ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

ジャニ友。 F4編

久しぶりのジャニ友です。文化系トークラジオ Life の番外編『トモミ&ミチヨのK-POP in Japan』を聴いてたときに「 K-POP ブームの前に F4 があったんじゃないか?」という話が登場しました。そう言えば O さんが F4 のファンだったことを思い出し、話を聞かせてもらったわけです。どうぞ。


——お久しぶりです。一時帰国で京都の実家に帰っております。
O さん:お帰りなさい! 日本は1年半ぶりくらいでしょうか?「病院で検査することも帰国の目的のひとつ」とメールが来たので心配していたのですが、ブログを読んで納得しました。ハノイの空気は公害と言ってもいいくらいですよね・・・徹底的に調べて戻ってくださいね。


——不思議なもので、異常がないとわかると体調もよくなりました。久しぶりの京都をしばらく楽しむつもりです。バンコクでは 山下智久のライブも観て来ました。
O さん:初ジャニーズライブ、おめでとうございました。


——ライブは初めてですが、1997年の『KYO TO KYO』には行ってるんです。平日5回公演の2回目だったかなw 並んでいる間は女子の暇つぶしの餌食となってました。「彼女に行くよう指示された」「ゲイに違いない」などと私に聞こえるように話すんです。今なら、彼女たちと会話する余裕もあるんですけど、当時はただただ怖かったです。
O さん:『 KYO TO KYO 』のビデオをAさんからもらったような気がするんですけど、間違ってたかな?


——そうだったかも。東京ではビデオデッキがなかったので、まだ見てないな。
O さん:最近は「オバサン」のジャニーズファンも多いので、Hey!Say!JUMP のコンサートでもない限り、「オバサン」の私も肩身の狭い思いはしていませんが、「オジサン」のファンはあまりいないので、お疲れ様でした!と言いたいです。


——今回は子供づれのお父さんが何人かいましたよ。全員が立つ中、仏像のように身動きひとつせずw バンコクの山Pファンの方々にはとても親切にしてもらいました。海外だったら余裕ですね。楽しかったです。
O さん:タイ人の女の子達も熱かったみたいですね。山P は英語で話していましたか?


——山P、英語うまかったですよ。ファンからの質問コーナーでも、私は聞き取れないことも多かったのですが、山P は普通に会話してましたから。
O さん:あと日本からもツアーが出ていましたが、やっぱりタイの子たちが多かったのかしら?


——日本からのツアーは結構高いでしょう。「つどい」というスペシャルイベントも込みですから。現地の日本人もいたと思いますけど、歓声的には圧倒的にバンコクの子たちって感じですね。8:2でタイ人。バンコクには日本人が5万人住んでるって話ですからね。思ったより日本人が少なかった印象です。
O さん:はい、ツアーは日本では考えられないお得(?)なイベント込みでも高いです。90年代はタイで売られているアイドル雑誌SMAP やジュニア時代のタキ翼などが掲載されていたのに、最近はK-POPに完全に押されているというAさんからの情報があったのでアジアに山Pのファンがいるのか不安でしたけど、タイ人の子達がたくさん来てくれてよかった、よかった♪


——京都にいる間に関西 Jr. の大阪城ホールにも行きたかったのですが、親と一緒に長野に行ってたので。まあ、その代わりと言ってはなんですが、1998年の少年隊 宝塚劇場でのライブビデオ(!)を70%オフで買って来ましたよw
O さん:さすがに私も最近はジュニアまでは追えていません・・・とくに関西Jr.となると・・・ぜひAさんには潜入レポートをお願いしたかったですが、長野でのんびりも、たまにはね。


——毎日温泉につかってて、よかったですよ。桜も咲いていたし。
O さん:「その代わり」の代物がすごいですね。どこで見つけたんですか? 日本で、ですよね? 少年隊がその頃にライブをやっていたのが衝撃です。90年代はミュージカルだけだと思っていました。



prism

prism


——1999年に発売になったアルバム『 Prism 』もお薦めですよ。キャンディーズのバックバンドでもあったスペクトラムの代表曲『ACT SHOW 』のカバーが1曲目。あと名曲『愛と沈黙』も収録されています。上諏訪駅の前にあるビルにレコードショップがあります。そこには少年隊のビデオと、マリスミゼルGACKT抜けた後)のビデオがまだまだありました。店主らしきおばさんの趣味ですかねw 私が買ったら凄く喜んでいました。もし行かれる方があれば、ぜひ。温泉&少年隊の旅。
O さん:そりゃあお店の人も喜びますよ〜21世紀に少年隊のビデオ買う人がいるんだ!って。長野に温泉はまだしも、それに少年隊がつく旅ってのは面白い。検討します。ただ誰もついてきてくれそうもないから、完全に一人旅になりそうです。



