女性アイドルの歴史を追っています。前回は伝説のオーディション番組『スター誕生!』について阿久悠の著書『夢を食った男たち』を教科書に、最初のリアリティショー型アイドルが 森昌子であることを確認しました。今回はその続きとして「花の中三トリオ、少女から大人へ」でお送りします。
◉作詞家 阿久悠と スター誕生! その1
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20130513/1368454198
夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫)
- 作者: 阿久悠
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/12/06
- メディア: 文庫
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阿久悠『『夢を食った男たち』は、1993年6月、単行本として毎日新聞社から発行されました。それは1992年10月から翌3月までの半年間、スポーツニッポン紙上で連載された『阿久悠の実録テレビ三国志』をまとめたものでした。本の冒頭はバルセロナ・オリンピックのあった 1992年の夏から始まっています。このとき14歳の少女と、20年前の夏、阿久悠の前に出現した14歳の少女のことが書かれているのです。
前者は200メートル平泳ぎで獲得した金メダルと「今まで生きて来たなかで、いちばんしあわせです」という言葉で一夜にして国民的アイドルになった 岩崎恭子。後者はその夏、統一教会の合同結婚式に参加を表明し、マスコミから総攻撃を受けていた 桜田淳子です。
それはアイドル冬の時代とも言われ、歌謡曲が力を失っていた時期の出来事でもありました。阿久悠にとって、この連載はもう一度アイドルという言葉を考え直す好機だったのかもしれません。アイドル・プロデュースの教科書とも言うべきこの著書はその中で書かれました。
⇒桜田淳子の出現は、少々大仰な言い方をすると。それまでどことなく曖昧であった審査基準、つまり、ぼくらが求めているテレビの時代のスター歌手のイメージを、決定づけるだけの効果があった。(中略)うまいとか、心をうつとかの他に、光るという要素が重要であることがわかり、時に、それは、うまいという技術を凌ぐことがあるとさえ思った。(P18)
森昌子 の登場とデビュー曲のヒットにより、番組は順調なスタートを切りました。そして、森デビューの2ヶ月後、桜田淳子は番組史上最高 25社ものレコード会社、プロダクションの指名を受けてチャンピオンになります。それはその3ヶ月後に登場した 山口百恵 が霞むほどのインパクトがあったと書かれています。
◉ 森昌子(ホリプロ) 1972年7月デビュー。13歳
◉ 桜田淳子(サンミュージック)1973年2月デビュー。14歳
◉ 山口百恵(ホリプロ)1973年5月デビュー。14歳
◉ 岩崎宏美(芸映)1975年4月デビュー。16歳
◉ ピンクレディー(T&C)1976年8月デビュー。18歳
『スタ!誕生!』出身で大成功を収めたこの5組はほぼ同年代の生まれでした。一番遅くデビューしたピンクレディーだけが1学年上になっています。森昌子、桜田淳子、山口百恵の3人は「花の中三トリオ」と呼ばれ、人気アイドルとなっています。
第一回にも書きましたが、CBSソニーのプロデューサー酒井政利は、南沙織や 郷ひろみの楽曲で「私小説路線」という手法を採用しました。それはタレントの成長にあわせて歌詞のなかの人物も成長して行くというものです。それにより息の長い人気が保たれると酒井は考えています。
一方、阿久悠は14歳でデビューした少女歌手たちを、作品によってどのように成長させて行くかが大きな課題であると途中から考え始めたそうです。それはテレビの時代という言葉と大きく関連していました。
⇒本来、歌手の実年齢と、作品が感じさせる世代が一致する必要は何もない。独立した歌手が、独立した歌を歌えばいいのであって、五十歳の歌手がティーンエイジャーのラブ・ロマンスを歌うことも、あるいは、女が男の立場で歌うことも自由であり、何ら不都合はないのである。
しかし、テレビの時代を考えると、それは、かなり困難になった。十三歳の森昌子に、女の情念の歌を歌わせることは不自然で、嘘になると感じ、結局、「せんせい」という抒情歌謡を企画したような問題が、確実に大きなテーマとしてついてまわるのである。(P175)
⇒山口百恵は、酒井政利という劇的を好むプロデューサーの手によって、千家和也、都倉俊一のコンビから、阿木燿子、宇崎竜童のコンビニ代わることで、ドラマの色彩を変えて、見事な虚構を構築し、年齢を意識する必要をなくした。
桜田淳子は、そこまでの大胆さを背負わせる個性ではなかったが、それでも、彼女の性格と遠いもの、遠いものを与えて行くことによって、年齢の階段を昇らせた。「気まぐれヴィーナス」とか「夏にご用心」には、マリリン・モンローのイメージさえあった。
この二人に比べて岩崎宏美は、架空とか虚構の手段を選ばずに、きちんと年齢とつきあいながら、最も困難な、二十歳を越えることに成功した歌手であった。(P176)
アイドルにとって20歳の壁を越えることは、当時から大きな課題だったのです。そして、その方法はタレントそれぞれの個性によって違ってくるのでした。次回はいよいよピンクレディーの登場となります。非日常性のエンターテイメントとはなにか? 現在のアイドルにも通じる話になっています。(つづく)
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◉ジャニーズのトップグループ制と現在のトップ嵐
http://p.booklog.jp/book/62547
⇒ジャニーズの50年をざっくり説明しています。試し読みあり。
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