ハノイの日本人

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ジャニーズの教科書。第2章「硝子の少年」④

前回の文章を書き換えました。事情は前回の文章をご覧下さい。



◉ジャニーズの教科書。第2章「硝子の少年」①〜③
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150406/1428325419
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150413/1428932089
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150420/1429533329


大江千里は『太陽がいっぱい』で、次ぎに来る通過儀礼ソングを予告した。だが、飛鳥はその予告を無視している。制作サイドからは通過儀礼ソングであると発注段階で示されたはずなのに、セックスを介在させなかったのだ。あくまでも自分が作り出した初めの3部作の延長上にあるファンタジー路線の通過儀礼ソングを用意した。なぜか? CHAGEASKAのノンフィクション本は1989年で終わっている。そのため『荒野のメガロポリス』については語っていない。私の推測を書こうと思う。


1990年2月、光GENJI 8枚目のシングルで 飛鳥涼 が久々に起用される。制作サイドとしても 光GENJI のこの先を描くのに、飛鳥の力が必要だったのだろう。しかし、皮肉にも光GENJIブームはこの曲で終りを迎える。最初にも書いた、がくっと売り上げを落とした曲『荒野のメガロポリス』だ。サビの歌詞は、、、


 ♪ 誰か愛を投げて 夜をとめて 愛をなげて 光ごと
   崩れて行く時代の景色 見つめてた


これが発売されたのが1990年2月だったことに驚いた。まるでバブル崩壊を予言したような歌詞だからだ。少し寄り道してバブル崩壊について書いておく。バブル崩壊とは、日本に長らくあった土地神話の崩壊のことだった。日本の国土は狭いので、土地価格は下がることなく永遠に高くなると日本人は信じていた。東京だけでなく地方においてもだ。


正確には、地価が明確に下がりだしたのは1992年になる。本格的に景気が悪化し、バブル崩壊が認識されだしたのは1993年頃だと言われている。しかし、株式市場のピークは1989年の一番最後の営業日だった。株価は実体経済に先行するのが普通なのだ。


1990年の最初の日から株価は急激に下げ始めた。4万円近くだった日経平均株価は、10月には2万円を割り込んだ。しかし、このときですら「バブルが弾けた」と考える者はいなかった。また上昇に転じるだろうと考えたからだ。廃墟と化した大都会をイメージさせる『荒野のメガロポリス』。飛鳥涼はなにを狙ってこの歌詞を書いたのだろう?


光GENJI とバブルの時代
1980年1月1日 沢田研二シングル『TOKIO』発売
1981年3月 神戸ポートピア博覧会開催
1983年4月 東京ディズニーランド、オープン
1985年3月 つくば’85開催
1985年4月 フジテレビ『夕やけニャンニャン』スタート
1985年9月 プラザ合意円高を容認、これ以降急激な円高
1985年12月 週刊『少年ジャンプ』で車田正美聖闘士星矢』スタート
1986年2月 チャゲ&飛鳥『モーニングムーン』ヒット(PC移籍第一弾)
1987年5月 CHAGEASKA 11枚目のアルバム『 Mr. ASIA 』発売
1987年6月 マドンナ初来日『 Who’s That Girl Tour 』後楽園球場など
1987年6月 ミュージカル『スターライトエクスプレス』フジテレビ開局30周年記念として日本公演
1987年6月 おニャン子クラブ解散を発表(9月解散)
1987年7月 フジテレビ系主催で『夢工場’87』開催
1987年8月 光GENJI シングル『 STAR LIGHT 』でデビュー
1987年9月〜 マイケルジャクソン『“Japan Tour 1987”』後楽園球場など
1988年12月 マイケルジャクソン『“Japan Tour 1988”』
1989年12月 日経平均、最終日に史上最高値3万8915円をつける
1990年2月 光GENJI 8枚目のシングル『荒野のメガロポリス』発売
1990年2月 ローリングストーンズ 東京ドーム10日公演
1990年10月 日経平均、一時2万円を割りこむ
1990年12月 海外旅行者数、年間1000万人を突破
1990年12月 週刊少年ジャンプ、公称600万部を突破


