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ジャニーズの教科書。第3章「SMAP、そして父になる」⑦

前回、SMAPと嵐のトップ交代が行われた時期、SMAPのシングルでなにが歌われたかを解説しました。今回は木村拓哉の主演ドラマを解説します。なぜ彼が別格のスターになったかです。その前に・・・


◉ジャニーズの教科書。第3章「SMAPそして父になる」①〜⑥
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SMAPの息子、嵐

2000年12月に木村拓哉が結婚。SMAPにも一区切りが付きました。ここで少し「新しい太陽」嵐のシングルを見てみましょう。2001年8月に6枚目のシングル『時代』を発売します。これは彼らが所属したレコード会社ポニーキャニオンでの最後のシングルでした。ここで嵐は「ぼくらの時代」に一緒に歩いて行こうと歌っています。


嵐が『時代』を出す前の月に、SMAPはデビュー10周年ソング『Smac』を発売しています。しかし、10周年記念のはずなのに、なぜかSMAPがデビューした9月に発売されていないのです。そして、その曲『Smac』はSMAPの終わりを予期させる曲でもありました。この曲はSMAPの過去曲の断片を繋ぎ合わせた歌詞になっています。例えば、出だしの歌詞は「イナズマが夜空を焦がす ダイナマイトみたいだね」です。このようにタイトルや歌詞が、最後までほとんど意味なく羅列されています。ファンにだけ向けてつくられた曲だったのです。売上枚数も『らいおんハート』の156万枚から22万枚まで急落しました。



過去曲の断片をちりばめた歌詞と言えば、有名なのがこの曲です。昭和の人気アイドル、キャンディーズ現役時代最後のシングル『微笑みがえし』です。作詞者の阿木曜子が彼女らへのはなむけとして書いたものでした。しかし、SMAPは引退するわけではありません。トップを降りたという宣言でしょう。これはジャニーズの人気を復活させ、天下を穫ったSMAPへのはなむけでした。2001年に発売したシングルは『Smac』だけだったのです。




2002年2月発売、嵐の7枚目のシングル『a Day in Our Life』は、彼らのためにジャニーズが設立したレコード会社『J STORM』から発売されました。嵐がトップに立つための動きが活発化して行きます。ポニーキャニオン最後のシングル『時代』はビッグ・ビート、『a Day in Our Life』はヒップホップと、当時の流行を押さえた曲で嵐は売上を伸ばして来ました。この調子で行けば案外すんなりトップ交代も出来たかも知れません。しかし、次のシングル『ナイスな心意気』はSMAP『がんばりましょう』路線の脱力系労働歌でした。SMAPの後追いにしか見えないその曲に、がっかりしたファンも多かったようです。




一方、2002年のSMAPが発売したシングルは『freebird』だけでした。これはトップという重責から解放され、自由に空を飛び回るという歌でしょう。2003年もシングル曲は作られませんでした。ただし、アルバム『SMAP015』から『世界にひとつだけの花』が少し歌割りを替え発売されています。この曲の大ヒットで SMAPは国民的アイドルの座を盤石なものとしました。


『世界にひとつだけの花』の翌年、2004年にはついにシングルは発売されませんでした。SMAP大人気で、出せば売れる状態にも関わらず発売されなかったのです。これは異常事態と言っても過言ではないでしょう。2001年から2004年の間に出したシングルはたったの3枚しかなかったのです。しかも、本気で売ろうとしたシングルは1枚もありませんでした。ビジネスという観点から有り得ない話。しかし、目先の商売よりも世代交代のシステムを守ることの方が重要だったのです。SMAPから嵐へは着々と進行していました。


木村拓哉のドラマでも活かされた「少年から大人へ」

次にドラマの話をします。「SMAPはなぜ国民的アイドルになったか?」を考える中で、やはり木村拓哉が大ブレイクしたことを外すわけには行きません。3段階目「木村拓哉主演ドラマが社会現象と言われるまでの人気を獲得」です。


1996年4月、木村拓哉は連続ドラマ初主演を果たします。今や伝説とも言われるドラマ『ロングバケーション』(フジ系)です。ヒロインには山口智子、その弟として竹野内豊、他に松たか子も出演しています。しかし、木村が世間一般に注目されたのは、1993年の『あすなろ白書』(フジテレビ)からです。実は、このとき彼にはヒロインの彼氏役で主演のオファーがあったと噂されています。しかし、そのオファーを蹴って、片思いの人物をわざわざ演じたと語られているのです。


これは一体なんなのでしょう? 普通で考えれば、主演のオファーを蹴るというのはない話です。木村拓哉にまだ知名度がなかった時代ですから。噂の真偽はともかく、翌年も、その翌年も主演ではなく2番手の役を演じているのです。1994年からは週刊誌『an an』の「抱かれたい男」で1位になっているのですから、意図的に2番手を選んでいるのでしょう。最初の主演作は『あすなろ白書』から3年が経過した1996年になりました。SMAPが大ブレイクした後です。



ロンバケ』には、すでに大人気だった木村拓哉のために書かれた脚本が用意されました。脚本を担当したのは、ドラマ『あすなろ白書』『愛していると言ってくれ』で知られる北川悦吏子です。そこで、木村拓哉はどのようなヒーロー像を提示したのでしょうか? ドラマは映画『八つ墓村』のパロディからスタートします。ヒロイン葉山南(山口智子)が花嫁姿、白無垢を着て街を疾走します。必死の形相で太ももを見せながら。どうやら、結婚相手に逃げられたようです。


