ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

倉敷ぎょうざ、阿久悠とグラムロック。

倉敷、尾道から帰って来て、明日で1週間になります。早いな。まだ、倉敷のことを書いていませんでした。もちろん大原美術館にも行きましたよ。今回は着いた日に美観地区の周辺を歩き回りました。案外広かった。そのとき、GREEN HOUSEというレコード屋さんを見つけました。ここの2階に音楽書籍の古本コーナーがあったんです。月刊誌『レコードコレクターズ』の2012年2月号アリスクーパー特集買ってきました。




レコード・コレクターズ 2012年 02月号 [雑誌]

レコード・コレクターズ 2012年 02月号 [雑誌]


前に『阿久悠グラムロック』という文章を書きました。そこで阿久悠・都倉俊一による「非日常のエンターテイメント」誕生にグラムロックの影響があったかを検証しました。しかし、当時イギリスで流行していたグラムロックを真似たというのではなく、アリスクーパーによるショックロック、シアトリカルロックに影響を受けたと推測しました。グラムロックの代表作とも言われるデビット・ボウイのアルバム『ジギー・スターダスト』と、山本リンダ『どうにもとまらない』は同じ月(1972年6月)に発売されていたからです。アリス・クーパーに影響を受けて変身したイギリスのデビット・ボウイと、日本の山本リンダは兄妹のような関係だと考えました。


阿久悠グラムロック
http://d.hatena.ne.jp/wakita-A/20150427/1430125656






月刊誌『レコードコレクターズ』のアリスクーパー特集には、和久井光司さんの「ポップ+ハード+シアトリカル デイヴィット・ボウイに先んじていたグラムロック的試み」という文章がありました。ここで和久井さんはボウイがアリスクーパーから受けた影響について書かれていたのですが「(72年のインタヴューでボウイは異様なまでの否定をしているが)」ともありました。否定してるんだww


また、和久井さんは以前のグラムロック特集でもその影響について指摘したと書かれています。以前? 2005年6月号? 昔買ってるよな・・・ この文章を読んでから、倉敷最終日にもレコード屋さんに向かったんです。でも、場所がわからなかった・・・ それでしょうがなく倉敷ぎょうざを買ってホテルに帰りました。「倉敷ぎょうざ」は商品名のようです。


◉倉敷ぎょうざ
http://www.kurashiki-gyoza.com


この餃子、本来は直営店で生餃子40個1300円で売られているようです。しかし、私がこの餃子を知ったお惣菜屋さんでは、生餃子だけでなく焼いた物が1パック10個入り400円ほどで売られていました。美味しかったです。ザーサイも入っているのか? お肉の味がしっかりした中に少し酸味があって。冷えてからも美味しく食べられました。うちの近所にもこんなお惣菜屋さんが欲しいな。




もう一度、グラムロックに戻ります。デビット・ボウイのアルバム『ジギー・スターダスト』は山本リンダ『どうにもとまらない』と同月発売でした。でも、それ以前に先行シングルとして『スターマン』が前年に発売されていますし、T.REXのアルバム『電気の武者』は1971年9月発売です。



でも、阿久悠作品で一番売れたのは1971年に発売された『ピンポンパン体操』なんですよ。260万枚を超えているようです。これはたぶんみんなで踊る曲の最初だったんじゃないでしょうか? もちろん盆踊り的な大ヒットはそれ以前にもあるでしょうけど。作曲は小林亜星。この曲のヒットを観たことでフジテレビのプロデューサー吉田斎は、山本リンダの変身プロジェクトに阿久悠を招聘したのかもしれません。『ピンポンパン体操』はレコード大賞を取るべき作品だったと阿久は著書に書いています。これが原点なんです。この曲とショックロック、もしくはグラムロックが交差したところに「非日常のエンターテイメント」路線は生まれたと考えられるのではないでしょうか。



これはラジオ体操に代わる、子供が楽しめる体操をというところから発想された気がしますよね? スポーツを楽しむではなく教育として行って来た日本。それを変えて行こうとする動きです。それが「非日常のエンターテイメント」の出発点になった。まさに体操ありがとーですね。