ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

やっぱり K-POP がいまのアイドルの王道ではダメですか?

昨日の消えた文章は後でまた書きます。吉田豪さんが YBS山梨放送でアイドル史を語られたようです。それを文字起こしされた方がいるので読みました。うーん、これは何かのメッセージを込めたトークですね。気になったところを抜粋しておきます。まず秋元康が、おニャン子クラブ小泉今日子『なんてたってアイドル』でアイドル幻想を壊したという話。


吉田豪 80年代女性アイドルソングを語る(miyearnZZ Labo)
https://miyearnzzlabo.com/archives/49038
吉田豪)あれなんですよ。この曲が流れたから言いますけどね、松田聖子から始まるソロアイドルの黄金時代。『ザ・ベストテン』時代というか、あったわけじゃないですか。それを破壊したのが小泉今日子なんですよ。この曲で。
(絵恋ちゃん)破壊?
(加藤響子)ええ?
吉田豪)破壊。要は秋元康さんが85年におニャン子クラブとそしてキョンキョンのこの『なんてったってアイドル』。これによってアイドルの幻想をまず壊すわけです。「アイドルなんてこんなもんですよ」っていう、手品のタネを明かすようなことをおニャン子キョンキョンのこの曲でやったんですよ。それが受けたけども、そのかわりアイドルの幻想が崩れて、この後ぐらいからアイドル冬の時代。まあ、おニャン子バブルを経て、ドーンと沈んでいくことになると僕は認識していて。
(加藤響子)いま「破壊」っておっしゃいましたけど、なにを破壊したんですか?
吉田豪)だから、「アイドルはトイレに行かないもの」みたいな感じだったのを、「全然違うよ」っていう風に歌ったのがまず、これじゃないですか。秋元さんが手の内を明かした。で、おニャン子っていうのはさらにもっと、素人が一切なんのトレーニングも受けないで、歌とかがひどくても全然いいじゃない!っていう感じで。しかもだから、チャートをみんなで面白がってレコードを買って。「これが1位になったら面白いよね?」みたいな悪ふざけにみんなが参加するゲームだったんですよ。おニャン子って。
(加藤響子)へー!
吉田豪)だから『ベストテン』とかの時代でランキングが絶対視されていた時に、おニャン子が毎回1位になるわけですよ。ところが、『ザ・ベストテン』ってTBSで、『夕やけニャンニャン』ってフジテレビで、最初にちょっとモメた結果、おニャン子がまずTBSに出れなくなっていたんですよ。なのにオリコンチャートは常に1位みたいな、そういう悪ふざけですよ(笑)。



こういう話はみんなそれぞれ自分の認識を語ることで擦り合わせて行くしかないかもしれません。あくまでも後からこう思うとか、吉田豪さんのようにインタビューから推測してというのもあるかもしれません。私の場合だと、ジャニーズも入れて考えることになります。1983年に中村繁之やのちに光GENJI の年長組になる内海光司大沢樹生がいたイーグルスがデビューします。でも不発で終わりました。中村繁之はソロでもデビューしますがこれも不発。


何が言いたいかと言うと、普通にアイドルというだけでは売れなくなっていた。だから、1985年デビューの少年隊はアクロバットを売りにしたグループ。1987年デビューの光GENJIはローラースケートで走り回るグループという風に路線を変えていきます。女性の方では松田聖子中森明菜という2大巨頭が80年代を通じて別格で存在していましたが、85年には共に12インチシングルを出しています。目新しさを出す必要があった。他もそのまま清純派でデビューした人たちは苦しかったでしょう。工夫、もしくは刺激が必要な状況だったと思います。


1985年1月 TBS系ドラマ『毎度おさわがせします』のシャワーシーンなどで中山美穂人気に
1985年1月 セブンティーン・クラブ『ス・キ・ふたりとも! (鈴木くんと佐藤くんのテーマ)』でデビュー
1985年2月 斉藤由貴『卒業』でデビュー、ヒット
1985年3月 チェッカーズ『あの娘とスキャンダル』ヒット
1985年4月 フジ夕方のローカル枠で『夕やけニャンニャン』スタート
1985年4月 フジ系ドラマ『スケバン刑事』スタート。斉藤由貴主演
1985年5月 中森明菜『赤い鳥逃げた』12inchで発売。『ミ・アモーレ』収録
1985年6月 小泉今日子、KYON2名義で12inch『ハートブレーカー』を発売
1985年6月 中山美穂『C』でデビュー、ヒット
1985年6月 松田聖子、SEIKO名義で英語詞の『DANCING SHOES』を12inchで発売
1985年7月 おニャン子クラブセーラー服を脱がさないで』でデビュー、ヒット
1985年9月 本田美奈子『Temptation(誘惑)』ヒット
1985年11月 フジ系ドラマ『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』で2代目麻宮サキ役の南野陽子人気に
1985年11月 小泉今日子『なんてたってアイドル』ヒット


