ハノイの日本人

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特集3. 消えたアイドル Maison book girl。3

 

 

Maison book girl の文章 1〜3までを上のリンクから読むことができます。他に、ナウシカから始まる「孤独と暴走」を描くアニメ映画の系譜を紹介。あと坂元裕二脚本のドラマの解読も。

 

 

 

 

宮崎勤と4人の幼女。

 最初に「アイドル楽曲派」という言葉を紹介し、都築響一の写真集『IDOL STYLE』を取り上げた。そこには Maison book girl のメンバー矢川葵も登場し、自室を公開している。それだけではない。矢川のファンの部屋も掲載されている。そのことは結構重要かもしれない。実は、その本を私のブログで紹介するとき、都築のある写真集を取り上げた。

 

 1993年に刊行した『TOKYO STYLE』(京都書院)だ。それは東京に暮らす一人暮らしの若者の部屋を写真に収めた作品集で、恐らく、この特集の予告でも紹介した宮崎勤の事件から着想したものだろう。

 

 宮崎が逮捕されたとき、今では起こり得ないが、彼の自室がテレビで公開された。その様子は『Mの世代』(1989年、太田出版)で大泉実成が取材し記事にしている。新聞、テレビがなかば強引に侵入し、部屋を撮影したのだ。ビデオテープが壁一面にびっしり積まれ、窓が見えない部屋だった。本やマンガもあった。足の踏み場もないくらいに雑誌も散乱していた。その映像により、それまで一般には知られていなかった「おたく」という言葉と「おたくの部屋」のイメージがセットで拡散された。日本全国の Bookhouse Boy、「おたく」たちは犯罪者予備軍として、家族からも偏見を持たれるようになった。うちの子は大丈夫?

 

 しかし、そこに商機を見つけた者もいる。事件から数年後、都築響一は「おたく」要素を脱色して東京の若者の部屋を作品化する。ベストセラーになった。

 

 

 Maison book girl には結成前、book house girl という仮称があった。本の家の少女。そして、宮崎勤が殺害した幼女は4人だった。ブクガのメンバーは4人でなければいけなかったのだ。彼女たちが歌う狭い部屋の中での絶望は、そのことを歌っていた。宮崎の部屋で生き続ける4人の少女。それが Maison book girl だった。だから、ベストアルバムのタイトルは『Fiction』だったのだ。過去の悲しい出来事を書き換えることはできない。結成から6年半が過ぎ、メンバーは成長して大人になった。この表現から卒業する時期が来ていたのだろう。予兆はあった。

 

 2020年1月に行われた『Solitude HOTEL ∞F』は新しくなった渋谷公会堂で開催された。ブクガの集大成と言うべき素晴らしいライブだった。このライブでは巨大な透過スクリーンが活躍し、その美しさが観客の印象に大きく残った。今から思えば、スクリーンは宮崎の部屋のテレビモニターだった。メンバーはそこに取り込まれていた。しかし、このライブで最も大きな出来事は、メンバーが血まみれになったことだろう。

 

 ライブ終盤『bathroom』が歌われる中、徐々に意識が遠のくような錯覚を受ける。リズムが不安定になり、遅くなる。その中でメンバーは歌えなくなり、ついには次々と血まみれになった。ここで4人は死んだ。ベストアルバム『Fiction』の限定版特典としてそのライブは収録されている。

 

 

 そして、その後行われた無観客の配信ライブでは部屋から出て行くメンバーという表現が繰り返された。2021年4月に開催された『Solitude HOTEL 9F』では、4時間に渡る全曲ライブが行われた。お葬式だったのかもしれない。そのライブの最後には次回のライブが舞浜アンフィシアターで5月末に行われると告知された。喜びたいニュースだがタイトルが問題だった。正式なタイトルは『Solitude HOTEL』だが、嫌でもその横に書かれた数字が目を惹く。『Solitude HOTEL 404』。ネット上では「NOT FOUNDの意味ではないか?」と噂になった。

 

 私は確信した。Maison book girl はそのライブで解散する。定価3万円のチケットを予約した。

 

