この本を読めば、SMAP解散の理由がわかる。
この本を読めば、嵐の活動休止の理由がわかる。
第1章「トップグループ制」
2019年早々に人気グループ嵐の活動休止宣言が行われた。なぜ嵐はその決断に至ったのか? その理由はジャニーズ事務所のトップグループ制と関係している。国民的人気グループSMAPから(ストーリー上は息子である)嵐へのトップ交代が起きた2008年までについて詳しく記す。今では国民的人気を誇る嵐だが、当時はそこまでの支持を得ていなかった。トップグループ制、それはジャニーズの繁栄を継続させるためのシステムだ。その誕生は1972年に遡る。
ジャニーズ事務所の2番目のグループ、フォリーブスのプロデューサーCBSソニーの酒井政利は、歌がうまいことが当然だった当時の歌手世界のなかで、未熟な若い歌手を売り出すことにコンプレックスを感じていた。そこで、天井桟敷主宰・劇作家の寺山修司の元に通い、突破口を見つけ出す。少女から大人への物語をレコードをメディアにして連載する存在、現在で言う「アイドル」を誕生させる。南沙織は自らが登場人物となるレコード『17才』でデビューした。その次の年、男性アイドル・郷ひろみがデビューする。最初のレコード『男の子女の子』はボーイ・ミーツ・ガールであり、その後の成長を経て、名曲『よろしく哀愁』でセックスを経験し、大人になる。その成長物語を受け継ぐのがジャニーズのトップグループなのだ。SMAPが8代目、嵐が9代目のトップである。この章では嵐がトップになるまでの主要シングルCDの歌詞を紹介する。
第2章「テレビが生んだ最後のスター」
デビュー前「平成のクレージー」としてテレビ局に売り込まれたグループSMAP。その名前の由来は「笑い(Shou)」も「音楽(Music)」もできる人々。つまり、クレージーキャッツのようにコントも音楽もやるグループというコンセプトだった。SMAPは芸能界の天皇と呼ばれた渡辺プロダクション創業者の渡辺晋が死去した次の年に結成。そして、翌年亡くなった昭和天皇の代わりとなるカリスマをテレビの中に生み出そうとするプロジェクトだった。
第3章「硝子の少年漂流記」
著者がジャニーズの謎を考え出すきっかけとなった名曲 KinKi Kids『硝子の少年』。その少年の誕生は1977年にデビューした原田真二『てぃーんず ぶるーす』に遡る。そして、近藤真彦『スニーカーぶる〜す』、光GENJI『ガラスの十代』『荒野のメガロポリス』を経て、1997年に硝子の少年が死ぬまでの物語を紹介する。
第4章「昭和91年 SMAP解散!」
SMAPはなぜ解散しなければならなかったのか? その謎を解き明かす。木村拓哉は裏切り者などではなく、それは飯島マネージャーが在籍時に開始したストーリーに沿った出来事の数々だった。1991年にデビューし昭和91年に解散したグループSMAPの真実を記す。