ちょっと年表を作ってみました。85年に起こったことで私が注目したことです。ドラマ『毎度おさわがせします』で始まってるのが面白いですね。普通の中学生男女の性の悩みと、大人たちとのドタバタを描いたドラマです。ツベにあるのか、素朴でいいなw まあこうやって見るとアイドル幻想についておニャン子や『なんてたってアイドル』単独で語ることも難しいですよね。そして、この曲の歌詞について『オリコン No.1 ヒッツ500』という本には「広く一般からタイトルを募集して、そのタイトルをもとに秋元康が作詞した作品」と書かれてます。じゃあ、ファンがイメージする小泉今日子が歌詞になってるってことなのか。





以前、私はアイドルの歌詞に、疑似恋愛型と変身型があると書きました。それで言うと、疑似恋愛型より変身型が優勢になったのがこの時期ではないですか? 『スケバン刑事』もそうだし、おニャン子のセーラ服コスプレもそう。本田美奈子のマドンナもある。そして、80年代後半には森高千里Winkのヒットがあるでしょう。こちらは批評的にアイドルを捉えて人形を模してもいる。これは確かにおニャン子や『なんてたってアイドル』以後の状況を踏まえたアイドルと言える。だけど、その最初は前にも書いたように松本伊代センチメンタル・ジャーニー』です。81年の時点で既に「アイドルは使い捨てなんでしょ?」という意味の歌詞が冒頭で歌われています。でもまあアイドルを狭いところに押し込めるのでなければ、森高さんもWinkも十分にアイドルだと思うんですけどね。次に90年代。




吉田豪 90年代アイドル冬の時代を語る(miyearnZZ Labo)
https://miyearnzzlabo.com/archives/49043
(加藤響子)ええっ、知らなかったです。そういう着眼点があったんですか。じゃあ、アイドルっていうよりも、この90年代は歌姫っていう印象の方が強いんですかね?
吉田豪)そうですね。だから僕はそんなに乗っかってなかったものが売れていた時代ですね。もっと冬の下の方は僕の大好きなものだったんですけど。
(加藤響子)この頃は宇多田ヒカルさんとか倉木麻衣さんとか浜崎あゆみさんなどなど……。
吉田豪)別枠ですね。SPEEDも別枠ですよ。僕はSPEEDをアイドル枠に入れないルールでやっていますからね。
(加藤響子)そうですよ。90年代に人気を博したといえば、SPEED。ああ、流れてきました。『White Love』。これはもう、小学1年生ぐらいの時にみんなで振り付けを真似していました。
吉田豪)これ、僕はよく公言している話なんですけども。僕、SPEEDがアイドル界に悪い影響を与えたって思っていて。バラードっていうジャンルっていい曲がいっぱいあるのに、なぜか『White Love』みたいなバラードがアイドルってすごい多いんですよ。
(絵恋ちゃん)ああー、たしかに。似てるかもしれない。
吉田豪)「それ、面白くないよ!」っていうか。もっとバラードのいい曲があるのに、なんかみんなこれになっちゃうんですよ。




「SPEEDも別枠ですよ。僕はSPEEDをアイドル枠に入れないルールでやっていますからね」という発言は気になります。もちろん、自分自身の線引きとしてそう言われてるわけですが。吉田さんのアイドル感で言えば、私が好きなアイドルはほとんどアイドルじゃないってことになりそうです。かなり窮屈な解釈と言えないでしょうか? 時代的にクラブっぽい音になるのは仕方ない気もするけど。アイドルは時代の音を取り入れて行くものでしょ? 本田美奈子の時にはマドンナが最先端だった訳ですし。







吉田豪 2010年代アイドル戦国時代を語る(miyearnZZ Labo)
https://miyearnzzlabo.com/archives/49105


◉「コード複雑すぎ」「歌詞深すぎ」外国から見たJ-POPのヘンなところをプロが解説 #関ジャム(togetter)
https://togetter.com/li/1214546


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