光GENJI はバブルの時代を象徴するグループと言われている。人気のピークがバブル景気にわいた1987〜89年と重なっているからだ。それだけではない。デビュー曲『STAR LIGHT』は、フジテレビの冠イベント、ミュージカル『STAR LIGHT EXPRESS』のイメージソングだった。バブルを象徴する企業協賛の冠イベントに関わってデビューしているのだ。


だが、飛鳥が『荒野のメガロポリス』を書いたときには、バブルの崩壊は意識されていなかった。なのに、この曲にはそれを予言する歌詞が書かれている。出だしから「♪ 青い空が消えて行く 寒い寒い夢の中」とあるのだ。光GENJI のイメージに合わない歌詞に驚かれたのではないだろうか? 


誤解しないでほしい。私はこの曲を名曲だと思っている。ドラマチックな曲調とローラースケートを交えたパフォーマンス。現在の目から見ると、この曲こそ光GENJI を代表する一曲と言ってもいいくらいだ。それでも、『太陽がいっぱい』の夏の雰囲気から、いきなり極寒の地。リアルタイムで聴いたファンはさぞかしショックを受けたことだろう。これはいくらなんでも無理があったのではないか? 


飛鳥はバブル崩壊を予言したかったわけではない。だが、80年代が 沢田研二TOKIO』で始まったように、自分の書いた曲でその10年を締めくくろうとした可能性もあるだろうか? しかし、それにしてはあまりにも厳しい内容に思える。では、彼はなにをしたかったのか? その意図を考えてみたい。


光GENJI荒野のメガロポリス』(8thシングル、1990.2、PC)
   作詞:飛鳥涼、作曲:飛鳥涼、編曲:佐藤準
⇒たった2年でバブル崩壊! 光GENJIの人気も急落。でも名曲。


まず、先にも書いた通り『パラダイス銀河』には、夢の中ならどこでも行けるという設定があった。その設定を『荒野のメガロポリス』で終わらせている。なので、光り輝く世界が終了したところからスタートしているのだ。悪夢のような寒い光景が広がっていた。どうやら、光GENJI がデビュー以来描いてきたガラスの少年の物語はこの曲で終わったようだ。「♪ 冷めた太陽 ささやいている 命を返す 時間が来たよ」という歌詞がそれを証明している。


これまで、郷ひろみから引き継がれて来た物語において、少年が死んだことはない。みんな死なずに大人になっていた。このとき初めて少年は死んだのだ。松本隆KinKi Kids『硝子の少年』で殺すより前に、飛鳥が少年を殺していたのだ!


「ガラスの少年」の生みの親、松本の立場になって考えてみれば・・・

 勝手にガラスの少年を使い
 勝手に改ざんし
 勝手に殺しやがった!

      ・・・・となる。これでは松本が怒るのも無理がない。


ただし、この曲だけで考えてはいけない。『荒野のメガロポリス』のカップリング曲『PLEASE』と、次のシングル『Little Birthday』も飛鳥涼の作品だからだ。


 ♪ 涙流せたことがすてきだな
   生まれ変われることが出来るなら Birthday


上の『Little Birthday』の歌詞「涙流せたこと」とは、もちろん『荒野のメガロポリス』で描かれた内容を指している。つまり、この3曲で「生まれ変わり」を表現したことがわかる。死と再生。ただ殺したわけではなかったのだ。では、光GENJI はなにに生まれ変わったのか? 


もちろん、大人に生まれ変わったのだろう。少年から大人への変化をわかりやすくファンに伝えるために、『荒野のメガロポリス』はショックを与える内容となっていた。これは正しく光GENJI通過儀礼ソングだ。


しかし、そのショックは強過ぎた。前のシングル『太陽がいっぱい』は 69.3万枚売れたが、『荒野のメガロポリス』はたったの 26.4万枚だった。売上枚数が一気に3分の1に激減した。やはり、急激な変化にファンがついてこれなかったのだろう。


◉1988年11月、北公次著『光GENJIへ』発売
それにしても、光GENJI荒野のメガロポリス』は異彩を放っている。突飛な歌詞が多いジャニーズのヒット曲の中でも、飛び抜けて過剰な表現が目立つ。『パラダイス銀河』の光に対しての闇であるにしても、度を超している気がするのだ。なにか別の理由があったのではないか?


