ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

ごはんができたよー。5

ヴォルゴグラード暑いです。ちょっと砂漠のような気候です。来る前ロシアは寒いと脅されて防寒具を買ってきたんですけど、エカテリンブルグで1回使っただけでした。昨日は借りたアパートの大家さんが街を案内してくれました。夕方からなのに暑さで倒れそうになった。ポーランド戦は間違いなくスタメン変えてくるはず。ちなみに、日本にはミスしないことを期待できるキーパーはいないから。大会前1点は仕方ないと考えて、どうやってゴールするかって話だったと思うんですよ。


◉ごはんができたよー。
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180621/1529587669
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180624/1529782554
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180624/1529790533
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20180624/1529832570


6月19日(火)5:03サランスク、15:00日本 VS コロンビア
6月20日(水)6:13サランスク➡︎
6月21日(木)➡︎5:59エカテリンブルグ
6月22日(金)メイドカフェ
6月23日(土)パペット劇場、血の上の聖堂、オペラ鑑賞
6月24日(日)20:00 日本 VS セネガル




小麦アレルギーの私が、ワールドカップ中どんな食生活を送るか? そんなテーマで文章を書いてきました。後半はアパートを借りているので自炊が可能です。しかし、レパートリーが少ない。ジャガイモばかり食べてられない。私もカレーを作りたい。6月19日に戻ります。コロンビアに勝って最高の気分でスタジアムを後にした・・・・今はそんな気分になってますが、正直、そのときは複雑でした。あの最初の PK がなかったらどうだったのか? まったく別の試合になってますよね。これを日本の実力だと思ってはいけない。そんな風に思ってました。


上の写真は、コロンビア・サポでいっぱいのスタジアムと、日本代表が泊まっていたホテルです。現地で知り合った人が教えてくれたんですけど、結構普通のホテルでしょ? それくらいホテルがない街だった。でもゴール裏でもこの観やすさですよ。素晴らしかった。


コロンビア戦が終わったのは17:00くらい。でホテルはないので列車が出る朝6:00まで街をぶらつかないといけません。レストランにいた時間以外は駅前のファンフェスタでサッカー観戦。それが終わってからは街を徘徊して、また駅に戻って寒いので荷物を預けてた地下に退避。ここで椅子を見つけ仮眠。なんとか一夜を過ごすことができました。サランスクからエカテリンブルグへの24時間列車に乗り込みます。


今回部屋が一緒になったのはロシア人カップル。ラッキーなことにカザンで下車。二人もサッカー観戦旅行でした。男の方は体格も良く少し怖い感じだったけど、降りる前になって、お菓子をすすめてきました。小麦だったので食べれなかった。彼はコインを集めてるそうです。100円玉と10円玉をあげました。すごく喜んでくれて、彼の生まれ故郷が描かれてる10ルーブル紙幣をくれました。現在はそれほど流通してないようです。


列車の中で知り合った日本人がシャワーのことを教えてくれました。彼は ITエンジニアでゲームを制作しながら海外を旅してるそうです。ワールドカップは初体験だそう。二人で食堂の方に行ったとき、老夫婦に挨拶したら呼び止められました。「まあ座りなさい」。夫人は50年前にモスクワに留学していて、そして夫と知り合ったと言われました。食堂車なのでサリャンカを食べながら、サランスクのことなど話を聞きました。


肉が美味しいですよねと言ったところ「そうなんだ。昔はまずかったけど、最近は美味しくなってる。そう思ってもらえるのは非常に嬉しい」と言われました。以前は乳牛にした後、乳が出なくなった牛をそのまま食肉にしてたそうです。最近はそのあと放牧してから食肉にしてるそう。この方は10年ほどソ連時代にこの国で働いてたそうです。車内で知り合った他の日本人もこの老夫婦に呼び止められ話を聞いたと言ってました。この老夫婦と話していて、両親が新婚旅行としてシベリア鉄道でモスクワに行った話をしてたのを思い出しました。素晴らしい旅行だったが、長い期間、車内の食堂で毎日食べるマトンの油臭さが辛かったと母は語っていましたw


エカテリンブルグに到着。24時間列車は結構楽でした。移動がなく寝てるだけ。疲れも溜まってたのでいくらでも寝れました。ただペルーサポーターが食堂車でどんちゃん騒ぎをして、3人しかいないスタッフはいっぱい いっぱい。私が注文した料理が出てこなかったというのはあったな。あと到着時間がモスクワ時間(時差2時間)になってた。6:00到着予定でアパートの人との鍵の受け渡しを8:00にしていました。ところが到着時間が8:00だったんです。1時間半も待たせてしまいました。


地下鉄はわかりやすかったんです。出口も一つで迷いませんでした。しかし居住区の方には小さな道がいっぱいあって、それがGoogleマップには表示されません。住所の場所にたどり着き、チャイムを鳴らします。しかし、そこは幼稚園でした。子供を預けにきた女性が英語を話せました。私が案内してあげる。しかし、そこでも英語表記の住所だったせいで別の場所に行ってしまいました。




結局、幼稚園の裏がアパートだったんです。でも無事に鍵を受け取ることができました。お礼にオーストリアで買ったクリムト『DEATH AND LIFE』の絵葉書をあげました。彼女は英語とスペイン語を使ってこの街でガイドをしてるそうです。このプレゼントをすごく喜んでくれました。


アパートは広くて素晴らしかったです。ちょっと水が臭かったかな。でもスーパーも近く、食生活が改善されて少し太りました。でも大学生の甥っ子と喧嘩になりました。というか私が一方的に激怒したんです。原因はなんだろうな? 自分たちのサッカーがしたい・・・ではなく「自分らしい旅がしたい」って感じなのか? ご飯とかに関しても「自分のことは自分でするから」みたいな感じだったんです。皿洗いも自分の分だけやるとか。


エカテリンブルグで宿を取らなかったのも不満だったんでしょう。高い金を要求して来る相手に私はNO を言いましたが、彼からしたら「それでいいじゃん!」と思ったかもしれません。で私が激怒しまして「移動の手配も宿も全部やってるし、事故のないように配慮してる!」と怒鳴ったんです。翌朝「悪いけど今日は一人にして欲しい。君は観光をしてもいいし、ここで勉強をしてもいい。鍵をどちらが持つかだけを決めておこう」と言いました。


今回旅に出る前に「一緒にこの本を読もう」と提案してました。國分功一郎『暇と退屈の倫理学』を渡していたんです。この本はサッカー観戦の話から始まるんですよね。以前に半分まで読んでたんですが、そのままになってました。でこの旅で「なぜ私たちはサッカーを観るのか?」について考えようと思ったわけです。もちろん私が勝手に思ったことですけどね。彼は「中国語や法学の勉強で忙しいので読んでる時間がない」と言いました。


結局、彼は勉強すると言うので、鍵を渡して街に出かけました。もちろん目指すは HOLY MAID CAFE です。そのことは既に書きました。17:30に駅前のマックで待ち合わせ。私が少し前に行くと既に彼は待っていました。お昼は近所のケバブ屋さんで食べたそうです。私が若い頃のことを考えたら、こういうのも全然仕方ないことだと思います。それ以外でも、何度か一緒に海外に行った人で、お前が誘ったんだからちゃんと案内しろよ的な人はいました。でも私からしたら、海外に、ワールドカップに連れ出した時点で仕事は終わりです。みんな後になって感謝してくれたみたいだけど。(つづく)