——さて、今回は O さんに「 F4 」についてお伺いしようというのが目的の対談となっております。
O さん:そうです、そうです!お声掛けいただきありがとうございます。


—— F4というと『花より男子』ですよね?
O さん:もちろん!と言っても、私たちがここで話しをする「F4」はマンガのことではなくて、台湾版『花より男子』ドラマ『流星花園』でF4を演じて、そのままユニットを組んだ4人組「F4」ですね。メンバーはジェリー・イェン(言承旭)(道明寺役)、ヴァネス・ウー(呉建豪)(美作役)、ケン・チュウ(朱孝天)(西門役)、ヴィック・チョウ(周渝民)(花沢役)です。



——この当時の体験をお聞きしたいのですが、まずは「きっかけ」はなんだったんですか?
O さん:2004年の秋にMXテレビ(東京のU局)で放送していたドラマ『流星花園』を見たのが最初です。元々は妹が「巨人(現・日ハム所属)の林昌範選手に似てる子(=それがジェリー)が出てるんだよ」と見始め、その1話後くらいに私もジョインして、そのままはまってしまいました。私は6話から見ています。「つくしちゃん、何でこんなにかわいそうなのっ!」と。


——そうか。そう言えば、私も当時ときどき見てましたよ。あくまでも『花より男子』として見ていましたけど。
O さん:Aさんは当然、花男をご存じだったのですよね? 


——もちろん、マンガは読んでいます。いつだったかな? 1995年に内田有紀主演で映画化されてるんですよ。当時の内田有紀はアイドルとして大人気でしたから、大きな話題になりました。観なかったけどw Wiki で調べたところ、道明寺が谷原章介、花沢類が藤木直人ですね。
O さん:私は最初は話の展開にひかれたんです。実は花男のストーリーを知らなかったという・・・キムタクが声優した花男音声ドラマのCDは持っていたけれど、ちゃんと聞いてないし(買っただけ)、マンガも読んだことなかったから。『流星花園』を見て登場人物とストーリーの面白さに、ワクワクしました。


——Oさんはマンガ読まないんですよね。普通と逆パターンだな。それでも、やっぱり女子受けするストーリーということか。でも、2004年の秋と言うと、『冬ソナ』のブームと同じくらいですかね? 『冬ソナ』が地上波で放送されたのが2004年の4月〜8月。さらに、完全版がBS2で2004年12月に放送されたようですから。
O さん:マンガは読んでいなかったけれど、原作が日本のストーリーだったので感情移入できたのだと思います。実はこれが韓流でなく、華流にひかれた大きな理由だと自分なりに分析した結論です。当時の台湾アイドルドラマは日本のマンガが原作のものが多かったです。一方で『冬ソナ』はヨン様が私の好みではなかったwだけでなく、いわゆる「韓流」なストーリーやドラマの展開に入りこむことができませんでした。


——そうですか。私は『冬ソナ』以外も結構見てたんです。『天国の階段』のシリーズとか。中学生のときに『スチュワーデス物語』(1983年、TBS)や『少女に何が起こったか』(1985年、TBS)のような大映テレビ制作のアイドルドラマをずっと見ていましたから。ベタなストーリーって感じは一緒ですよ。ただ、大映ドラマは笑えるんですけど。
O さん:Aさんは韓国ドラマ見ていたんですか、知らなかった。私も10代の頃、たいていの大映ドラマは見ていたので、韓国ドラマも「大映ドラマ」として見ればいいんですね。


——F4 に戻しましょう。
O さん:F4 そのものにグググーッと興味が湧いたのは、台湾完全オリジナルストーリーの『流星花園2 』を見てからです。台湾での放送は『流星花園』の翌年の2002年。私が日本で放送されていたのを見たのは2005年です。4人ともいい意味で芸能人顔に成長して、超カッコよくなってきたと思いました。



