ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

SPEEDはアイドルか? 再び。

『間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズども』というベストセラー著書を持つロマン優光さんが「SPEEDはアイドルか?」について文章を書かれていました。気づいてなかった。リンク先で全文を読んでください。違和感を覚えた箇所がいくつかありました。多分、ロマンさんは2011年以降にアイドルファンになったのではないですか? 厳しく追及するつもりもないでのすが、事実関係は指摘したいと思います。


ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第113回 アイドルの「いい下手さ」とは
http://bucchinews.com/subcul/6319.html


『歴史を振り返って考えてみるに、現代のアイドルの雛型的なものが生まれた'70〜'80年代、芸能の世界で若いタレントを使って商売をしようとする際、音楽というツールが利用されていただけのことであり、タレントの事務所サイドの全てに「素晴らしい音楽を作っていこう」という意思が必ずしも存在していたわけではないだろう。』


「音楽というツールが利用されていただけ」なぜ、ロマン優光さんはそのように思われたのか。映画やテレビが登場する前から音楽は娯楽の王様でしょう。例えば、最初のアイドルと言われる南沙織は、新興のレコード会社CBSソニーのプロデューサー酒井政利によって見出されています。ルックスが評価されてというのもあったと思いますが、リズム感や声質も高く評価されたようです。「世代」をテーマに歌詞を作ったことで、若者に共感されるアイドルが誕生する。芸能事務所が主導したわけではないのです。


その次に酒井が送り出した天地真理にしても、中高は国立音大付属でピアノと声楽を習った人物でした。そして、南沙織天地真理がデビューした1971年の10月からは数々のアイドルが生まれる『スター誕生!』もスタートしています。こちらは作詞家の阿久悠が審査の中心です。芸能事務所に所属するのはデビューが決まってからでした。若者に向けた音楽という試行錯誤の中からアイドルは誕生しています。




あまり細かいことを指摘してもつまらないので、結論の部分に移ります。


『それより重要なのはアイドルポップスの声の魅力に注目した人々だろう。矯正されていない声。コントロールされていない歌。そういったものの魅力に囚われた人たちだ。フォークやアンダーグランドのロック、パンクロックといった古典的なショウビズの世界ではない音楽、体系的に訓練された肉体から発せられるのではない、訓練されない肉体から発せられる素の歌声から溢れる個性と情感に対して魅力されるのと同じものであっただろう。ようするにアマチュアリズム溢れる歌声を好むということだ。現代においては、ある意味においてアイドルポップスの古典的な評価軸の一つとなっている価値観だ。』
『偶然産まれたクオリティ高い楽曲にアマチュアリズム溢れる歌声をのっける手法を意図的に行われるようになっていく過程の中でアイドルポップスは成長していったのだ。もっとも商業的な音楽が、歌声のアマチュアリズムをもっとも体現するジャンルの一つでもあったのは非常に奇妙な出来事ではある。当然ながら、こういった歌声に魅力を感じるのは一部の好事家のものである。わかりやすく上手い歌に引かれるのが普通の感覚なのは言うまでもない。ただ、そういう「素」の歌声を生かすことは日本のアイドルポップスの魅力の一つであったわけで、その文化は残っていて欲しいとは個人的には思っているし、単純にそういうものが好きなのだ。』


私はおニャン子クラブにもハマりましたし、三浦理恵子とか、BELLRING少女ハートにも熱狂しました。なので、ロマンさんが言われることはわかります。ただ、これらの「アマチュアリズム溢れる歌声」というのが、本当に「アイドルの主流」と言えるのか? 南沙織天地真理、歌うまい。森昌子桜田淳子山口百恵岩崎宏美、歌うまい。キャンディーズピンクレディー、歌うまい。松田聖子中森明菜、歌うまい。モーニング娘。、SPEED、歌そこそこうまい。・・・こういう風に考えた場合、おニャン子の系譜はかなり傍流ではないですか? ロックの主流が Lo-Fi だって言うようなものではないのか?


繰り返しますが、私は歌が下手なアイドルを否定しません(ローティーン・アイドルの接触はありなのかとは考える)。「SPEEDがアイドルではない」と言われることに対して疑問をていしてるのです。少しわかりにくいけど、ロマンさんはそのことには同意してくれてるんですよね?