ハノイの日本人

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木綿のハンカチーフ再考。

太田裕美の大名曲「木綿のハンカチーフ」を、生徒たちにプレゼントしたCDに入れました。それで最近この曲を何度も聴いていたのですが、やっぱり素晴らしいですね。いろんなことを考えさせられます。



ます、この曲のテーマはなにか? たぶん、「都会に出て行った男と田舎で変わらず暮らす女の悲恋」についての歌だと、思ってる人が多いのではないでしょうか? でも、それは美しい誤解というものです。歌っている太田裕美ですらそう思っているようですから、仕方がないことではありますが。実は「都会に出て来た男」を天才作詞家・松本隆がこきおろしている歌なんですよ。だって、「毎日ゆかいに過ごす街角 僕は〜僕は〜帰れない〜」ですよ。バカ丸だしじゃないですか!


松本隆WORKSコンピレーション「風街少女」

松本隆WORKSコンピレーション「風街少女」


1番から順に聴いてみてください。都会にでてきてすっかり浮かれている男が話すこと話すことに、女は全部「ダメだし」です。「はなやいだ街で 君への贈り物 探す探すつもりだ〜」「いいえ、あなた 私は欲しい物はないのよ〜」です。3番までは全部「いいえ」から始まっているんです。彼女は本当にかわいそうな女性なのでしょうか? 私は聡明な女性のように思います。いや、もし松田聖子が歌っていたなら、「たぶん、男は地主の息子なんだよ。女は自分の手から離れて行く男が許せないんだよね」って、思うかも知れません。まあ、太田裕美だってけっこうギラついた感じの人でしたけどw 


東京都港区生まれの松本隆は、大学に入学して東京に出て来たヤツらが、すっかりその気で都会人気取りなのが許せなかったのかも知れません。「毎日ゆかいに過ごす街角」という1行を使って、激しく「バカ!」と言ってるんです。そして、田舎の純朴な女性のキャラクターを登場させ、誰に遠慮することもなく自分の気持ちを言っているのです。つまり、田舎に帰ってくれと。凄いですねw 


たぶん、「物欲=悪→この男はバカ」ってことで、この歌は「悲恋の歌」として理解されたのだと思います。そこにはたぶん正しさも含まれているのでしょう。このバカ男が15年後、バブルに浮かれまくっていたことは容易に想像できます(ってことは、コイツら15年以上浮かれっ放しだったのか!スゲーな!)。でも、「物よりもあなたが欲しい」と言う女は、欲がないと言えるのでしょうか? いえ、歌のなかでは、女はあっさり身を引いています。そして、最後になって初めて「木綿のハンカチーフ」をねだるのです。なぜでしょう? それはこの歌のテーマが『近代化が「風街」に与える(悪)影響について』だったからです。「木綿」の大量生産は日本の近代化と切り離せない出来事でしょう。そして、その「木綿」すらも都会では必要とされなくなってしまうのです。つまり、「木綿のハンカチーフ」は、高度成長時代に日本人が捨て去って来た物の象徴なのでしょう。それを女が引き取ることで、松本隆も変化にも泣きながら同意したことが表明されているのです。たぶん「バカ男」の流入にも目をつぶったはずです。大人ですね。


私は月曜日の授業で、生徒たちにこの歌に出てくる日本語を教えます。そして、最後にこう聞こうと思っています。「みんなは男の人と女の人、どちらを支持しますか?」と。もちろん、私はどちらでもなく松本隆の作品を支持します。でも、私自身は「バカ男」の側の人間なんでしょうねー。


◉「木綿以後のこと」へ(加藤秀俊 著作データベース)
http://homepage3.nifty.com/katodb/doc/text/2831.html
『木綿以前の日本の衣生活は、大麻、亜麻など麻であった/木綿、ということばをきいてすぐにおもい出すのは、いうまでもなく、柳田先生の「木綿以前の事」であろう。このエッセイのなかで、柳田先生は、木綿というものがごくあたらしい発見であって、明治以前の日本の衣料の基本がもっぱら麻であったこと、そして木綿の導入によって、日本人の衣生活が革命的といえるほど大きな変貌をとげたこと、を指摘され、さらに、木綿というものがあらたなホコリの源泉にもなった、というおもしろい考察も下しておられる。近代日本における木綿というものの役割をかんがえる手がかりは、柳田先生のこのエッセイのなかにちりばめられているわけだから、興味のある読者は、まず「木綿以前の事」をあらためて読まれることをおすすめする』