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ジャニーズの教科書。第4章「少年から大人へ」⑤

郷ひろみが出て行って以来、ヒット曲を一曲しか生み出せなかったジャニーズ事務所。そんな冬の70年代後半を経て、80年代はたのきんブームによってスタートから快調でした。そう言えば、今年はマッチさんのデビュー35周年が祝われていますが、そうであればもちろんトシちゃんの35周年でもあるわけですよ。ジャニーズ・ファンとしては忘れてはならないはずですよね?


◉ジャニーズの教科書。第4章「少年から大人へ」
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150706/1436192971
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150713/1436791513
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150720/1437382599
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150727/1438003276



◉1979年、ドラマ『金八先生』で たのきんブーム!
NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』(2010年)では、1980年に入ると突然すべてが光に包まれたようになり、妖怪が住むような影の場所は消失したと表現されていました。そして、その時代を象徴したのが「たのきんトリオ」だったとナレーションがあったのでした。



◉たのきん年表
1976年8月 田原俊彦、ジャニーズに入りたいと直接事務所に行く
1977年2月 野村義男、代々木公園でジャニーさんにスカウトされる
1977年?月 近藤真彦、面接を受けレッスンを受けるようになる
1979年10月 ドラマ『3年B組金八先生』スタート
1980年5月 ドラマ『ただいま放課後』出演
1980年6月 田原俊彦、シングル『哀愁でいと』でデビュー
1980年12月 近藤真彦、シングル『スニーカーぶる〜す』でデビュー
1981年8月 たのきん3球コンサート、後楽園球場
1983年6月 野村義男、シングル『待たせてSorry』でデビュー
1983年9月 THE GOOD-BYE、シングル『気まぐれOne Way Boy』でデビュー
1987年12月 近藤真彦、シングル『愚か者』でレコード大賞受賞
1988年4月 ドラマ『教師びんびん物語』で田原の人気復活
1990年4月 THE GOOD-BYE、活動休止
1994年2月 退社が決まっていた田原俊彦、長女誕生の記者会見「ビック発言」で叩かれる
1994年3月 田原俊彦ジャニーズ事務所を退社


田原俊彦シングル・リスト
1. 哀愁でいと(1980年6月)70.0万枚
2. ハッとして!Good(1980年9月)46.1万枚
3. 恋=Do!(1981年1月)59.8万枚
4. ブギ浮ぎI LOVE YOU(1981年4月)48.7万枚
5. キミに決定!(1981年7月)33.8万枚
6. 悲しみ2(TOO)ヤング(1981年9月)37.7万枚


1979年10月に放送されたTBSドラマ『3年B組金八先生』で生徒役を務めたジャニーズ事務所の3人が注目を浴びます。田原俊彦野村義男近藤真彦です。3人の名前から最初の漢字一文字ずつを取って付けた「たのきんトリオ」です。ここから世間一般にも美少年アイドル専門の芸能事務所として、ジャニーズ事務所が知られるようになります。


郷ひろみ移籍以降で、最初に大ヒットを飛ばしたのは田原俊彦でした。「たのきんトリオ」で最初にデビューしています。デビューシングルはレイフ・ギャレットのヒット曲のカヴァーソングでした。これが70万枚のヒットとなり、年間シングルの第10位に輝いています。さらに、同じ年の12月には近藤真彦が『スニーカーぶる〜す』でデビュー。これがジャニーズ事務所初のミリオンセラーとなります。ここから数年、田原と近藤が競い合うようにヒットを飛ばし続けます。では、この時期のトップは田原だったのか? 近藤だったのか? それとも2トップ体制だったのか? 以下で考えて行きましょう。



田原のデビュー曲『哀愁でいと』は、一見通過儀礼ソングに見えます。タイトルにある「哀愁」が郷ひろみ通過儀礼ソング『よろしく哀愁』から取ったものだと推測できるからです。であるなら、『哀愁でいと』も『よろしく哀愁』と同じようなシチュエーションと考えた方がいいのでしょうか? つまり、年上の女性と関係を持ち、そして失恋したと・・・


