ハノイの日本人

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渋谷系と日本語ラップは対立しなければならないのか?

磯部涼には少しがっかりしてる。人間が少し小さいのではないか? エアリプだけど、私の文章へのディスりだと判断してきっちり返して行く。fuze というサイトで海外ドラマや映画を中心に「ブラック・コミュニティ発の表現」について語られた鼎談が掲載された。そこに磯部涼の『引用と言えば「渋谷系」「90年代」みたいなよくわからない整理のされ方になってしまう』という発言があった。


先月、大澤真幸さんの時代区分「不可能性の時代(1995-現在)」を使って、その時代の日本の音楽として日本語ラップを語った。そこで95年以前の状況として『今夜はブギーバック』も取り上げ、渋谷系の音楽との関わりについても書いた。もちろん『引用と言えば「渋谷系」「90年代」みたいなよくわからない整理』がしたかったわけでもないし、そんな整理はしていないはずだ。反論するならその根拠を示してほしい。そもそもこの鼎談で語られてる日本の映像表現に引用の歴史がないなんて話自体おかしくないか? 海外に引用だってされまくってるのに。興味のある方は、両方の文章をリンク先で読んでもらいたい。


大澤真幸『不可能性の時代』について。
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180220/1519084452



◉映画『ブラックパンサー』は本当に傑作なのか?ーーブラック・ライヴズ・マター以降/トランプ政権誕生以降の「ブラック・コミュニティ発ドラマ表現」を巡って(コントリビューター小林 祥晴)
https://www.fuze.dj/2018/03/culture-talk-about-bp.html
田中宗一郎:やっぱり『ブラックパンサー』のキャスティングはホント巧みですよ。長老役を演じているフォレスト・ウィテカーは『DOPE/ドープ!!』(2015年)をプロデュースした人でもあって。『DOPE/ドープ!!』は、白人に憧れている黒人を、白いクリームが黒いビスケットに挟まれた「オレオ」と表現していて、中途半端なアイデンティティを持った若いブラックを描こうとしていた。で、『ブラックパンサー』での彼の役柄も、二つの立場の間で翻弄される役柄だったり。
渡辺志保:それに、フォレスト・ウィテカーはブラック・ハリウッドの長老的な人物だからこそ長老役に置いた、というところもありますよね。
田中:そうですそうです。そんな風にカルチャーの体系全体を意識した作りになってるんですよね。
宇野維正:そういうものを楽しむコードみたいなものが、映画マニアだけじゃなく、90年代頭からラップ漬けになっているアメリカ人には染みているんだと思うんですよ。でも、日本人は何からの引用もない、ぼんやりとした鼻歌みたいなJ-POPをずっと聴いてきたから、引用を楽しむっていう感覚がない。そう思うと切なくなりますけどね。
磯部涼:引用と言えば「渋谷系」「90年代」みたいなよくわからない整理のされ方になってしまうんですよね。
宇野:そう! 音楽なんて全然そこから続いてるのに、日本では何故かサンプリング文化みたいなところで止まってしまってる。特にネットの書き込みとかに顕著だけど、みんなパクリと言って鬼の首を取ったような気になってる、そのレベルの低さにびっくりしますよね。



80年代はもとより90年代になっても日本でラップが一般化するような状況はなかった。やっと J-RAPという形でヒットが出だしたくらいだった。90年代に入って渋谷の狭い地域にレコードショップがたくさん集まってきて、そこにラッパーだけでなくそれ以外のミュージシャンも集まっていた。ラップはラップから生まれたわけじゃない。それまでのいろんな音楽が持ち込まれて誕生している。荏開津広さんの日本語ラップ誕生の源流の一つにYMOがあるという文章だってある。これ凄いよね!


荏開津広が日本のヒップホップ/ラップ史を紐解く新連載 第1回:ロックの終わりとラップの始まり( Realsound)
http://realsound.jp/2017/01/post-11172.html
『日本を代表するラッパーZeebraのライブDJでもあるDJ CELORYが言う通り「起きてから寝るまでヒップホップ・ミュージックのことを考えていた。知らないラップ・ミュージックを聴きたいし覚えたい、そういう追求したい衝動に駆られていた」子供たちが日本語ラップを始めた。それがいつどのように始まったのか、ここに既に書いたように幾つもの伏線があるけれど、そのうちのひとつは坂本龍一高橋幸宏細野晴臣の3人がYellow Magic Orchestraというグループで「Firecracker」という曲をカヴァーした瞬間だ。』