ハノイの日本人

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3776・富士宮、島津亜矢・金沢、空間現代・京都。中編

富士宮、福井、金沢の旅の中編です。その前に、3776(ミナナロ)のアルバム『3776を聴かない理由があるとすれば』がなぜ名盤なのか書いていませんでした。これは富士登山を疑似体験するコンセプトアルバムになっています。曲間には観光案内や「105、106、107」というようにカウントが入ります。全部で3776秒のアルバムです。でいろんな富士山にまつわる曲が入っているんですが、やっと9合目まできて最後の曲が『3・11』なんです。



富士宮はもちろん富士山の麓の街ですが、そのご当地アイドルが歌う『3・11』。そこで歌われるのは富士山噴火後の世界です。やっと富士山頂に近づいたと思ったら、そこには以前のような美しい富士山はなかったのです。当たり前に思っていた光景は当たり前だと思い込んでいただけだったと歌うのです。今回、富士宮を訪れて、この歌の本当の意味を知った気がします。富士山が噴火したら、この街はどうなってしまうのか? そう思いながら聴いた『3776を聴かない理由があるとすれば』再現ライブは格別でした。


◉3776・富士宮、島津亜矢・金沢、空間現代・京都。前編
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180726/1532620788


7月21日(土)空間現代(京都・ライブハウス外)
7月22日(日)「3776を聴かない理由があるとすれば」再現ワンマン・ライブ
7月23日(月)富士宮➡︎福井、映画『未来のミライ
7月24日(火)福井市美術館・平木コレクション『歌川広重の世界』、島津亜矢コンサート
7月25日(水)金沢21世紀美術館、石引パブリック
7月26日(木)空間現代(京都・ライブハウス外)
7月27日(金)YoutubeFUJI ROCK
7月28日(土)山下達郎ライブ(神戸国際)





島津亜矢のコンサート。以前、松本隆作詞の山下達郎曲『DREAMING GIRL』を歌っているのを観たんです。衝撃を受けました。オリコンにランクインしてる曲は聴いていたのでうまいことはしってました。でももっとスケールのでかい歌手だと知ったのです。今回のコンサートでは『一本刀土俵入り』がとにかく素晴らしかった。もともとは劇作家・長谷川伸の戯曲で、この作品から着想を得た曲がいくつも発表されています。一番有名なのは三波春夫のものでしょう。島津亜矢は『一本刀土俵入り』の一人芝居として披露してくれました。かっこよかった。観客席全体が満足感で包まれているのを感じました。うまいを超えた芸を持っている歌手なんです。



ただ、歌と演奏が乖離して聴こえる曲もありました。演歌ですよという感じの演奏に、島津さんのうますぎる歌唱がハマっていないように聴こえました。もっとタイトな演奏を好む私の嗜好のせいかもしれないですけど。吉田拓郎『落陽』のようなリズムのある曲の方が解放感に溢れた歌唱でよかったように思います。他に美空ひばり北島三郎のカヴァーを客席を周りながらリクエストを取りつつ歌ったりもしていました。


男性のようなドスの効いた歌唱から、岩崎宏美のような高音まで、どんな歌でもいけるみたい。すごいですよ。カヴァーアルバムもたくさん出されているんです。こんな曲もネット上にありました。松田聖子青い珊瑚礁』。



パシフィックホテル金沢に宿泊。ここで自由に読める雑誌が置かれていました。雑誌『スペクテイター』の「ホール・アース・カタログ」特集号が前後篇揃って置いてあったんです。あっアマゾンで6000円超えてるけどw でそれを置いたマネージャーの杉野さんと、1階のカフェで音楽の話を中心に色々話させていただきました。ライブなどで金沢に行かれる方はぜひここでお泊まりください。近江町市場の近くです。


翌日は市場の寿司屋からスタート。そこは今ひとつ。前日、北鉄バスの1日乗車券を買ってました。500円。それで21世紀美術館へ。1700円ですが1日乗車券を見せれば300円引き。『起点としての80年代』展とインドネシアのアーチスト『アイ・チョー・クリスティン 霊性と寓意』展が開催されていました。後者はかなりかっこよかったです。