 ♪ 青い空が消えて行く 寒い寒い夢の中
   赤い羽根の馬が飛ぶ 翼痛め悲しげに


1988年11月、元フォーリーブスの中心メンバー北公次が『光GENJIへ』(データハウス)というタイトルの書籍を出版した。一見、光GENJIのブームに便乗した北の自伝のよう見える。しかし、その中身は強烈なものだった。北がジャニー社長と恋愛関係にあったと告白したからだ。


数々の男性アイドルを輩出したジャニーズ事務所の社長が同性愛者だと書かれていた。この本はベストセラーになり、関連書籍も十冊以上発売された。ジャニーズの影の部分が広く知られることになった。


しかし、意外にもこのときには 光GENJIブームに減速感はなかった。光GENJI は1988年末に『パラダイス銀河』でレコード大賞を受賞。そして、その翌年に発売されたシングル『太陽がいっぱい』は『パラダイス銀河』に次ぐ売上枚数を記録している。一見、何事もなかったように活動を続けているのだ。


飛鳥はこの出来事を苦い気持ちで見ていたのかも知れない。そして、自らの手で少年の死と再生を書く決意をしたのではなかっただろうか? あらためて飛鳥の3部作『荒野のメガロポリス』『PLEASE』『Little Birthday』の歌詞を見てみよう。


◉飛鳥の祈り。終わりの3部作
荒野のメガロポリス』とセットで作られた『PLEASE』には以下のような歌詞がある。


 ♪ 愛を投げましょう 夜を止めましょう
   未来の鍵は 神様 あなたのエスコート
   もしも僕たちが やさしさを失くせば
   今度ばかりは 神様 あなたのミステイク


この歌詞は北公次の告発に同調したものだろう。神様とは光GENJI に対して絶対的な力を持っているジャニー社長のことだ。タレントとの性的な行為を止めないと、僕たちもやさしい顔をしていられないと警告している。


光GENJI『PLEASE』(8thシングル・カップリング曲、1990.2、PC)
   作詞:飛鳥涼、作曲:飛鳥涼、編曲:佐藤準
飛鳥涼北公次の告発に同調した。


そして、次のシングル『Little Birthday』には、以下の歌詞が登場する。


 ♪ 君の瞳の中 もう一度見たいな
   僕が投げ込んでた あの日の夢を 夢を


この2行は『太陽がいっぱい』の「今すぐそこまで 泳いで 瞳をさらいにゆくのさ」という歌詞のことを書いているのだろう。つまり、飛鳥は光GENJI の物語にリセットをかけた上で、もう一度通過儀礼をやり直す準備をしていたのだ。光GENJI の健全な成長を本気で願った3部作だった。光GENJI のメンバーにはこのメッセージが伝わっただろうか?


光GENJI『Little Birthday』(9thシングル、1990.5、PC)
   作詞:飛鳥涼、作曲:飛鳥涼/佐藤準、編曲:佐藤準
光GENJIは生まれ変わって通過儀礼をもう一度やり直す。


以上のような経緯で、飛鳥涼による光GENJI少年時代終わりの3部作は書かれたと私は考える。少年だった光GENJIはスーパーアイドルとして輝いた。だが、大人のスターになることはなかった。残念だがその境ははっきりと売上枚数に刻まれている。そして、通過儀礼ソングのやり直しがこの後行われる。それはこれまで通りセックスを介在させた歌になった。



飛鳥涼の終わりの3部作を経て、10枚目のシングル『CO CO RO』が発売される。これがまた問題作だった。飛鳥の書いた3部作があっさり否定されてしまったからだ。ジャニー社長に飛鳥のメッセージは届かなかったのだろうか?


