ハノイの日本人

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東浩紀 in 京都。

ゲンロン批評再生塾、第3回目、渡部直己さんの課題「小説の『自由』度について」、なんとか提出しました。今回もこりずに謎解きをやってます。黒沢清監督作品『クリーピー 偽りの隣人』と原作『クリーピー』の関係について書きました。読んでやってください。


◉『クリーピー』の「穴」は原発の「穴」。
http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/hanoisan/2107/




きょうが提出日だったんですけど、きのうは東浩紀さんが京都でイベント出演されるということで、烏丸のウエディング関係のイベントスペースへ行ってきました。隣の部屋は結婚パーティーだったみたいw 本当は土曜日に課題を仕上げて、日曜は気楽な感じで行こうと思ってました。でも無理だった。帰り道にカフェによってプリントアウトしてきた文章を手直し。手直し。批評とはなんなのか? わからない!


京都の劇団、笑の内閣の高間響さんとの対談でした。先日発売した『ゲンロン5』の特集「幽霊的身体」で、演劇が大きくフューチャーされている関係もあるでしょう。実は『ゲンロン5』届いてからきのうまで読んでませんでした。本当に課題で余裕がなかったんです。でも凄く面白い。昨年ゲンロン主催で行われた利賀セミナーの講演などが収録されています。特に、この利賀を拠点にされている鈴木忠志さん、強烈ですね。美空ひばりについても語られています。




ゲンロン5 幽霊的身体

ゲンロン5 幽霊的身体


◉目次から抜粋
◎共同討議1:記号から触覚へ 梅沢和木大澤真幸+金森穣+佐々木敦東浩紀
◎インタビュー:人間は足から考える 鈴木忠志 聞き手:大澤真幸東浩紀
◎共同討議2:演劇の起源と幽霊の条件 大澤真幸佐々木敦東浩紀
◎対談:演劇とは半々である 飴屋法水佐々木敦


批評に戸惑う私に、東さんが書かれた特集の導入の言葉をささげます。


 つまり批評とは、なによりもまず視覚の問題なのだ。批評家は、見えるものを夢想するだけではいけない(それはジャーナリストや社会学者の仕事だ)。しかし、かといって、見えないものを夢想するだけでもいけない(それはこんどは芸術家の仕事だろう)。批評家は、見えるもののなかに、本来なら見えないはずのものを幻視する、特殊な目をもっていなけえばならない。言い換えれば、幽霊が見える目をもっていなければならない。
 批評とは、幽霊を見ることだ。だから批評家は疎まれる。うらぶれた宿に泊まり、思いがけず幽霊を見てしまった人間が疎まれるように。宿の主人は必ず、幽霊はいないのだと言う。なんの問題もないのだと言いたがる。けれどもやはりそこにはなにかがあるのだ。物理的には幽霊は存在しなくても、幽霊が見える環境はあるのだ。それを指摘するのが批評家の仕事である。