ハノイの日本人

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ロフトプラスワン20周年と杉作さんへの謝罪。

吉田豪さんのツイートで雑誌『TV Bros.』「新宿ロフトプラスワン20周年おめでとう!! 杉作J太郎×掟ポルシェ×吉田豪の鼎談」があることを知りました。でも、近所のコンビニや書店にはもうなかったので、本日、阪急電車に乗って大型書店に行ってきました。懐かしいですね。私がいたのは富久町の頃。吉田豪さんや杉作J太郎さんの出演イベントは大好きでした。でも・・・


新宿ロフトプラスワン20周年おめでとう!! 特集
http://tvbros.zasshi.tv/list/20150704.html


杉作さんが語られてる『東京ボンクラ学園』が開始する前の月に私は入ったんです。その前から杉作さんはイベントをされていたと思うんですけど、たしか、油地蔵っていう名の芸人さんが出た回が強く印象に残っています。ウソなのか本当なのかわからない調子で、ダンプカーの運転手をしていたときに人を轢き殺した話を凄い迫力で語られていました。それがもう強烈で強烈で。お客さんは10人くらいだったかな。


私は店長として入ったんですけど、数ヶ月後には前のブッキング担当が辞められ、そちらも兼任するようになりました。ライブが11時くらいには終わり、その後も朝4時まで開いているお店です。かなりハードな毎日を送っていました。杉作さんのイベントはいつも面白かったのですが、集客は今ひとつでした。現在のようにテレビに出演されることもなかったので。


杉作さんが「あの瞬間からサブカルは始まったのかもしれません」と誌面で発言されているのは、私の前の責任者が「六本木にあるようなお洒落な大人の集まる店にしたい」と言われてたからだと思います。サブカルのお店にはしたくなかったんですよw オーナーの平野さんもオタク嫌いだったし。でも、毎月の売上ノルマをクリア出来ればどんなイベントを入れてもいいという感じではありました。一応、タブーのない店という宣言もしていましたし。売上ノルマは1日15万円。お客が50人入ってそれぞれ3000円飲み食いしてくれればクリアって感じ。ギャラがほとんど出せない中で、50人を集客できる出演者を毎日ブッキングするというハードルは結構高いものでした。



日曜昼のイベントになってからも、平野さんには杉作さんのイベントを入れるなと何度も言われました。そして、決定的な出来事が起こったんです。映画秘宝でも書かれている轟夕起夫さんがゲストの回です。イベント終了後、杉作さんが「中山忍さんを呼んで、映画で脱いでもらうのを嘆願するイベントをやりましょう」と言われました。私も彼女が主演した映画『Doki Doki ヴァージン もういちど I LOVE YOU』が好きだったので、「ぜひ、やりましょう!」と応えてしまいました。


その夜、平野さんにそのことを言うと、めちゃめちゃ激怒されたんです。「お前の趣味の店じゃない!」「もっとマスコミが取材に来るようなイベントを入れろ!」「有名人を呼べ!」などと怒鳴られました。店の認知度が低かったので、そのような方針が当時はあったのです。そして、「杉作さんのイベントは禁止だ。これは業務命令だ」と通告を受けました。それに納得しない私に対して「杉作さんには俺から電話を入れておく」と言って平野さんは出て行かれました。その日が杉作さんと会った最後の日になってしまったんです。杉作さんに直接話さなければいけないことだったのに、忙しさを言い訳に謝罪出来ずにきょうまで来てしまいました。本当に申し訳なかったと思っています。ごめんなさい。


それからしばらくして、また同じような感じで平野さんに説教され、もう限界・・・ロフトの2周年イベントの週に、梅蔵さんにお店を任せて実家のある京都に帰ってしまいました。ジャニーズJr. の舞台『KYO TO KYO』を観たのはそのときだったな。1週間くらいして東京に戻ってからブッキングの担当から外してくださいとお願いしました。そのときから私が店長、ブッキングは梅蔵さんと齋藤さんの二人体制になりました。そして、歌舞伎町にお店が移った時、私は完全にプラスワンから離れました。短い間だったけど、うーん・・・凄い体験だった気もするけど・・・もう一回働きたいとは思えないですね。でも、おめでとうございます!