ハノイの日本人

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高木紗友希イベント感想のつづき。

 

コロナ時代の哲学

コロナ時代の哲学

 

 

高木紗友希さんのイベントの感想を東京で書かずに高知に戻って書いたのには理由がありました。大澤真幸さんと國分功一郎さんの『コロナ時代の哲学』という本に気になる文章があったからです(でもそのことすっかり忘れてた!)。ここで國分さんはエイズと新型コロナの順番について語られます。どちらが先に来てもおかしくなかったはずだが、実際の順番としてこうなった。HIVで性的接触に厳しい制限が課せられ、その次に新型コロナで今度は対面で話すことにも制限が課せられるようになった。しかし、完全に安全なセックスなどないから「セイファーセックス」だったはずだ。であれば完全に安全な対面での対話などないから「セイファートーク」だと。「セイファーセックス」から「セイファートーク」への順番になっている。それが意味することはなにか。その発言を受けて大澤さんは斎藤環さんのnoteで発表された『コロナ・ピューリタニズムの懸念』という話題になった文章について触れられます。

 

そこでも、エイズと今回のコロナとの関係が論じられている。エイズの場合、性的接触による体液の交換が問題だった。今回は、飛沫感染が問題になっている。より微細な体液が、です。今回のことで、性的接触はもちろんのこと、実は人間の交流というのは、最小限の体液の交換をともなっていた、ということにあらためて僕らは気づくわけです。体液の交換を悪いことであるかのように禁止することは、人間の関係そのものの禁止になってしまうのです。

 

 

高木さんのイベントでもフェイスガードが配られました。マスクの上から取り付けましたよ。でも最後方にいた私は、絶対にここまで高木さんの飛沫は飛んで来ない! 体液の交換はあり得ないと気付かざるを得なかったのです。2曲終わった時点でフェイスガードを外しました。おわり。