しかし、『哀愁でいと』の歌詞には郷ひろみの別の曲も引用されているのです。「♪ 赤い薔薇投げ捨て これで終わりにしようぜ」です。なぜ、薔薇を投げることが終わりを意味するのか? これは郷ひろみ『魅力のマーチ』の歌詞にある、「♪ 振り向いてくれたらこの薔薇をあげる 知らん顔するならもう捨てちゃう」です。田原のデビュー曲は、郷ひろみを意識した歌詞が書かれていました。


川崎の『レッツゴーダンシング』が売れなかったからでしょうか? これもまたジャニー社長が郷ひろみへの未練を断ち切り、別れを告げた曲と考えられるのです。そうであるなら、これはジャニー社長自身の通過儀礼ソングと言えるかもしれません。なので、田原自身はセックスを経験しているかどうかを判断することはできないのです。次のシングルも観てみましょう。


田原俊彦『哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)』(1stシングル、1980.6、NAV)
   作詞、作曲:Andrew J.DiTaranto-Guy Hemric、日本語詞:小林和子、編曲:飛澤宏元
⇒川崎の通過儀礼ソングとセットで作られた? 再びジャニー社長が郷ひろみに別れを告げた曲?


デビュー曲の大ヒットを受けて制作された2ndシングルにもメッセージが込められていました。それはまさにジャニー社長から郷ひろみにあてたメッセージだったのです! 証拠を見せましょう。



田原俊彦の2ndシングル『ハッとして!Good 』は作詞、作曲を宮下智が手がけています。宮下は女性で、元々はクラシック音楽出身だそうです。代表作には、田原俊彦『キミに決定!』『ジュリエットへの手紙』『チャールストンにはまだ早い』『NINJIN娘』『ブギ浮きI LOVE YOU』での作詞、作曲。そして『原宿キッス』『誘惑スレスレ』の作詞があります。田原俊彦の明るく軽いイメージを宮下が作ったと言っても過言ではないでしょう。また、少年隊『What’s your name?』の作詞や、『レイニー・エクスプレス』『まいったネ今夜』の作詞、作曲を手掛けています。


 ♪ ハッとして グッときて パッと目覚める 恋だから


『ハッとして!Good 』で一番印象的なのは上の歌詞ですよね? これまで私は「グー、チョキ、パー」を題材にした歌詞だと思っていました。それもジャニーズらしいのですが、でも違ったのです。実はこの歌詞には元ネタがありました。初代ジャニーズで紹介した書籍『ジャニーズ・ファミリー』の中に面白い記述を見つけたのです。第3章は丸ごと郷ひろみについて書かれています。そこに「ひろみはどんなタイプの女の子が好きなのだろう」という文章があります。「具体的なイメージがない」とひろみが語ると、著者はさらに質問を続けます。


 じゃ君は女の子に恋しないの。
「そんなことないですよ。僕だって恋はしたいです」
 でも好みのタイプがいないんでしょう。
「いや、そうではなくて。なんというのか、今、目の前にいないのに、どんな女性といって答えられないでしょう。つまりはそういうことですよ」
 いつ、恋愛するのかな。
「さあ、そればっかりはなんとも」
 君自身の予感としては、どうかな。
「そうですね。僕はきっと一目惚れかもしれないな。ぱっとあって、ぱっとひらめいたら、恋をしている、そんな感じかな」(P165)


デビュー直後の会話だそうです。さすが 郷ひろみ。少年時代からしっかり受け答えしていたんですね。そして、この最後の言葉「ぱっとあって、ぱっとひらめいたら、恋をしている」というひろみが自分の初恋を連想して語った言葉を使って、田原俊彦『ハッとして!Good 』は作られていたわけです。


