ハノイの日本人

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折坂悠太のライブを京都で観た。

 

本日はロームシアター京都、サウスホールで折坂悠太さんのライブを観てきました。うーん、悪くはなかったんですけど。これは私の好みの問題かも。サウンドメイキングに違和感を持ちました。演奏はよかった。アンコールも含めて幻想的な素晴らしい音楽だった。でも前半はボーカルの位置が変でした。私は左寄りの席に座っていたので、左のスピーカーからボーカルが聴こえます。折坂さんがいる正面からではなかった。その理由を考えていました。結果的には後半からそれは修正されました。もっと最初からそうであれば、もっと素晴らしいライブになったはず。

 

 

言葉を置くような歌唱のときにはピントがボケたような声になる。ですが伸ばすような発声のときにはバランスが良くなる。それはなぜか? 途中でわかったのですが、エコーがかかっていたのです。折坂さんの声をメインに聴きに行ってるのに、そんなエフェクトが必要でしょうか? 歌い方や声の良さが好きなのに。後半エコーが減らされて、バランスはよくなりました。やはり折坂さんの声を真ん中に据えて、サウンドメイキングして頂きたい。アルバムのサウンドがいいので、これだったらライブも素晴らしいはずと期待していました。以前観たのはまだ京都に住んでるときでした。3年くらい前かな。OTOTOY で紹介されてて興味を持った。そのときの方が声はきれいに響いていました。音響さんには折坂さんの声をなるべく崩さないよう心がけて欲しいです。現場のスタッフが聴いて修正するでもいいけど。

 

 

確かに、人によって音楽の聴き方は違います。今日のサウンドでいいと言う人もいるでしょう。それは否定しません。そういえば最近、ゲンロンのシラスで吉田雅史さんが荘子it さんと企画してる、ヒップホップのトークイベントを観たんです。テーマは「ヒップホップにとって『良い音』とは一体なんなのか」。ゲストは illicit Tsuboiさんです。非常に面白かった。勉強にもなった。ですが、この3人のサウンドの聴き方と、私は全然違います。いや、話してることは大体わかるんです。そこまで深くないけど、私も似たような音楽体験をしてきました。でもいま求めてるのはそれとは違うんです。もう一度言葉にしてみます。イベントのレポートがあるので、リンクを貼っておきます。

 


 

Dos Monos『Larderello』のサウンドはかっこいいと思います。これにも音像がある。でも私がフェチ的に求めてる「新しい音像」の音楽とは違うんです。たぶん、Dos Monos はクラブでどう響くかを意識してるからだと思います。ゲンロンのイベントで話されている内容、音圧の話だったり。でもそれらは既に80年代からあった話ですよね? 私が言ってる「新しい音像」はデジタル・テクノロジーによって出現したサウンドです。細野晴臣さんは「2010年代の音」と言われました。例えば TWICE の最新曲『SCIENTIST』を聴いてください。3人にこれがどう聴こえるのか興味があります。振動をほとんど無くした低音が響いてますよね? 振動いらないと思ってるんです。雰囲気としては確かにあるんだけど。振動の欲しいヤツは耳にバイブレーターでも突っ込んでろと、ちょっとヒップホップぽく言ってみます。

 

だから再生装置は問わない。スマホはもちろん、テレビでもいい。ときどきイヤホンとかで安っぽい振動を加えてるのがありますが、あれは最悪です。それは困る。しかし、そういうのでなければ脳内で低音を補完できるんです。て言うか、NETFLIX にあるアメリカのドラマとかだと、テレビの前にサウンドが浮いて見える。たぶん、音楽的に興味がないから、3人は「新しい音像」を見ようとしてないのでは? 一応、見方を書きますね。目をつぶってください。そのときベースやドラムが仮想空間上の地面に打ち付けられてるのを感じませんか? で、結構な低音が鳴ってる風なのに、ボーカルとは被らず、ボーカルが前に出てる感じがしませんか? そうやって、それぞれの音が重ならずに仮想空間上に配置されてるんです。

 

 

音楽を聴くときに、音の配置、バランスなんかを観てる感じなんですけど。伝わるでしょうか? 3人はアナログの音像は見えてますよね。現実に存在する振動を脳内でイメージに変換してる。でも「新しい音像」はその振動を削除したところから発する、脳内に出現した半分架空のサウンドなんです。そして、それは仮想空間で音楽を聴く時代を先取りしてるのではないか? そんなことを考えています。 

 

 

折坂さんのライブの話に戻ります。終盤の MC で、子供は親が死んだらどうしようなんて心配があったり、子供は大変だと思ってたけど、大人になればなるで、死んでほしくない人たちが増えてくる。そんなことを考えながら折坂が作っている曲です、というような話をされました。実は私は、横浜から京都に来る新幹線で、在来線の線路に人が入って事故があったというニュースを観ました。ホテルについてからネットを見てたら、そういう記事が出てたので、同じニュースだろうと思ったんです。違う人でした。なぜ線路に? 少し前は電車内で事件が起きてましたが、ここ数日は線路に入り込んで事故を起こしてる人たちがいるみたいです。25日はローンの返済日だったりもするから連続したのかも。

 

鉄道は近代社会の象徴みたいな文章を何度か読んだことがあります。オタクの王道も鉄道だったりしますよね? でも仕事で苦しんでる人たちには、それが憎しみの象徴なのかもしれません。国会にいる人たちも一度電車で通勤されたらどうか? どんだけ人身事故が起きてるかわかると思います。そしたら、誰に10万円あげる、こいつにはやらないなどと悠長なことはできないと思うんです。もともとお前らの税金ではないのに。日々憎しみは積もってますよ。