ハノイの日本人

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ジャニーズの教科書。第3章「SMAP、そして父になる」③

前回はSMAPのお笑い修行を中心に見ましたが、今回はSMAPの「M」ミュージックを見て行きます。CDが売れて売れて仕方ない時代の始まりでした。なのに、どうしてジャニーズだけは売れないのか?


◉ジャニーズの教科書。第3章「SMAPそして父になる」①〜②
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150518/1431934444




◉ジャニーズ・タレント総崩れ

光GENJIの14枚目のシングル 『WINNING RUN』発売の次の月、1991年の9月にSMAPはデビューします。デビュー曲『Can’t Stop!!-LOVING-』の売上枚数は15万枚。80年代にデビューした先輩グループの数字から比べると非常に寂しいものでした。しかし、既に書いたように、SMAPがデビューする前に、ジャニーズ事務所のブランド力がそこまで落ちていたのです。80年代スタイルのジャニーズでは、ファン以外からは相手にされなくなっていました。


SMAPCan’t Stop!!-LOVING-』(1stシングル、1991.9、ビクター)
   作詞:森浩美、作曲:Jimmy Johnson、編曲:船山基紀
⇒ジャニーズにブランド力がなくなったことを証明した曲。


当時のヒット曲の数字を見てもらえば、ジャニーズの落ち込み具合がさらに鮮明になります。現在のようにCDが売れない時代ではなかったのです。SMAPがデビューした年のオリコン年間シングルチャートBEST5を見てみましょう。



◉1991年 年間シングルチャート
1位 Oh!Yeah/ ラブ・ストーリーは突然に小田和正(254.1万枚)
2位 SAY YES / CHAGEASKA(250.4万枚)
3位 愛は勝つ / KAN(186.3万枚)
4位 どんなときも /槙原敬之(116.4万枚)
5位 はじまりはいつも雨 / ASKA(107.0万枚)



めちゃくちゃ売れています(笑)。もちろん握手なし。80年代後半からオーディオマニア以外にもCDが普及し、テレビドラマの主題歌などからメガヒットが続々と誕生します。CD自体がブームだったとも言えるでしょうか?


小田和正ラブ・ストーリーは突然に』やCHAGEASKA『SAY YES』は、フジテレビのトレンディ・ドラマ主題歌として、ドラマのヒットと共に軽々とミリオンを突破しました。フジが時代をつくっていた時期が確かにあったのです。小田和正254万枚、チャゲアス250万枚、SMAP15万枚。これはショックです。また、KAN『愛は勝つ』は1990年9月に発売し、ロングセラーを記録。累計で200万枚を突破しました。アルバムでは松任谷由実『LOVE WARS』が160万枚を超えるメガヒットを記録。ユーミンはこの年から連続してミリオン、ダブルミリオンと勢いを増して行きます。



さて、ここでクイズです。そのような状況で、1991年の年間シングルチャート、100位以内に入ったジャニーズの曲は何曲あったでしょう? 


わかりますか? ちなみに、2010年は嵐を筆頭に24曲が入っています。凄いですね。4分の1近くがジャニーズです。さらに、2011年は23曲、2012年は26曲、2013年は26曲、2014年は30曲ランクインしています。で、SMAPがデビューした1991年ですが、、、、  


ありませんでした! 1曲もなかったんです。驚きますよね? じゃあ、1992年はどうでしょう? 83位に田原俊彦『雨が叫んでる』が24.3万枚で入っていました。でも、それだけです。1993年はどうでしょう? ドラマ『あすなろ白書』で木村拓哉の人気が上昇した年です。そろそろSMAPが売れて来た頃でしょうか? 


ありませんでした! 『$10』も入っていません。びっくりしました。3年間で年間チャートの100位以内に入ったジャニーズのシングルがたったの1曲ですよ! ジャニーズにこんな厳冬期があったなんて想像できるでしょうか? でも、事実として1991〜1993年まではジャニーズ・タレント総崩れだったわけです。ジャニーズの歴史を語る上で、SMAPデビュー当時のことはもっと検証されていいと思います。


では、ジャニーズのブランド力が落ちた原因はなんだったのか? 前章『硝子の少年漂流記』で書いたように「光GENJI が未来ごと売り渡した」からなのでしょうか? 『ガラスの十代』という、ジャニーズを象徴する言葉をタイトルにし、爆発的人気を呼び、そして、自爆した。そのことでジャニーズが売りにしてきた「美少年アイドル」というジャンルもろとも一度滅びてしまったのだと・・・・


まあ、それだけで説明出来る話ではありません。前章ではジャニー社長のスキャンダルについても書きました。その影響もあったはずです。ですが、時代の変化の方が遥かに大きかったのではないでしょうか。そして、ジャニーズもそれに合わせて変化する必要があったのです。


◉3度目のバンドブーム

例えば、90年代前半には「バンドブーム」がありました。89年2月からTBSの深夜番組として『三宅裕司いかすバンド天国』通称『いか天』が始まっています。もちろん、それ以前に原宿の歩行者天国ホコ天)で活動するバンド群、インディーズ・レーベルのブームがあり、全国的なバンドブームを誕生させる下地があったわけです。



