ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

特集3. 消えたアイドル Maison book girl 予告。

 

注意! 

これは Maison book girl についての文章ですが、ファンが求める文章ではないかもしれません。もし、自分の思うのとは違うブクガの話は許せない人は読まないでください。時間が経って読みたくなったときに読んでください。私はアイドルというジャンルについて文章化しようと試行錯誤しています。Maison book girl は明らかに突出した表現をしたアイドルで、それを後の時代の人にも理解してもらえるようこの文章を残します。

 

 

 

 

消えたアイドル 

Maison book girl 

2021· 5·30 ブクガ消失。消えた楽曲派アイドルの謎を解く

 

2021年5月30日に消失した Maison book girl はどんなアイドルグループだったか? もし聴いたことがない人がいるなら、Youtubeで公開されている『bathroom』『夢』『悲しみの子供たち』をまず観てもらいたい。「これはアイドルなの?」という感想を持つ人が多いのではないか。もちろん、彼女たちはアイドルであるし、アイドルでなければならなかったと言うべきかもしれない。4人が演じてきたのは何だったのか? それがこの文章に書かれていることだ。(次回から本文へ)

 

 

 

 

 

 

 

1989年8月 連続幼女誘拐殺人事件

1988年~89年にかけて、埼玉県から東京都にかけて4歳~7歳の女児4人を誘拐し殺害する事件が起きた。最初の事件以降、連日ワイドショーはその事件を取り上げた。連続で起きる事件に報道も加熱して行く。1989年7月、迷宮入りするかと思われた事件が一気に進展する。八王子市で幼い姉妹の全裸写真を撮っていた男を、姉妹の父親が取り押さえる。最初の事件から354日後、取り調べでその男、宮崎勤(当時27歳)が自供したのだ。宮崎の自宅には一斉に報道陣が詰め掛けた。このとき宮崎の部屋が全国に放送されている。そこには窓が見えなくなる程のビデオテープが積まれていた。ノンフィクションライターの大泉実成は『Mの世代』(1989年、太田出版)において取材を元にその様子を記事にしている。事件により「おたく」という言葉が一般にも広がった。取り調べが進み、宮崎は連続幼女殺人事件の犯人として再逮捕。2008年に死刑執行。宮崎が事件を起こした1988年は彼の祖父が亡くなった年で、その数ヶ月後から犯行は始まった。「犯行は覚めない夢の中でやった」と語った。