ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

オシム監督が亡くなられた。

 

日本代表の元監督、イビチャ・オシムさんが80歳で亡くなられました。そのニュースを観てから、いろいろ思い出していました。悲しいニュースではあるんですけど、オシムさんのことを思い出すと自然に笑顔になっています。日本人は幼い印象があるでしょ? 歴代の総理大臣ですら、立派な大人っていないですよね。その中で、オシムさんは魅力的な大人だったんです。サッカーファンはみんなこの方のことが大好きでした。このブログは『ハノイの日本人』です。そして、私が初めてベトナムの首都、ハノイに行ったのは2007年のアジアカップオシム監督が率いる日本代表の応援のためでした。

 

2006年ドイツで開催されたワールドカップでは、ジーコ監督率いる日本代表は初戦のオーストラリア戦で大敗し、クロアチアとは引き分け、最後のブラジルにも大敗して、大会を去っています。日本代表の応援に駆けつけたサポーターは、怒り爆発でした。日本版「黄金のカルテット」とも言われた、中田英寿中村俊輔小野伸二稲本潤一が躍動するチームを期待していたのに、あっさり敗れ去った。サッカー協会会長の川淵三郎には「責任取って辞めろ!」とサポーターの声が高まっていました。しかし、この人も只者ではありません。次期監督としてオシムさんの名前を出すことで、自らの責任を有耶無耶にする機転を見せたのです。

 

 

オシムさんがどれくらい愛されていたか? 怒りまくってたサポーターが「オシムさんが代表監督になるのか・・・」とその未来に期待を高めました。簡単に丸め込まれ過ぎだろw  もちろん、シーズン途中でオシム監督を引き抜かれたジェフサポはめちゃくちゃ怒っただろうね。悪夢だよ。

 

日本代表の試合後、私たちが楽しみにしていたことがありました。監督インタビューです。オシムさんは長時間、記者からの質問に答えていました。それがほぼ全文ネットで文字化されて公開されていたのです。私はそれを全部コピペして、読みやすくして、保存してました。面白いんです。その中で有名になったのが「オシム語録」です。一番有名なのはこれですかね。

 

「ライオンに襲われた野うさぎが逃げ出すときに、肉離れしますか? 私は現役のとき一度もしたことはない」

(03年4月、故障者が続出し)

 

来日し、ジェフユナイテッドの監督に就任したオシムさんは「考えて走るサッカー」を標榜していました。最初はジェフの選手に怪我が増えたのです。それで飛び出したのが上の言葉です。確かに、野うさぎは肉離れしてる場合ではないよねw   オシムさんは厳しいこともはっきり言うんです。でもユーモアがある。だから、みんなオシムさんの言葉を聞きたがりました。私がいまでも使っている言葉があります。「肉でも魚でもない」。つまらない映画を観たときとか、中途半端に K-POPを真似した音楽とか。あと飛行機で「Beef or fish?」って聞かれたときも、この言葉を思い出しますw  

 

 

ハノイでのアジアカップでは、日本はベスト4で敗退しました。ドイツ大会のリベンジで、オーストラリアに勝った試合は最高に楽しかったです。と言っても1−1で PK戦だったけど。例のオシムさんがベンチから姿を消した試合。オシムさんは PK戦を観ないんです。あんなのはくじ引きみたいな物だと言って。PK戦で勝って、次のサウジ戦も観ました。強かったよね、サウジ。でもあんまり覚えてない。初めてのベトナムで、昼間はベトナム株のことを調べようと、街を歩き回ってたら最後は暑さで倒れました。日本に帰るのもふらふらで、飛行機に乗ってから気づいたのはサンダルばきだったこと。靴はホテルに忘れてきました。でもアジアカップの印象が良くて、翌年ハノイに移住し、5年住みました。それから15年、日本にベトナム人が大量にやって来る時代が来るとは。大阪なんてそろそろベトナム人街ができそうだよ。

 

いま曹貴裁監督率いる京都サンガの応援をしています。結びつけたことはなかったけど、曹監督はオシムさんの影響を大きく受けてますよね。プレイスタイルだけでなく睡眠時間を削っても海外サッカーを観てるとか。京都で言えば、2011年からの大木武監督時代に、いまみたいなサッカーやってたんです。ピッチの4分の1くらいに選手20人がひしめいてるみたいな。よく考えれば、大木さんはオシム日本代表のコーチでしたね。明日の名古屋戦ではみんな喪章をつけて闘うだろうな。私もスタジアムで黙祷できるの嬉しいです。(なんか時系列がおかしい気がする。いま調べられないけど消しておきます)。