なので、バンドブームは80年代後半から始まっていたと言ってもいいでしょう。1986年にはBOOWY『B.BLUE』がヒットしました。1988年にはブルーハーツが初めて武道館でのライブを行っていますし、BUCK-TICKのメジャーデビューもこの年です。そのあたりから、ユニコーン、JUN SKY WALKERS、プリンセス・プリンセスなどが大ブレイクして行きます。ロックが本格的に売れる時代になっていました。



しかし、『イカ天』以降は行き過ぎたブームにも見えました。技術もセンスも持ち合わせたバンドも登場しましたが、一発芸的なバンドも多数見られたのです。当時の主流はビートパンクと呼ばれていました。タテノリの音楽。みんなビートにあわせて飛び跳ねました。観客が踊る時代になっていたのです。




実のところ、ジャニーズ事務所はバンドブームとの相性が非常に悪いのです。最初は1966年からのGSブームです。この時には初代ジャニーズが解散しています。70年代に入り、ロック御三家の原田真二(当時アミューズ所属)がデビューしたのが1977年。サザンオールスターズアミューズ所属)のデビューが1978年。『いとしのエリー』は1979年。この辺りはジャニーズの厳冬期です。そして90年代、『イカ天』(企画:アミューズ)は3度目のバンドブームでした(えっ、アミューズ?)。




アーチスト=実力。アイドル=顔だけ。ロックバンドが人気の時代には、そんな空気が支配しているのかもしれません。また、ロックバンドの隆盛とともに、数々のアイドルたちが人気を競いあったベストテン番組も姿を消しました。


光GENJIがランクインした週には必ず出演していた番組『ザ・ベストテン』が終了したのもSMAPデビュー前のことでした。アイドルが歌を披露する場所自体が激減したのです。キー曲のプライムタイムでは唯一、タモリを司会に据えた『ミュージックステーション』だけが頑張っていました。SMAPが「お笑い」に挑戦したのはこのことと関係ありませんが、危機を回避できたのは事実でしょう。


ザ・ベストテン終了(TBS系、1978年〜1989年9月)
歌のトップテン終了(日テレ系、1969年〜1990年3月)
夜のヒットスタジオ終了(フジ系、1968年〜1990年10月)
ミュージックステーションテレビ朝日系、1986年10月〜)


CDが普及しだしたのは1985年あたりからです。90年代に入るとレコードの生産は急激に縮小しました。そのようなハードの変化が音楽に与えた影響もあるでしょう。新しいメディア、CDに相応しい音楽を求める。そういう消費者の動向もあったと思います。また、1988年には J-WAVEという洋楽しか放送しないと謳ったFM局も開局しています。



他では、先程も触れたお笑いタレントのアイドル化もジャニーズに影響を与えます。顔がいいことよりも面白い人がモテる時代が来たのです。その始まりは1980年です。漫才ブームに乗り、ザ・ぼんちのレコード『恋のぼんちシート』が80万枚を売り上げます。このときは近藤真彦スニーカーぶる〜す』が大ヒット中でぼんちの1位を阻止しました。また、先ほども紹介した萩本欽一プロデュースのイモ欽トリオ風見慎吾もありました。



さらに、1984年にはコントグループとんねるずが発売したシングル『一気!』がヒットしています。彼らはおニャン子クラブを生んだ夕方の番組『夕焼けニャンニャン』にレギュラー出演したことで、全国的な人気を獲得して行きます。とんねるずの番組『みなさんのおかげです』(フジ系)には、チェッカーズも参加して笑いを取っていました。


1986年にはダウンタウンが心斎橋2丁目劇場を中心にアイドル的な人気を獲得して行きます。1988年にはウッチャンナンチャンらとバラエティ番組『夢で逢えたら』を開始。全国での人気が上昇します。



このようなお笑い芸人のアイドル化を脅威に思ったというのが、SMAP結成の背景として説明出来るでしょう。歌番組がなくなる前から、次の時代への準備をはじめていたのです。光GENJIのブームがどれだけ凄くても、ジャニー社長が気を緩めることはありませんでした。どちらかと言うと将来への不安を感じていたかもしれないでのす。


例えば、85年にデビューした少年隊は成功していますが、83年のイーグルスは期待されてのデビューであったにも関わらず自然消滅しています。少年隊は歌って踊るだけでなくアクロバットという武器がありました。時代はさらなるスペクタクルを要求していたのです。そして、誕生したのがローラースケートで駆け回るアイドル光GENJIでした。



80年代後半には失速してもおかしくなかったジャニーズですが、そこは光GENJIというスーパーグループを生み出し乗り越えてしまったのです。90年にデビューした忍者は美空ひばりのカヴァーとアクロバットを売りに登場しました。普通に歌うグループでは売れないという認識は既にあったわけです。そして、91年にデビューしたSMAPは「お笑い」と「音楽」が出来るグループとして活動することになりました。次に、SMAPの楽曲を見て行きましょう。(つづく)