ハノイの日本人

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ジャニーズの歴史的名曲 10選。後半

 

ジャニー社長の容態が発表されました。くも膜下出血での緊急入院だったそうです。表に出てくる人ではありませんが、元気になった姿を一度くらいは見たいな。ジャニーズの名曲10選の後半に参ります。この10曲は私が好きな曲を選んだわけではありません。ジャニーズの歴史を調べた上で考えた結果です。ご覧ください。前半はリンク先にあります。 https://hanoisan.hatenadiary.jp/entry/2019/06/23/011039

  

1.  Never My Love    / ジャニーズ(1966年、未発表)

2.  男の子女の子      / 郷ひろみ(1972年)

3.  よろしく哀愁      / 郷ひろみ(1974年)

4.  スニーカーぶる〜す近藤真彦(1980年)

5.  荒野のメガロポリス光GENJI(1990年) 

6.  がんばりましょう  / SMAP(1994年)

7.  硝子の少年     / KinKi Kids(1997年)

8.  世界に一つだけの花SMAP(2002年)

9.  One Love       / 嵐(2008年)

10.  Shake it baby      / Kis-My-Ft2(2012年)

 

郷ひろみSMAPで4曲も入りました。でも外せないんですよ。理由を書いておきます。この10曲以外で絶対に入れないといけない曲はあるかな? 新しい曲がここに入ってくることを願っているんですけど。

 

 

6.  がんばりましょう / SMAP(1994年)

90年代に入り、ジャニーズ事務所に2度目の冬がきます。J-POPにミリオンセラーが続出した1991年、SMAPのデビュー曲は15万枚と寂しいものでした。そこで次のシングルから路線変更に入ります。『正義の味方はあてにならない』でヒーローの不在を歌い(木村拓哉の結婚&ドラマで伏線回収)、さらに『心の鏡』で事務所の方針転換を示します。簡単に言うと、ガラスのような繊細な少年の心が壊れて大人になっても、輝き続けるという歌詞。つまり、少年アイドル専門で繁栄してきたジャニーズ事務所が、創立30周年にあたる1992年からは大人のアイドル、もしくは国民的スターの輩出に方針転換したのです。そして、その成否はSMAPにかかっていました。

 

1993年、フジテレビ「月9」ドラマ出演をきっかけに木村拓哉の人気に火がつきます。SMAP『$10』がヒット、翌年メンバー主演映画『シュート!』の主題歌『Hey Hey おおきに毎度あり』がオリコン1位を取って冬の時代を終わらせます。そして決定打となったのが『がんばりましょう』の70万枚を超える大ヒットでした。この曲の歌詞はSMAP結成時に与えられたコンセプトが関係していました。「平成のクレージーキャッツ」です。SMAPは笑いと音楽の両方できるグループを目指して結成されたのです。右肩上がりの時代は終わり、日本は下り坂。そんな時代でも肩の力を抜いて、コツコツ毎日がんばりましょうという脱力系労働歌になっています。この曲でSMAPは若い男性会社員にも聴かれる新しいアイドル像を完成させたのでした。

 

 

7.  硝子の少年 / KinKi Kids(1997年)

SMAPの次に人気が爆発したのが KinKi Kidsの2人でした。野島伸司脚本のドラマ『人間・失格』(1994年)の出演で全国に人気が広がります。そして、待ちに待ったデビュー曲が3年後に発売されます。2人の人気はデビュー前にも関わらず武道館、横アリ、大阪城ホールを満員にするほどでした。(ジャニーズとしては)当然のデビュー曲ミリオンがノルマでした。そのミッションを請け負ったのは、日本を代表するミュージシャン山下達郎と、近藤真彦デビューでミッションをクリアした作詞家の松本隆でした。

 

この時、キンキらしい明るい曲ではミリオンに届かないと感じた山下は、一旦完成しかかった曲を置いて、別の曲を作ります。それはキンキファンの娘と、かつてジャニーズファンだった母とを結びつける懐かしさも感じさせる曲でした。松本はその曲に『硝子の少年』というタイトルを与えます。「硝子」は光GENJI『ガラスの10代』でもわかるように、繊細な少年の心を表す80年代ジャニーズのシンボルとも言える言葉でした。過去との繋がりはジャニーズファン以外にも届いたようです。ミリオンを軽く突破し179万枚を記録しています。「アイドルなんかに熱狂してないで勉強しなさい」という時代は過ぎ去り、母娘でアイドルを応援する時代の幕開けとなりました。

 

 

8.  世界に一つだけの花SMAP(2002年)

ブレイクして以降のSMAPは90年代を通して絶好調。バラエティ番組『SMAP✖️SMAP』やライブを中心に、ファンを楽しませ続けます。しかし、2000年に事件が起こります。人気を牽引してきた木村拓哉工藤静香と結婚。号外が出るほどの大ニュースでした。翌月、木村の主演ドラマ『HERO』が放送されます。その視聴率が初回から1度も30%を割ることのない大成功。アイドルとして人気を急落させかねない結婚で、逆に高齢者世代にも話題となり、SMAPはそれ以降国民的アイドルと呼ばれるようになりました。

