ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

佐々木敦『ニッポンの音楽』。

佐々木敦『ニッポンの音楽』読みました。「リスナー型ミュージシャン」という言葉をもとに、70年代「はっぴぃえんど」80年代「YMO」そして、J-POPの誕生を挟んで90年代「渋谷系小室哲哉」00年代「中田ヤスタカ」というそれぞれの物語が書かれています。それぞれの時代をほぼひとつのグループで語ってしまうという手法に批判もあるそうですが、私としてはすんなり読める本でした。とても面白かったです。



渋谷系は「リスナー型ミュージシャン」の完成形と書かれてありました。海外の音楽を聴き込み、それを消化して日本語で形にする。渋谷系について知りたい人は、その本質が説明されたこの本を読むのがいいと思います。この本の出版記念イベントがゲンロンであり、ニコ生で中継されました。出演者はリンク先で見て欲しいですが、柴さんは「全力⇔洒脱」を横軸、「表層⇔内面」を縦軸でチャートをつくる話をされていました。例えば、渋谷系は表層で洒脱。ロキノンは全力で内面。なるほどーw 南波さんは3月10日に『JAPAN IDOL FILE 100』の2が出ると告知されていました。それと、一番下に東浩紀さんがイスラム国の惨殺映像について書かれた文章が面白かったです。リンク先で全文読んだ方がわかりやすいです。


佐々木敦×柴那典×南波一海 「J-POP IS OVER?」(ゲンロン)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv206885446




◉南波一海present「ヒロインたいのうた。」第21回 宇田隆志
http://www.cdjournal.com/main/special/song_of_the_heroines/645/21
『今回のゲストはBELLRING少女ハートPeach Sugar Snowといったグループの編曲 / サウンド・プロデュースを手がけている宇田隆志。鍵盤奏者として、七尾旅人空気公団Salyuなど、さまざまなアーティストのバッキングを務め、また現在は、鈴村健一伊藤かな恵など声優歌手のライヴ・サポートも行なっている彼がアイドル・ソングを手がけることとなった経緯とは?』  


ひとつ気になったのは、南波さんが「アイドル楽曲派なんて有り得ない」と言われていたことです。かわいい女子が歌っているジャンルを選んでいる時点で、そこにフェティッシュなものがあるはずだと語られていました。うーん、ないとは言わないけど、私もどちらかと言うと楽曲派に分類される方だと思います。例えば、握手を避ける。時東ぁみを最後に、チャンスがあっても避けて来ました。ナルチカも行きません。嫌なんですよ。握手の仕方とかでその子の曲を聴かなくなるとか。


70年代から聴いて来た私にとっての「アイドル楽曲」は、かわいい子に大金をかけて素晴らしい楽曲を歌わせるイメージ。どちらかと言うと「大人」が主役。楽曲の制作陣には、才能がひしめき合っている。そんなイメージなんです。いまのシーンでもそういう感じはあるでしょ? かわいいだけでいいなら、ドラマやCMに出てる子たちの方がずっとかわいいですし。楽曲派が有り得ないという言葉は、BABYMETALのファンに対してロリコンと言い切るのに似てるんじゃないでしょうか?




◉【イスラム国映像の意味】ゲンロン観光地化メルマガ #30【編集長・東浩紀
http://ch.nicovideo.jp/fukuichikankoproject/blomaga/ar724754
『最後に付け加えれば、ぼくはイスラム国の脅威の本質を以上のように捉えているので、一部で称賛されている「クソコラ」による抵抗運動はまったく評価しない。クソコラを称賛する人々は、あれら日本のオタクたちが作り上げたパロディ画像は、テロの現実を虚構化し、笑いの対象とすることで、イスラム国の権威を貶め、彼らの勢力を削ぐことにつながるのだと主張している。しかし、ぼくの考えでは、その虚構化の欲望こそが、そもそもイスラム国の欲望に近いのだ。パイロットの生きながらの焼殺をハリウッド風に編集するイスラム国の感性と、首にナイフを突きつけられた人質たちの写真をアニメ風にコラージュするわが国のネットユーザーの感性は、彼ら自身が思うほどには遠くはない』