿で表象されてきたことを確認することからフーコーはこのような肉体の定義に辿り着いたのだ。特権的肉体、器官なき身体、錯乱する身体、衰弱体、カタストロフィーの身体、こども身体、表層的身体、エイリアンの身体、滑走する身体、崩壊する皮膚など、われわれの周りでも、身体はさまざまに命名されてきた。もちろんそれは身体の普遍的な特徴を指し示すものではなく、その時々のそのありうべき姿、もしくは現実にある身体についての命名である。歴史性と地域性を背負った肉体はそのときどきで別の顔をわれわれに見せてくる。それは強いられ、余儀なくされて生み出されたものであったり、抵抗の中から生み出されてきたものであったり、あるいは無自覚、無意識的なものであったりさまざまであるが、現実に提示された肉体から、われわれは出来事の歴史を、社会の現実を想像することもできる。そして、われわれの課題である。それを繰り返そう。21世紀初頭の身体表象を特徴づけるものは何か。芸術作品はそれをどのように表象しているか。演劇、ダンス、美術、音楽、スポーツ、文学、いや、国会、車内、街頭、酒場、何でもいい、どこでもいい、21世紀初頭のいまを身体的な現象を通して読み解くことが出来るならば、素材は何でもいい。奇抜な命名、事例、大歓迎です。ということで、皆さんの原稿をお待ちしております。(おおとり ひでなが)』