ハノイの日本人

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ポストトゥルースという図式の古さ。

もうきょう1日しか観れないんですけど、ゲンロンカフェで行われた「津田大介×宮台真司×東浩紀」が今回も面白かったです。ちょっとだけ紹介。(民主主義による?)政治は性愛に近いという話。ウソでもいいから気持ちのいい言葉を聞きたい。トランプによってそのことがわかってしまった。そんな話がされています。


下の文章に出て来るテクノロジーが痛み止めっていう話は、要するに・・・技術の進歩によって、幸せでなくても痛み止めになるような・・・例えば、ネットやARでなんとか生きて行けるみたいなことです。あと、最後に宮台さんが映画『この世界の片隅に』のことを語られています。この社会がデフォルトだと思い込んで頑張って適応してるが、何がデフォルトで何が回避できるかはわからない。それ自体が幻想であるから真に受けないでほしいというようなことを語られました。そして、愛の話へ。凄くいい話だった。


津田大介×宮台真司×東浩紀「トランプの時代をどう生きるか」(ニコ生)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv283663584?ref=my_live


宮台:僕はポストトゥルースっていう言葉を聞く度に、図式が古いという気がするんだ。僕は社会学史や社会思想史をやっているんで。
東:ああ、その通りだ。
宮台:現実と疑似現実という図式が打ち出されたのは、戦間期のウォルター・リップマンという人の『世論』という本を通じてなんですよ。ところが東くんもよくご存知のように・・・間飛ばしますよ、いろんな人が居るんですけど・・・1970年にボードリヤールが出て来て、疑似現実と現実という対比はありえないと言ったんですよ。
東:そうそう。あれシュミラークルの話だからね。
宮台:その通り。「**くんの言ってることは疑似現実にだまされてるよ。現実はこっちだ」「お前の現実もしょせん疑似現実だ。しらねーの?」結局それしかないと言うのがシュミラークルの話なんだよね。オリジナルはないし、現実はないんですよ。単に疑似現実同士の棲み分けや戦いがあるだけだよ。これは社会学の多元的現実論に繋がって行ったという歴史があるわけ。さて、真実か真実でないかという枠組みで戦うのは、僕はもう難しいと思う。
津田:ふむ。
宮台;何をしたらどうなるかといういう言い方でビビらせることは出来ると思う。これは大事だと思う。なにが真実かという議論は、さっきの正しさ、楽しさ、あるいは正義と享楽問題と近くて、やっぱり時代遅れという印象、プラスのんきな感じがするんだよね。「なにが真実なのかはいいから、痛み止めてくれよ!」ということです。例えばね、宗教はアヘン・・・オピュウム、もともとは痛み止めのことです。テクノロジーがオピウム、アヘンになりつつあるわけだよ。それがテクノロジーに期待する部分でもあるし・・・しかし、テクノロジーで痛み止め打っとけばいいだろうという、ある種の見下しや切り離しが生じるから危惧される部分もあって。そこで戦うべきであって、真実かどうかは・・・どう言ったらいいかな・・・僕だってわかんねーよ。
東:トランプに関しては、僕は政治のポルノ化というのをよく言ってるんですよ。それは、ポルノっていうのは何かって言うと、これは機能になるってことですよね。例えば、ポルノが真実か真実でないかなんて関係ないわけですよ。
宮台:その通り。
東:おっぱいが大きく見えていればいいのであって。その瞬間快楽が得られればいいのであって。後でそれがウソだとわかったとしても、得られた快楽は本物と言えば本物であると。
宮台:そうです。
東:今回のトランプって、まさにそうなっていて。今までは、政治はポルノみたいなところも確かにあったと。例えば、人がある候補に投票する時に、ウソかなーと思っても、耳当たりのいいこと言ってる人に入れちゃうってことがあったと。でも、今回のトランプはまったくウソだということを隠していない。「あなたの耳にいいことだけを言いますよ」と言ってるんだけど、それがウソだとわかっていても、それに投票するのが気持ちいいから投票するんですよね。
宮台、津田:そう。
東:だから、それはポルノの消費に似ているんですよ。で、ポルノの消費には勝てないんですよ。絶対に人間は。これは難しい問題だと思う。
宮台:本当だね。疑似だとわかってても見ちゃったりするからね。
東:ポルノはくだらないとわかってるんだもの。何の意味も無い。くだらない。後で後悔する。全部わかっていてお金使うんだもん。これが政治に入って来るとヤバいですよね。で、ポルノの凄いとこは、後で後悔するとこだと思うんですよ。(後悔するとわかっていても次回またお金を払ってしまい、後悔が積み重なるという話が続く)