——なんですか? 台湾完全オリジナルストーリーの『流星花園2』?
O さん:『流星花園』の設定は大学生なんですよね。これが原作の『花より男子』や日本のドラマとは違うところです。で、2は道明寺とつくしが大学の卒業旅行で、スペインのバルセロナ出かけたところ、道明寺が交通事故にあい記憶喪失になってしまう。(おっ?韓流チック!)そこで知り合ったエルサ(後にブータン王国の王女だということが判明←あり得ない!)と付き合い始め、2人で台湾に戻る。エルサと友達になったつくし(偶然すぎる!)は2人が付き合っていることを知り・・・エルサも時を経て、元は道明寺とつくしが恋人同士であったことを知るが・・・。ラストは旅行会社の添乗員となったつくしが、仕事で出かけたバルセロナで道明寺に再会し・・・という感じです。最後はハッピーエンドで終わるけど、やっぱりつくしちゃんが、かわいそうなんです。


——と言うと?
O さん:つくしちゃんは道明寺と両想いになってバルセロナに仲良く旅行に出かけたのに、相手は記憶喪失になってつくしちゃんのことを覚えていないわ、おまけに友達になったと思った女性(エルサ)は、道明寺とつくしの昔の関係のことは一切知らずに、道明寺のことを好きになっちゃうわ、道明寺も記憶喪失になった自分を甲斐甲斐しく世話してくれるエルサにまんざらでもない気をみせるわ・・・それを近くで見ていなければならないつくしちゃんを見ていると、いつもせつなく、悲しい気持ちになりました。さらに、そのつくしちゃんを見ているF3、とくに花沢類の気持ちや表情、行動がより一層、せつなさを募らせるんです。


——とても少女マンガっぽいw
O さん:見どころは、社会人になったF4の4人と、何とか道明寺の記憶を取り戻そう、そしてつくしちゃんと幸せになってもらおうと奮闘するF3の姿です。バルセロナで道明寺とつくしが買った指輪が、ややこしいことを引き起こすキーになるんです。そんな小物使いも韓流っぽいと思いますw


——ふーん、友情、努力、勝利でもあるんですね。
O さん:ついでに『流星花園』のアザーサイドストーリー『流星雨』(西門編、美作編、道明寺編)なんてのもあります。花沢編がないのは、当時、他のドラマ出演でヴィックが多忙になって作れなかったからだそうです。この『流星雨』はF4 のファーストアルバムのタイトル&タイトル曲で、原曲は平井堅の『Gaining Through Losing』という歌です。まあこれもF4ありきで知ったことです(汗)



——へえ、平井堅のカバーですか。
O さん:その後、ドラマのDVD-BOXを大急ぎで買ったり、コンサートDVDを買ったりと、F4関連商品がどどどーっと増えてきたんです。
もともと『流星花園』は2001年に台湾で放送され、日本でもBSや関西ローカルでは2003年頃から放送開始されていたようなので、私が関心を持ち始めたころには、それなりに日本でも商品はそろっていたと記憶しています。


——そうか! 2000年だったか私は台湾に行ったことがあって、関心を持っていたから『流星花園』が日本で放送されだしたときに見たんですよ。
そう言えば当時、西門という街に行って、アニメ関係のショップとジャニーズ関連のグッズが売っているお店にも行きました。現在はそれらの店を中心にファンション関係のお店も集まり、原宿みたいなにぎやかな場所になっているんですけど。あの頃は向こうでも『ジャニーズパワー』という番組を制作してたんですよね。J-Friends の3組が主に出演してたようです。
O さん:へえ、『ジャニーズパワー』は初耳です。そんなことをしていたんですか、見たかった! 私は、2007年にF4が観光大使を務めていたので、台湾観光局のしかけによるF4とファンの集いのようなイベントで台湾に行ったときに、西門(シーメンと発音するようですが、私はニシカドと言っていたw)で、F4グッズとジャニーズグッズを買ってきました。日本のアイドル雑誌をスキャンニングした写真でオリジナルグッズが作られていたので、夢中で買い込みました。ジャニーズオフィシャルグッズより購買意欲が湧くものがたくさんでしたよ。


——その「ファンの集い」というのは、どのようなものなんですか? どうやって行ったんですか?
O さん:台湾観光局主催で、観光客を台湾に呼ぶためのイベントです。悪い言い方をすれば、F4のイベントに呼んであげるから、台湾にたくさんお金落として行ってね、みたいな。4人揃うことがなくなっていた時期だったので超お得なイベントだと思いました。私が行ったのは10月でしたが、同年の4月にも同じようなイベントが開催されています。当時はF4が台湾観光局のCMに出ていて、それも日本のテレビで結構流れていましたよ。Aさんも一度は見たことあるのではないでしょうか?