 

しかし、結婚したタレントがいるグループをトップにしておくジャニーズではありません。世代交代をスタートさせます。2000年には、木村の結婚報道で流れまくる『らいおんハート』というミリオンヒットがあったSMAPは、それ以降売るためのシングルを出さなくなるのです。約1年ぶりに発売された『Smac』はデビュー10周年記念のシングルでしたが、過去曲の歌詞の断片が並べられたファンのみに向けられたシングルで売上枚数は22万枚と急減します。そして、2002年に後輩グループ嵐が、彼らのためにレーベル J Stormでリスタート。SMAPから嵐へという流れが起こります。しかし、ここでSMAP最大のヒット曲は誕生したのです。アルバム収録曲『世界に一つだけの花』は世界平和を願うSMAPが王として君臨する国の国歌でした。それはジャニーズ史上最大のヒット曲となりました。

 

 

9.  One Love / 嵐(2008年)

なかなか頭角を表さない嵐でしたが、2005年あたりから風向きが変わります。松本潤がドラマ『花より男子』の道明寺役で出演し、これがシリーズ化。2006年、二宮和也クリント・イーストウッド監督『硫黄島からの手紙』に出演。嵐への注目が集まって行きます。2007年には初の東京ドーム公演を行い、2008年ついに5大ドームツアーを行います。ここで大きな発表がありました。アジアツアーに加えて国立でのライブが発表されたのです。それはジャニーズの大事件でした。

 

2005年、国立において単独公演として初めてライブを行ったのがSMAPでした。2006年も続けてライブを行いますが、2007年は行わず、2008年にライブを行ったのが嵐だったのです。それは王位がSMAPから嵐に移譲される儀式でした。そこで歌うために用意された曲が嵐の国の国民に百年の愛を誓う国歌『One Love』でした(映画『花より男子F』主題歌)。その後数年はテレビ視聴率で苦戦もしますが、その時期を抜けて安定政権となっています。しかし、2016年のSMAPが解散から数年が経った2019年1月、嵐も年内での活動休止を発表します。嵐から次のグループへ、王位は移譲できるのか?

 

 

10.  Shake it baby / Kis-My-Ft2(2012年)

2010年、J-POPに黒船がやってきます。それまではアジアの音楽をリードしてきた日本でしたが、勢力図が激変するのです。K-POPの女子アイドルグループ KARA が日本デビューし、ヒットを記録します。翌年には少女時代も日本デビュー。2011年末のNHK紅白では、KARA、少女時代、東方神起と3組ものK-POPグループが出演します。また、少女時代は翌年、アルバムでミリオンセラーを達成。特に女性を中心に韓国に憧れる層が急増します。これはサウンドクオリティでK-POPが J-POPを上回ったために起こったものです。海外ミュージシャンを楽曲制作で起用し、世界に通用するサウンドK-POPは目指しました。

 

J-POPを代表するヒットメイカー、ジャニーズもEDMに対応する必要があったはずです。しかし、HIPHOP、そしてその流れにあるR&Bに馴染みのなかった経営陣は、K-POPの躍進を一過性のものと見てしまったようです。しかし、その中で Kis-My-Ft2 のこの曲だけは十分に K-POPに対抗できるものでした。キスマイが所属するエイベックスが韓国とも関係の深いレコード会社だから実現できたのかもしれません。正直、2019年現在も、ジャニーズは世界標準のサウンドを達成していません。ジャニーズJr. にはラップもかなりやらせているので、今後デビューするグループに期待ですね。

 

 

11. ゴメンネ ジュリエット / 山下智久(2007年、アルバム収録)

ジャニー社長が闘病中なのに、寂しい終わり方はできません。もう1曲選びました。美しい曲ですが、それが選んだ理由ではありません。ジャニーズには『ロミオとジュリエット』関連の曲がいくつかありますよね。田原俊彦とか、Hey! Say! JUMPとかw もちろんシェイクスピアの人気舞台劇ですから、それをモチーフにした曲があってもおかしくないんですけど、それだけじゃないんです。

 

最初のグループ、ジャニーズの結成理由は知っていますか? ミュージカル映画『ウエストサイド物語』を観に行った野球チーム、ジャニーズのメンバーが、僕たちもミュージカルがやりたいと言ったのがきっかけだと言われています。実はその映画は『ロミオとジュリエット』の舞台をニューヨークのストリートに置き換えたものだったのです。ニューヨークにやってきた新旧移民の抗争と悲恋がミュージカルとして描かれています。というわけで、『ロミオとジュリエット』はジャニーズの原点なのです。