◉起点としての80年代(金沢21世紀美術館
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=17&d=1759
『1970年代のコンセプチュアルでストイックな表現に対する反動から、80年代の日本では絵画や彫刻の復権が唱えられ、好調な経済状況を背景として、色彩豊かで伸び伸びとした筆遣いの「ニュー・ペインティング」などが広まりました。しかし、90年以降の美術は、むしろ「おたく」など80年代のサブカルチャーに影響を受けた表現が主流となります。そのため、それ以降、80年代の美術は参照されることが少なくなってしまいました。近年、「具体」や「もの派」など1970年代までの戦後日本美術に関する研究が国内外で急速に進んでいます。今こそ、70年代と90年代のはざまにある80年代の日本美術について深く見つめる時期に来ていると言えます。約30年を経た今日から振り返ると、80年代は、今日の美術において重要なインスタレーションという形式、作品制作への参加や社会との関係への意識、オルタナティブ・スペース、 メディア・アート、「美術」という制度を相対化する視点、日常性や軽やかさを大切にする感性などが新たに生まれた、充実した時代であったことがわかります。本展では今日の視点から80年代の日本の美術を見詰め直し、「起点」となる作品を紹介します。』


ワールドカップ旅行で写真を撮るたのしさを覚えました。なのでスマホ写真禁止の美術館にストレスを感じます。特に21世紀美術館は部屋がいくつにも別れていて、新しく入るごとに係員が「写真は撮らないでください」「作品に触らないでください」と言ってくるんです。きつい。なんのために写真を禁じるのか? 観客の二次創作を妨害するためか? 恐らく自動機械的にそうしてるんでしょう。アートとは程遠い話ですね。


現在、スマホが家とフリーwifi のある場所でしか使えなくなっており不便です。この日も前日に杉野さんに教えてもらった石引パブリックという書店に向かうのに、近くの大学病院までバスでたどり着いたものの、そこからわからず徒歩で10分ほどの距離をタクシーで行きました。まあたどり着けてよかったけど。とりあえずミックスベリーのかき氷を食べる。美味しかったです。お店の方と色々話させていただきました。また行きます。そうだ、そこでも話していた私の過去作。『日本サッカー狂会』がまだ絶版になっていなかった。サッカーサポーターの歴史本です。素晴らしい感想を書いてくれてる人がいる。ありがとう。


日本サッカー狂会

日本サッカー狂会


◉サッカー関連書籍の史上に残るクロニクル(羽後燦樹)
『1962年の結成以来、日本サッカーを愛し、サポートし続けてきた熱きファンたち(というとカッコいいが、要するに時代に先駆けすぎたオタクたち)の集団。それが日本サッカー狂会である。メンバーには市井のサッカーファンもいれば、松本育夫都並敏史といった著名人もいる。また、前出の後藤氏や、田村修一などといったライターもいる。彼らの多くは功成り名を遂げた後に「狂会」に入会してきたのではなく、まぁいってみれば無名時代にその桁外れのサッカーに対する愛情故に、引き寄せられるように狂会と係わり合いを持つようになったのである。本書においては、後藤氏をはじめ数名の筋金入りの「狂会員」たちが、黎明期から1990年代前半の日本サッカーがメジャー化するまでを語っている。その語り口は、ルポものにありがちな予定調和に満ち満ちたプロジェクトXチックな暑苦しいものではなく、さらりと明るく、自然体で、かつ独断と偏見に満ちている。些細なことにこだわり、我田に水を引く。このあたりの主観性こそが本書の魅力であり、価値である。さて、その狂会もJリーグがスタートし、サッカーがメジャーになってきたあたりで、その歴史的な役割を終えることになる。メジャーとなった日本サッカーをスタンドから支える担い手は、狂会からウルトラスをはじめとするサポーターたちに引き継がれるのである。日本サッカーを「知る」には、必読の一冊であり、本書の企画/刊行者には敬意を表したい。』


暑さに疲れてホテルに帰って仮眠。起きて晩御飯。ホテルの1階でコーヒーを飲みながら美術館で買ってきた DOMMUNE の本を読む。実はまだ読んでなかった。そして、昼にも書いた秋葉原通り魔事件の本を部屋で読みました。観光は進まなかったけど、Kindleも使ってこの旅では何冊も本を読みました。(つづく)