田原俊彦『ハッとしてGood!』(2ndシングル、1980.9、CA)
   作詞:宮下智、作曲:宮下智、編曲:船山基紀
⇒3度、郷ひろみへのメッセージソング。


書籍『ジャニーズ・ファミリー』が発売された 1970年代後半はジャニーズにとって冬の時代とも言われるツライ時期でした。きっかけは冒頭にも書いたとおり郷ひろみの事務所移籍です。ジャニー社長もかなり落ち込んでいたと言われています。ですから、この本は既に他の事務所に移籍した郷ひろみのことを、わざわざ「ジャニーズ・ファミリー」だと宣言している本なのです。それほどまでに郷ひろみは特別な存在だったわけです。


1980年にたのきんブームが到来。そして、冬の終わりを確認してから作られた明るい曲『ハッとして!Good』が、ジャニー社長が愛した郷ひろみの発言から作られたという事実に、私はとても感動しました。では、そこに込められたメッセージとはなんだったのでしょう? 田原の初恋の相手はボクだと言ってるのでしょうか? それとも田原こそがボクの初恋だと言ってるのでしょうか?


一方、郷ひろみ田原俊彦『ハッとして!Good 』が発売され翌月に、著書『たったひとり』を刊行しています。そこでは「人間だれしも、ひとりでは生きられないという意味を、逆説的にたとえたタイトルなんだ」と語られています。これは明らかに『ジャニーズ・ファミリー』へのアンサーでしょう。しかし、それでもジャニーさんへの感謝の言葉が随所に登場しているのでした。



さて、『ハッとしてGood!』が初恋の歌だったことが気になりました。ここから田原の青春ストーリーが始まるのでしょうか? シングルを検証して行きましょう。3枚目『恋はDO!』は性的な歌詞が並びます。「♪ I wanna do! 」とにかくしたいのです。4枚目『ブギ浮ぎI LOVE YOU』には、「♪ モナリザみたいに 神秘的だし」という歌詞が登場しています。これまた、郷ひろみの7枚目のシングル『モナリザの秘密』を連想させます。その曲はひろみが性に目覚め、年上の女性に性の手ほどきを受けた曲でした。いよいよ近づいて来たのでしょう。


田原俊彦『ブギ浮ぎI LOVE YOU』(4thシングル、1981.4、PC)
   作詞:宮下智、作曲:宮下智、編曲:船山基紀
モナリザ登場。毎日が楽しくて笑うしかない!アハハハハ!


そして、5枚目のシングルでセックスの相手を決定します。その名も『キミに決定!』。面白過ぎでしょう! かなりの名曲です。これが通過儀礼予告ソングとなっています。というか、ここで年上の相手に導かれセックスを経験したのでしょう。ダンスを表現した歌詞は恐らくセックスなのだと思われます。


田原俊彦『キミに決定!』(5thシングル、1981.7、PC)
   作詞:宮下智、作曲:宮下智、編曲:船山基紀
⇒予告ソング。セックスの相手が決まりました!



6枚目のシングル『悲しみ2(TOO)ヤング』には「♪ ゆらりゆれた 小舟の中で結ばれたね」とあり、性体験を直接表現しています。また出だしの「♪ こんなはずじゃなかったよね あの夏の日の約束は」という歌詞は、郷ひろみのときと同じく、セックスが描かれると同時に、それが悲恋で終わったことを表現しています。最後には「♪ 壊れたハートに口づけを」という歌詞まで登場し、田原俊彦通過儀礼ソングであることを証明しています。


1979年に川崎麻世が『レッツゴーダンシング』で通過儀礼を済ませ、次の年、1980年6月に田原俊彦がデビューする。そして、6枚目のシングルまでで、早送りながらも少年から大人への成長を描いていました。それは19歳でデビューした田原の年齢とも関係していたのでしょう。しかし、第1章でも触れたように、近藤真彦のシングルでも成長物語は描かれているのです。どういうことでしょう? トップが2人いたのでしょうか? 次回、近藤のシングルを観て行きましょう。(つづく)