O さん:余談ですが、F4の後任は飛輪海という4人組アイドルで、去年か一昨年の台湾観光局のCMには、飛輪海と韓国版『花より男子』でつくしを演じた女優さんが出ていました。


——あっ、その人たちのDVD をハノイで買いましたよ。台湾の観光案内。まだ、見てないですけど。
O さん:じゃあ是非、DVD見てくださいね。イベントに話を戻すと、「Wish To See You in TAIWAN F4 Fans Party」と題し、日本、韓国、タイのファンが来ていました。私は妹と2人で日本からツアーで行きました。札幌、東京、中部、関西、福岡と日本全国から、相当数のファンが参加していました。3泊4日コースでお値段も結構高かったです。山Pのアジアツアーと同じようなものですね。


——15万円ほどだったかな?
O さん:そんな感じです。会場は台湾大学の体育館でした。ステージで歌をうたったり、クイズやったり、抽選でファンを舞台に上げて交流したりというものです。これは韓流・華流のタレントが来日時にやっているファンミーティングですね。イベントは1日(2時間くらいだったかなあ)だけですが、4人がそれぞれ個別にちょっとしたイベントをやったり(これはオプションなので、私は申し込まず)、4人そろってのイベント後には、ヴィックが西門でCD発売記念サイン会を開催し、F3もゲストで参加したりと、大盛り上がりでした。台湾は西門でよく芸能人がサイン会とかイベントしてるんですよね。羨ましい。
普通のコンサートと違って、アイドルがファンに対してすごい近い存在をアピールできるでしょう。ジャニーズのアジアツアーのおまけを見ていると、完全にジャニーズがアジアのタレントの真似をしているなあというのがわかります。


——と言うか、現地プロモーターの意向もあるんでしょう。で、F4のライブには行かれたんですか?
O さん:はい、「F4 JAPAN TOUR 2008」の2008年の横浜アリーナに。 その他、ヴァネスの日本でのライブには2回、ライブじゃないけどジェリーの日本でのファンミーティングも2回ですね。2008年はすでにF4としての活動はやってなくて、復活というか、久々4人集まって歌うという状況だったので、正直もう本当にバラバラな感じでした(苦笑)。でも日本で会えるというのに感動しました。泣きそうになったし・・・話は変わるけど、タイの山Pファンも、タイに来てくれたってことが一番うれしかったんじゃないかなあ。


——横浜アリーナでやるほどの人気だったんですか。凄いですね。F4 はジャニーズの影響は受けてるんでしょうか?
O さん:横アリだけでなく日本武道館大阪城ホールでもやってますよ! ところでF4はジャニーズの影響を受けていると思います。ライブの舞台セットはかなり参考にしてるんじゃないかな。実際、ジェリーは光一のSHOCKを見に来たという、本人のインタビュー記事を見ました。私が見た公演の昼の部だったか、前日だったかで、「うっ、ニアミス?」と悔しかったです。


——と言うと、空を飛んだりする?
O さん:あー、さすがにそこまでは(苦笑)。登場時に、バルーンの中から飛び出してくる程度ですね。ただF4はアイドル扱いされてきていますが、皆、モデル・俳優から出発しているので、ジャニーズ全体よりは、木村拓哉のドラマをよく見ます、参考にしています、という色のほうが濃いと思います。お手本はジャニーズではなく、キムタクなんです。


——なるほど。木村拓哉は完全にアジアを制していたわけですね。バンコクで知り合った男性もキムタクのドラマは最高だと言ってました。ところで、Oさんは K-POP はどうなんですか?
O さん:むむむ・・・K-POP は全然聞かないです。前にAさんがブログに書いていたと思うんですけど、K-POP はラップが多いでしょ? それがアジアで受けて K-POP が広がった要因ですよね。90年代後半からアジアンポップスはほとんどラップになっていったから、当然の動きだろう、と。私自身、ラップはあまり聞かないことと、いつものことながら顔の話をしてしまうと、韓流は好みではないのです。やっぱり一番は、ルックスでひかれないから、曲も聞かないというところですね。


——「今回のK-POPブームの前、アジアのアイドルの人気が出たのはいつか?」という話で、ライターの速水健朗さんと西森路代さんが「F4ではないか?」という話をされていたんです。西森さんの著書はかなりしかっり分析されています。きのう買ってきたので、これから読むのですが。
O さん:そうですね、台湾では F4 が初アイドルかなあと。