 ♪ ココロはきみの隣にいるよ
   涙の仮面 棄ててしまえば やさしさがノックする


涙は仮面に過ぎなかった・・・・ 『Little Birthday』で歌われた「♪ 涙流せたことがすてきだな」が完全に否定された。「光GENJI の素顔はもちろん笑顔だよ!」と言っているのだ。


これはジャニー社長から飛鳥への回答だったのだろうか? 恐らく違う。レコード会社、ジャニーズ事務所は単に売上枚数の急減に慌てたのだろう。軌道修正を試みて『パラダイス銀河』や『太陽がいっぱい』のような光GENJIらしさにあふれる楽曲を再び用意した。『CO CO RO』の作詞は森浩美、作曲は馬飼野康二。90年代ジャニーズの主力作家陣だ。


しかし、この光GENJI 全盛期を彷彿させるポップソングでも、売り上げは取り戻せなかった。20.6万枚。さらに、11枚目のシングル『笑ってよ』でもファンへのメッセージは続く。


 ♪ 僕がいるよ いつでもいるよ darling darling 笑ってよ


ファンの心離れを正直に表現した歌詞だ。これまた売上枚数の下落を止めることは出来ず、ついに20万枚割れを記録。19.2万枚。『荒野のメガロポリス』が与えたショックは想像以上に大きかった。売上枚数が戻ることはなかったのだ。


もう一つ。飛鳥は通過儀礼をやり直す準備をしてくれていた。それについてはどうだろう? 『CO CO RO』では「♪ このままで諦めるの? 同じ夢を見て来たはずさ」という歌詞があり、まずファンとの絆が確認されている。そして、「♪ CO CO RO だけは裸になれ すべてを見せればいいのさ」という歌詞が登場する。裸になるのは、本当に心だけなのだろうか?


光GENJI『CO CO RO』(10thシングル、1990.8、PC)
   作詞:森浩美、作曲:馬飼野康二、編曲:船山基紀
光GENJI 終わりの3部作を否定。そして、セックスに誘う? 対話ソング。


ジャニーズ事務所通過儀礼において、これまでと同じように女性とセックスしたことを示す歌詞を必要とした。ファンが女性であることを考えれば、それは当然のことかも知れない。そのため『CO CO RO』と『笑ってよ』を使って、もう一度少年と大人の「境」を示して見せた。シングル『笑ってよ』では、しっかり大人の世界へ踏み込んでいる。


 ♪ 久しぶりに呼び出されて シャワーなんか浴びた


呼び出されてシャワーを浴びた。異性の家に行きシャワーを浴びた。これはセックスをしたと理解して問題ないはずだ。もう少年だった光GENJI はそこにはいない。



光GENJI『笑ってよ』(11thシングル、1990.11、PC)
   作詞:三浦徳子、作曲:馬飼野康二、編曲:馬飼野康二
⇒大人の男女関係を描くことで光GENJIがすでに少年ではないことを示す。


ここまで来るのに苦労した。歌詞を積み重ねることで、光GENJIの少年から大人へは完結した。ジャニーズではこれ以降も、度々通過儀礼を表現する曲が登場する。厳しい試練(セックス)をくぐり抜け少年から大人へ生まれ変わる。そこでは形式上の「死」が描かれる場合もある。そのことを表現した曲を「通過儀礼ソング」と呼んでいる。


光GENJI荒野のメガロポリス』とKinKi Kids『硝子の少年』は、ともにセックスを介在させずに描かれた通過儀礼ソングだった。しかし、ジャニーズにおいて通過儀礼を済ませた「大人」とは、セックスを経験したもののことを言う。だから、『笑ってよ』においてしっかりと表現する必要があったのだろう。「♪ 呼吸をとめて Love Again 信じあえば Try Again」と言うようにだ。


ここで「(異性との)セックスは厳しい試練なのか?」という疑問を持つ方もおられるだろうか? ジャニーズでは試練と見なされているとだけ答えておこう。(つづく)


*音楽評論家の榊ひろと著『筒美京平ヒットストーリー1967-1998』には、郷ひろみよろしく哀愁』の項で特に説明もなく「通過儀礼ソング」という言葉が使われていた。もしかしたら、作家への発注時には、その言葉が普通に使われているのかも知れない。


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◉ジャニーズの教科書。第5章『嵐からHey! Say! JUMPへ』(パブー)

http://p.booklog.jp/book/97021

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