ハノイの日本人

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おニャン子がチャートを壊した3。

以前、1986年のオリコンチャートで、52週中36週がおニャン子クラブ関係のシングルだったという話を書きました。その結果、翌年1987年はチャートが崩壊して、ヒット曲のスケールが小さくなったと指摘しています。年間1位の瀬川瑛子命くれない』は42.3万枚。30万枚売れたシングルもたった7枚しかありませんでした。それは1位が寺尾聡『ルビーの指輪』の132.7万枚で、30万枚売れたシングルが48枚もあった1981年から比べると、かなり寂しい数字だとわかります。オリコンチャート開始以降、年間1位最低枚数が1987年だったのです。


しかし、音楽業界が不況だったわけではありません。この年、史上初めて生産実績が3000億円を突破しているのです。どういうことでしょう? 項目別に見ますと、やはりCD生産の伸びが貢献してるとわかります。CDが最初に登場したのが1982年8月。そして1984年11月には早くもソニーから5万円を切るプレイヤーが発売されています。最初は赤字でも普及させることを盛田会長は優先させたのです。以前よりずっと簡単に音楽を聴けるようになり、聴くジャンルも多様化したのでしょう。MTVにより洋楽が中高生にも広がった話も既に書きました。1988年にはチャートも回復傾向を見せています。光GENJIのブームがあった年です。さらに90年代にはメガヒットが続出します。1987年を底に V字回復を見せたのでした。



私が1986年に注目した理由が、もう一つあります。おニャン子クラブのチャート占拠によって、今に繋がるある事件が起きたことです。ある種の「談合」がスタートしたのではないか? 既に書いたようにおニャン子関連のシングルは36週も1位を占拠しました。当然、それに加担したレコード会社が話し合い、どの週にどの歌手がレコードを出すと決めたはずです。それは力関係によって1位が決まる現在の状況と地続きでしょう。


おニャン子クラブ:キャニオン
   河合その子CBSソニー
    新田恵利:キャニオン
うしろ指さされ組:キャニオン
    吉沢秋絵フォーライフ
  ニャンギラス:ワーナー・パイオニア
   国生さゆりCBSソニー
    福永恵規:キャニオン
   城之内早苗:CBSソニー
   渡辺美奈代:CBSソニー
   渡辺満里奈:EPICソニー
うしろ髪ひかれ隊:キャニオン



キャニオンが多いのは、おニャン子クラブが誕生した番組『夕やけニャンニャン』が系列会社のフジテレビで放送されていたからです。CBSソニーフォーライフワーナーパイオニア、EPICソニーを加えて、5社がこの「談合」に参画したわけです。これらの関係者から当時の事情を検証して欲しいものですね。


しかし、そんなことは70年代『スター誕生! 』が既にやってたことではないか? おニャン子を生んだコーナー「アイドルを探せ」は、『スター誕生! 』のパロディです。だから、秋元康阿久悠のごとくほとんどの歌詞を手掛けている。『スター誕生! 』は渡辺プロダクションの一党支配を突き崩す目的で、他の事務所の歌手を増やすために企画されています。そのことでホリプロサンミュージック、なども経営を軌道に乗せることができたわけです。ですが、逆におニャン子はチャートの占拠を目的としたゲームを行い、歌謡曲を崩壊させたのかもしれません。


86年はそういう意味でも転換期だったのではないでしょうか? なんの転換期だろう? いい曲を出すことで売上を競うというような、牧歌的時代の終わり(いやここはもう少し慎重に考えたほうがいいかも)。そして、このモラルハザードがさらなる事件を呼び込みます。(続く)