 2021年5月30日、ライブを終えて会場を出て来るファンには1枚の青い紙が渡された。ライブの冒頭でペストマスクが地面から拾った紙だ。そこには Maison book girl のサイトのアドレスが書かれていた。ある者は立ち止まりスマホで検索する。「Maison book girl は削除されました」。ディズニーランドで Maison book girl は消失。アイドルブームは終了した。

 

 

 

宮崎勤と平成アイドルブーム

 結論は既に書いた。しかし、ここからが本題だ。なぜ4人のアイドルが宮崎勤の部屋で生き続ける必要があったのか? この謎を解かないと終われないだろう。

 私は以前『SMAP 王の物語』(2018年)という本を書いた。その中で、光GENJI森高千里SMAP、嵐のコンセプトを考えたのは、編集者、評論家の大塚英志だと結論づけた。その詳しい内容はその本で読んでほしいが、そこに Maison book girl も加えるべきだと考える。そう、ブクガのストーリーには原作者とも言うべき人物がいるのだ。

 

 大塚は宮崎勤の事件が騒がれたときに、唯一彼を擁護した人物だった。実際に「彼を守る」と書いたのだが、この言葉だけでは誤解を与える。大塚も宮崎が犯した犯罪については、裁判で厳しく裁かれるべきだと考えた。しかし、メディアで断罪されているのは、宮崎の部屋が象徴するような、ホラービデオやロリコン漫画だった。その趣味は守られるべきだと語ったのだ。

 

 これからもホラーやロリコン漫画を必要とする子供たちが出てくる。そのためにそれらの趣味は守らなければならない。サクライケンタやメンバー4人はそのコンセプトを成立させるために召喚された人物なのだろう。音楽に救いを求めるアイドル楽曲派のオタクたちをこの音楽にハメてしまい、その上で「現実への途」を指し示す。もう大人なんだから早く部屋から出ろよと。

 この文章を書いて初めて気がついた。この文章はいつの間にか「特集1」の「孤独と暴走」に繋がっていた(*7)。

 

 

 大塚英志著『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』(2004年、講談社新書)には、幼女誘拐に関する宮崎の発言が記録されている。〈ドライブという筋書きのない物語が出来上がっていて、私がドライバーで、その子が私と同じ意思を持つ親切な脇役というふうになっている中に自分がいる〉。大塚は『「他者」としての幼女はおらず、ただ彼自身の「内面」=恋愛幻想によってのみ支えられる「甘い世界」』と書いた。その「甘い世界」が壊されたとき、宮崎は犯行を犯した。

 

 

  犯行は覚めない夢の中でやった。

 

 

 

 これで謎が解けた。2010年代のアイドルブームを観て、大塚は「宮崎の甘い世界」と同じものを感じたのだ。宮崎と幼女の関係は、そのままファンとアイドルの関係になぞらえることができる。昭和の終わりに起きた事件と平成アイドルブームを繋げて見せた(*8)。

 1971年6月1日に南沙織17才』で「アイドル」が誕生した。2021年5月末はアイドル半世紀の区切りだった。Maison book girl はその最後を締め括りアイドル史の一部になった。(おわり)

 

 

*7:特集1で、『風の谷のナウシカ』は物語として完結しており、「現実」への途が開かれていないという批判を紹介した。ブクガはアイドルファンに「現実」への途を開くために登場した。ナウシカとブクガは地続きだったのだ。びっくりするよ。どこに連れて行かれるかわからない。マジカル・ミステリツアー恐るべしだ。

 

*8:私が書く文章はなぜか、大塚英志という名前に行き着いてしまう。今回のはさすがにショックだ。大好きなアイドルのことを考えてただけなのに、その終着点で説教まで用意して待ってるなんて。また踊らされた。

 渡邊晋(故人)、阿久悠(故人)、ジャニー喜多川(故人)、筒美京平(故人)、酒井政利(故人)など、アイドル界の偉人たちに連なる、アイドル世界の最重要人物だと考える。大塚英志は幸いまだ生きている。次回はどのような形で登場するだろうか?