◉Life番外編「トモミ&ミチヨのK-POP in Japan」 Part1
http://www.tbsradio.jp/life/2011/04/#


K-POPがアジアを制覇する

K-POPがアジアを制覇する


——F4の前に、香港映画のブームってなかったですか? これはアイドルではないのであんまり関係ないのかな? 私が大学時代、いやそのあとか? アーロンクオックとか、香港四天王ってありましたよね? あれも私の友人はCDを聴いてましたよ。
O さん:あー私、その話をしようとしたところだったの! Aさんが香港四天王を知っているなら、それは話が早い。私は香港四天王が最初のアイドルだと思うんですよ。90年代半ばにブームになってましたね。アンディ・ラウ(劉_華)、ジャッキー・チュン(張學友)、レオン・ライ(黎明)、アーロン・クォック(郭富城)の4人ですよね。
私は社会人になった93年から香港・台湾映画を見るようになって、中華圏の芸能人や音楽に興味を持ち始めました。そのときはアイドルという言葉は使われていなかったけど、彼らがアイドル的だったと思います。まあ彼らはアイドルと言うには、当時でさえ、すでに結構な年齢だったけどね。ちなみに私はアーロン・クォックのこと最高に好きでした。


——えっと、調べたところ雑誌『 POP ASIA 』が香港映画のブームにより1995年に季刊でスタートしてますね。あっ、さらにその雑誌の編集長だった 関谷元子さんのインタビューを見ると、香港映画ブームの前にワールドミュージックのブームもあったと書かれています! そうだ、そうだ。私は大学入る前にアムネスティのコンサートでユッスンドゥールを観ましたから。


◉華流で活躍する日本人Vol.6 関谷元子さん
http://www.livetaiwan.jp/news/newsc/news_page.php?act=271217125



O さん:『POP ASIA』時々買ってます。ワールドミュージックと香港映画ってつながるのかな? バブル崩壊後の90年代は自分探しOLが香港で働こうみたいなブームもありましたよ。「私が本当に輝ける場所☆、それは香港」みたいな。返還前ということもあり香港にスポット当たっていましたね。そういうこともあって香港映画もブームだったような気がします。
ちなみに、私の夫が言うには、ユッスンドゥールは90年代は頻繁に来日していたようですね。ワールドミュージックブームによるものでしょう。

——ワールドミュージックは関係ありますよ。音楽も映画も、アメリカ、イギリスのものだけではなくなったということですから。アジア音楽のブームもその流れにあります。CD、ビデオ売場のスペースも広がりますから。もちろん、1995年の円高の影響なんてのも関係あるでしょう。旅行会社の HIS などで格安航空券を買えるようになったのもこの頃だろうし。アジアが近くなった時期ですね。
O さん:うーん、なるほど。アジアのアイドルに関して言えば、音楽ありきではなく、映画から派生したものだと思うのですが、どうでしょうか。


——つまり、スターの歌唱ですよね。木村拓哉もアジアではそういう受け取られ方をしているかもな。
O さん:だから、いわゆる「韓流ブーム」はなんとなくわかるんですが、音楽一本のK-POPがなぜ流行っているのか、思考回路がつながらないんです。もう亡くなってしまったけど、パク・ヨンハは歌手活動もしていましたよね? ああいうのは理解できる。


——それは K-POP の魅力と J-POP のパワー不足ですよ。なんとなく「やさしい歌」みたいなのばっかりになってた。日本人に元気がなかった。アジアで一番景気の悪い国でもあったし。日銀のせいかもw じゃあ、香港、台湾、韓国と東アジアの国々がブームを起こした中で、一番の大国である中国のブームがまだ来ていない?
O さん:ブームの前に、アイドルを産まなくちゃ! 中国はまだ芸能やアイドルが育っていないと思います。もともと中華芸能の中心は香港だったのに、ちょっと映画界が落ちぶれている間に(これは本土返還は大きく影響しているような・・・)、台湾が華流の主役になりました。そのような流れが、そのうち中国本土にも届きますよ。
前から、実は大陸出身という人も香港や台湾で活躍しているようだし、今は逆に台湾や香港の人も大陸の映画に出たりと交流が活発であるように見えるので、そのうち中国でもアイドルが登場して、アジアを席巻するようになるかもしれません。あれだけ人口が多いし、多民族国家なんだから、アイドル顔はいくらでも集められるでしょう。



——中国のテレビにはアイドルがたくさん出ていますよ。ただ、日本と同じで外にアピールする必要がないと思っていただけだと思います。中国でもK-POPは人気がありますから、そろそろ巻き返しを計りたいところじゃないでしょうか? 中国産アイドルのブームがいつ来るか注目したいですね。どうも、ありがとうございました。ちなみに上の動画はチベット族alan さんです。