ハノイの日本人

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作詞家 阿久悠と スター誕生! その6「ポニーキャニオンの時代」

関係のない話ですが、きょう Mステで見た 剛力さんの歌、とてもよかったと思います。まず、それだけは言っておきたい! まったく、ライブ感のないヤツらこそ反省するべきだと思います。ハラハラしたもんねw 吊り橋効果で恋に落ちるってこんな感じ?


きのう、これまで書いて来た文章のまとめを書きました。今回はアイドル史の続きを書きます。80年代に入り、学校のクラスメイトをイメージさせる7人組グループ、チェッカーズが大ブレイクしました。さらに、チェッカーズが所属したキャニオンレコードから、1985年、その女性版ともいうべき女子高生の放課後をコンセプトにしたアイドル・グループがデビューします。おニャン子クラブです。


◉日本にはなぜこんなにアイドルがたくさんいるのか?
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20130704/1372916736



1985年4月にスタートした、夕方5時のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』では、「ザ・スカウト アイドルを探せ」というコーナーが毎日あり、番組に出演する女子高生のオーディションが行われていました。金曜日の最終審査で合格した者が「おニャン子クラブ」のメンバーとなったのです。毎週審査をしているわけですから、当然、人数は多くなります。デビュー曲『セーラー服を脱がさないで』の時点でメンバーは13名でした。


この番組には構成作家として秋元康が参加していました。秋元はすでに伝説となっていたオーディション番組『スター誕生!』を下敷きにしています。『スター誕生!』も「花の中三トリオ」を中心に同年代のアイドルが多く誕生しました。それ故、学校を思わせる雰囲気があったわけです。しかし、秋元が『スター誕生!』について注目した部分は別にありました。


 ⇒「スター誕生」以後のアイドルが、どこか同じ色合い、雰囲気を感じさせるのに比べて「スター誕生」は、森昌子であり、桜田淳子であり、山口百恵であり、伊藤咲子であり、岩崎宏美であり、ピンク・レディーであり、小泉今日子であり、中森明菜であり、共通するのはデビュー時の年齢ぐらいで、見事に多色刷りであると自負している。(中略)ぼくは、その少年少女たちのデビュー曲の半分近くを作詞した。(阿久悠『星を食った男たち』)


おニャン子クラブのすべての歌詞や、おニャン子からソロデビューするアイドルの歌詞の多くも秋元康が書いたわけです。それにより秋元康の存在は、楽曲以上に注目されることとなりました。以下のようなヒット曲を残しています。



◉1985年
おニャン子クラブセーラー服を脱がさないで』24.7万枚 *オリコン年間38位
◉1986年
河合その子『青いスタスィオン』34.1万枚 *オリコン年間10位
新田恵利『冬のオペラグラス』32.0万枚 *オリコン年間13位
国生さゆりバレンタイン・キッス』31.7万枚 *オリコン年間14位
うしろゆびさされ組『バナナの涙』31.0万枚 *オリコン年間17位
新田恵利『恋のロープをほどかないで』28.4万枚 *オリコン年間22位
おニャン子クラブ『じゃあね』28.1万枚 *オリコン年間23位
吉沢秋絵『季節はずれの恋』28.0万枚 *オリコン年間24位
国生さゆり『夏を待てない』25.4万枚 *オリコン年間29位
うしろゆびさされ組『渚の「・・・・」』23.2万枚 *オリコン年間35位
うしろゆびさされ組『象さんのすきゃんてぃ』23.1万枚 *オリコン年間37位
高井麻巳子『シンデレラたちへの伝言』20.9万枚 *オリコン年間41位
おニャン子クラブ『おっとCHIKAN!』20.6万枚 *オリコン年間44位
渡辺美奈代『瞳に約束』20.2万枚 *オリコン年間46位
新田恵利『不思議な手品のように』19.4万枚 *オリコン年間50位
◉1987年
渡辺満里奈『ホワイトラビットからのメッセージ』17.4万枚 *オリコン年間37位



年間 TOP50 に14曲を送り込んだ1986年を中心に、とびきりの大ヒットはないものの、30万枚前後のヒットを連発したわけです。『スター誕生!』では、ほとんどの作詞を手掛け、大ヒットを連発した阿久悠に対して、以下のようなことが言われたそうです。


 ⇒阿久悠は番組を私物化し、作詞をする権利を掴んで放さない、といった種類のことである。外部の声もあったし、日本テレビの中の話としても聞こえて来た。やがて、それらの雑音が、ぼくの情熱を失わせる大きな原因ともなるのだが、その時点では、腹を立てながらも、聞き流していた。誰が何と言おうが、ぼくがいちばん愛情を持って見つめており、一人一人を別個性として考え、想像できるのは、ぼくしかないと思っていたのだ。(阿久悠『星を食った男たち』)


しかし、それを模倣した秋元にそのようなことを言った人はいないようでした。ただ『ザ・ベストテン』の司会者・久米宏は「チャートがお子様ランチになった」という言葉を残しています。『スター誕生!』はどの世代からも愛され、12年に渡って放送された人気番組でした。一方で『夕やけニャンニャン』は中高生を中心に一部の世代で熱狂を生んだ番組でしたが、次第に熱を失い、2年5ヶ月でひっそりと幕を閉じています。



そして、1987年8月。おニャン子クラブと入れ替わるようにポニー・キャニオンからデビューしたのが 光GENJI でした。それについては・・・・以下の電子書籍で読んでほしいなー


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◉ 硝子の少年漂流記 1977-1997

 http://p.booklog.jp/book/66659

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