婚約者が住んでいた部屋には別の男が住んでいました。そして、元気でちょっとガサツだけど本当はかわいらしい私である南が、年下のかわいい男・瀬名秀俊(木村拓哉)と強引に同居し始めます。最初は異性として意識していなかった2人が次第に近づき、結ばれることによって瀬名はピアニストとしての自分の壁を乗り越え成功する・・・ そんなストーリーになっていました。


余談ですが、人気マンガ『のだめカンタービレ』は、このドラマのパロディでしょう。イケメンのピアニスト(&指揮者)の部屋に、厚かましい女が住み着き、次第に・・・という話です。


ロンバケ』の注目ポイントは、瀬名と後輩役で出ていた松たか子との関係です。2人は付き合いますが、なかなかうまく行きません。その理由が、なんと、瀬名が童貞だったからなんです! もう24歳なのに童貞だったんです!(うるさくてすいません。ちょっと、うれしかったんです。)瀬名は松とのデートで「キスしよっか?」と言いながらも、結局はキス出来ずに「意気地なし!」と言われてしまうのです。そして、いい加減で遊び上手な竹野内豊に松を取られてしまいました。抱かれたい男No.1の木村拓哉が、満を持しての初主演作なのに! この設定には驚くしかありません。今だったら「草食系」と言われるような役柄でした。女性からすると、守って上げたい、育ててみたいって感じなのでしょうか?


木村拓哉のスター像を説明する重要なセリフが用意されていました。竹野内が言った「好きなことを好きなようにやれるヤツって言うのはね、翼を持ってるんだよ」です。竹野内が演じたような一般的で楽しい人生を犠牲にしてでも、努力の末に高いところまで羽ばたいて行く。そんなスター像でした。自分の中にある壁を打ち破れずに苦しんでいた瀬名は、他の男性との結婚を前に迷いを見せていた南と、ついに結ばれます。そして、それを転機としてピアノのコンクールでも勝ち抜くのでした。


ロンバケ』はヒロイン(朝倉南)になれなかった女性が、ヒーローを育てるドラマだったのです。木村拓哉は「少年から大人へ」をドラマにも持ち込んだわけです。これは郷ひろみもやっていない、芸能史上初めて行われた試みでした。それを効果的に見せるため、木村拓哉の人気が極まるまで、主演作は見送られたということです。結果、老若男女を問わず数千万人もの視聴者が、木村の少年から大人への変化を目撃しました。もちろん、女性ファンは自分と南とを重ね合わせたことでしょう。これには他の芸能事務所も拍手を送るしかなかったはずです。


このドラマ以降、なんでもできるスター木村拓哉としてドラマは作られて行きます。木村はなんにでもなれる翼を得たのです。実は、そこでも過去のアイドルの方法論が応用されています。これは昭和の大作詞家・阿久悠山本リンダフィンガー5ピンクレディーで採用した戦略をドラマに持ち込んだものです。アイドル評論家の中森明夫ピンクレディーが一大ブームを巻き起こした理由を以下のように分析しています。


 子供たちはピンクレディーの曲を歌い踊りながら「どこへだって行ける、何にだってなれる」と欲望を肯定された。(中略)ピンクレディーキャンディーズ山口百恵よりもはるかに重要な存在ですね。そうなったのは、それが個人的な物語に依存するものではなく、システムだったからです。(『AKB48白熱論争』P210)


木村はこのシステムもドラマに持ち込みました。木村が女性のみならず、彼に憧れる若い男性ファンを生み出したことは上の中森の発言で説明できるでしょう。木村が演じる主人公は苦難を乗り越え成功するというモデルを繰り返します。2000年『ビューティフルライフ』ではカリスマ美容師を、2003年『GOOD LUCK!!』では飛行操縦士を、2005年『エンジン』ではF1ドライバーを、2008年『CHANGE』ではついに総理大臣を演じました。まさに「どこにだって行ける、何にだってなれる」を演じ続けたわけです。


私のお薦めは『ロンバケ』と同じ年にTBSで制作されたドラマ『協奏曲』です。ここではかつてTBSで数々の人気ドラマを生んだ人気俳優田村正和と新しいスター木村拓哉のトップ交代劇が描かれています。



このドラマの舞台は建築業界でした。建築家の卵である木村が田村のもとで修行し、トップに君臨していた田村を追い抜くというストーリーです。しかし、それと同時に、2人は宮沢りえを巡って三角関係になります。これは移り気な視聴者を2人が取り合っていると読めるものでした。恐らく、プロデューサーの八木康夫 にはその意図があったはずです。田村が『古畑仁三郎』というヒットドラマで人気のうちに、このようなドラマをつくったのでしょう。ラストシーンでは、2人が仲良く一緒に仕事をすることで、どちらかを選べずに失踪していたヒロインが2人の元に戻って来るというものでした。ファンは2人の共存を望んでいるというメッセージです。そう言えば、木村の独立騒動についても描かれていますよ。チャンスがあったら見て下さい。


もうひとつ気になることがあります。木村が主演する連続ドラマはフジテレビとTBSだけで放送されていました。テレビ朝日はまだしも、当時一番視聴率を稼いでいた日本テレビが外れているのは注目に価します。まさか平成のクレージーキャッツとして、渡辺プロと日テレの争いを引き継いだわけではないでしょうけど。ジャニーズ事務所と日テレの間でなんらかの駆け引きがあったのでしょう。絶対的な切り札を持つ強さというのは、このようなところで現れます。


1996年、木村拓哉はNo.1スターになりました。木村とSMAPはこれまでのジャニーズのスケールを超える大成功を収めたのです。そして、木村のみならず、他メンバーの主演ドラマもヒットして行きます。また、SMAPのCD売上も好調に推移します。1998年には『夜空ノムコウ』が軽々とミリオンを突破。SMAPは別格のスターとなったのです。(つづく)