ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

「夢をありがとう」とは一体なんのことなのか?その2

プリペイドSIMを使って wifiルーターの使用に挑戦してました。やっと繋がった。APNの設定がうまく行ってなかった。再起動などを繰り返してやっと繋がりました。でもこれで動画を観るの辛いかも。がんがんローミング量が上がって行く。現在、批評再生塾の高橋源一郎さん出演回を観ています。もう3回目の授業なのか。いつの間に。


なぜワールドカップに行くのかを考えた文章の2回目です。前回は私の経験から文章を書きました。今回はある本を読んで気になって文章を紹介します。山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』。1984年に出版された本です。そこには六〇年代という時代がどのようであったかが書かれています。


加へて、この十年は、国家が外交的にも華麗に活躍した時代であって、「戦場で失った領土をテーブルのうへで回復する」、あの沖縄返還の成功が国民を興奮させてゐた。さういへば、先に触れたオリンピックも万国博覧会も国家的な行事であり、国家が全世界を相手に演じて見せる劇場的な事件であった。そして、かうした事件や行事は、これまた全国的な情報媒体であるテレビによって報道され、国家は文字通り、国民の肉眼に見えるかたちでその存在をあらはしたのであった。


六〇年代は敗戦から立ち直った姿を世界に披露した時代。大国に「追ひつけ追ひ越せ」の言葉どおり明確な課題があり、それが目に見える形で達成されて行った時代。そう考えた場合に、現代のワールドカップは、日本というサッカー小国がブラジルやドイツ、スペインなどの大国に「追いつけ追い越せ」という、まだまだ明確な課題があるエンターテイメントと言える。


アイドルもそうですよね。以前、批評再生塾の課題で、アイドルにおける疑似恋愛型も変身型も共に成長を表現したものだと書きました。誰から観てもわかりやすい課題があり、それが少しずつ達成されて行く。つまり、日本で人気のエンタメは、敗戦から立ち直る姿を繰り返し反復しているのではないかと考えたわけです。「(大国に勝つ)夢をありがとう」という解釈。なのでたかだかサッカーの敗戦であるのにも関わらず、やたら大きなショックを受けてしまう。敗戦の反復として。こんな感じでどうだろう?