ハノイの日本人

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「α-Synodos」というメルマガ。

「α-Synodos」というメルマガがあるそうです。芹沢一也さんと荻上チキさんが編集されているようです。その創刊にあたっての2人の対談がありました。最初に現在の批評の状況を説明されていて、それがとても面白かったので、少し長いですが引用します。


◉ αシノドス創刊にあったて
http://kazuyaserizawa.com/mm/introduction1.htm

荻上: 今日はシノドスメールマガジンを配信するに当たり、その方針や動機についてお話できればと思います。そもそも、芹沢さんが1年前に「シノドス」を一人で立ち上げ、セミナーを始めたのはなぜでしょう?


芹沢:そうですね。いろいろな動機があったのですが、ここでは思想史的な方向から話しましょう。『現代用語の基礎知識』ってあるじゃないですか。あのなかで、ひとつの言葉の説明が、1980年にがらりと変わります。「先進国病」という言葉です。以前は「先進国病」は高度成長が生み出したひずみ、環境悪化や公害だと説明されていました。そこには70年代の市民運動や革新自治体的なものがまだ残存していたのです。


それが80年版からは先進諸国の文明病となって、経済の停滞や財政の破綻、あるいは活力の低下や依存心の増大といったことがいわれだした。執筆者はブントの指導部だった香山健一です。そして、香山の思想に共鳴した土光敏夫が、中曽根のもとで第二臨調の会長に就任する。つまり現在にまでいたる新自由主義的な改革のはじまりです。


80年代の福祉や社会保障関係の文献を読んでいると、こうした事態に敏感に反応しています。同時代のサッチャーレーガンの改革を視野に入れながら、臨調・行革路線が生活の基盤を突き崩すとして、新自由主義批判を展しています。ところが同じ時期、思想や批評の領域はどうだったのか。浅田彰さんが『逃走論』を出版したのが84年です。つまり「豊かな社会」における消費社会的なポストモダンとなりました。


高原基彰さんが『不安型ナショナリズムの時代』で、日本のポストモダニズムを社会的・経済的文脈をまったく度外視した言説だとして、浅田彰さんから宮台真司さんにいたる流れを抑えています。高原さんは「コミュニケーション領域を語れば世界を語ったことになるという錯覚」という表現を使っていますが、要するに80年代、90年代は文化論の時代だったんですよ。文化を語ることで、社会を語るというスタイルが通用していた。


ところが、2000年代に入って、そうしたスタイルが決定的に説得力を失いました。例えば雇用の問題でも犯罪の問題でも、80年代、90年代は文化やコミュニケーションの問題として語ってきたわけです。しかしそれは無効になった。そして、それ自体は決して悪いことではなく、逆に必然的なことだったというのが、ぼくの現状認識です。思想や批評はいわば平和ボケしていたのです。(以下まだまだ続く)