ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

京都サンガの名前の意味を調べていたら・・・・

よくアイドルと宗教みたいなことを語る人がいるけど、あんまり真に受けない方がいいと思うんですよ。ファンの人生なんて背負えないし。構造的にそういう関係があるとしても、関係ないよね。でも、下のインタビュー記事は面白かった。「是非お布施をさせていただきたい」と言わせる方法が書かれていますよw


◉日本の仏教は、釈迦の教えではない!?(佐々木閑
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20150519/281311
『佐々木:(前略)多くの人は、僧侶になるということは1人で孤独に出家するというイメージを持っているでしょうが、本来の出家とは、一般社会から離脱して特定の価値観で生きようと願う人たちが集まって別の組織をつくる、つまり、島社会の形成にあるのです。仏教の場合、その出家集団としての島社会をサンガと呼びます。日本語でいう「僧」という言葉は、このサンガを意味しています。(中略)そういった島社会の人たちは、皆が同じ価値観を共有しながら身を寄せ合って生きています。ところがその場合、大きな問題が1つ生じます。一般社会、つまり俗世間というものは、本質的に物質的繁栄や富の蓄積を目指しますから、生産効率の向上が必須の要件となります。つまり、より豊かになるために全力を挙げる世界なのです。しかし、そこから飛び出した島社会の人々は、物質的豊かさではない、また別の生き方を目指すのですから、その生産効率は一般社会より必ず低くなるのです。つまり島社会は、食べていくことが困難な社会なのです。独自の価値観を徹底的に追求しようとすればするほど生産性は低下し、極端な場合は、自分たちで生計を立てることが全く不可能な状態にまで至ります。仏道修行を目的とする仏教のサンガは、まさにそういう、生産能力ゼロの島社会なのです。』
『(そうするとそういった島社会は、なんらかの方策で、食べていく道を探さねばならなくなりますね?)佐々木:そうです、そしてどのような方策で食べていくかは、その島社会のリーダーが決めるのです。リーダーが組織設計をするのです。ですから、リーダーの善し悪しによって、その島社会の生き方が決まります。釈迦が非常に優れた人だったと思うのはその点です。釈迦は、「布施」という生き方を取り入れましたが、それは実に最良の選択でした。その証拠に釈迦のつくったサンガという組織は、その後2500年経っても、滅びることなく今も続いているのです。(一般社会からの施しを受けながら生きていくということですね?)佐々木:そう、一般社会からの厚意に完全に依存して生きていくのです。しかし、社会に対して、ノーリターンでは人々は何も施してくれない。それで、彼らは「誠実に修行をしているという聖者の姿」を社会に示すのです。そうすると一般の人々は、「ああ、こんな立派な修行者にお布施をすれば、きっといつか私たちには、その果報が戻ってくるだろう。是非お布施をさせていただきたい」と考えるのです。』