ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

玉木正之さんのインタビュー。

玉木さんのインタビューはとても刺激的なものでした。「実はスポーツは反社会的なものだ」という話もでてきました。東京五輪に対して、「「石原が嫌い」とか、『政治家の言う「必要」ほど信用できないものはない』とか、「マスメディアがウザい」とか、「国を挙げて、みたいなことに対する嫌悪感」などなど、いろんな私の気持ちもあるわけですが、少しは考え直してみてもいいのか知れません。でも、やっぱりヤだな。中国みたいに、国民の大半がやりたくてやる国でやるのがいいと思う。



玉木正之氏「東京五輪に賛成する理由」(スポーツナビ
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/text/200903120003-spnavi_1.html
『どうも東京に来そうな気配がしてきたから、呼べそうなら今こそ力を使うべきだと。アイデアとしては悪くないし、エコの話も、緑の五輪も、約7割が既存施設という話もいいし。1964年の五輪のときにはやはり新幹線ができた、首都高速道路ができた、名神高速道路ができた。今度は、東京湾に大きな森が生まれるとか、太陽光発電のスタジアムが生まれるとか、バリアフリーの地域が増えるとか。新しい財産、インフラストラクチャーが生まれる。そういうのは悪くないなと思いますね』

『聖火の最終ランナーの坂井義則、1945年8月6日生まれの人よ。広島の原爆が落ちた1時間半後に広島で生まれた人よ。それはね、世界に向けてのものすごいメッセージなんですよ。アテネからベイルート、イランのテヘランパキスタンのラホールと聖火が運ばれて、そのあと、クアラルンプール—マニラ—香港—台北と、要するに日本の占領地を回ることによって、日本は平和な国に生まれ変わりましたよというアピールした。当時、米国の占領下だった沖縄に来て、そこで『君が代』が流れて、日の丸が揚がったんだから。ここは本当は日本の領土よって。沖縄でYS−11という戦後初の国産の旅客機に乗せて聖火を運んだ。これは、米国が日本に航空機産業は復活させないと言っているのに対して、ものすごいアピールだった。当時の政治家は、結構主張したよね』

『映画監督の市川昆さんと対談したときに、面白いこと言っていました。東京五輪の記録映画を撮っているときに、駒沢のサッカー場でフィルムを回していたら、7、8人のおばあさんたちがぞろぞろやってきて、「すみません。五輪はどこでやっているんですか?」って。昆さんはそのときに五輪とは何かと、本気で考えたと。国中が大騒ぎして、五輪、五輪と言っているけど、来てみたら、ボール蹴って、サッカーやってる。五輪ってなんやねんっていう。そこから、市川昆さんが考えて、「人類は4年ごとに夢を見る」って言葉を作ったわけですよ。あの映画は、僕は素晴らしい映画だと思うんですよ。東京五輪の閉会式が終わったあとに、「この創られた平和を夢で終わらせていいのだろうか」という言葉で終わるんですよ。五輪っていうのは、一言で言うと、地球上最大のお祭り。それをこのまま終わらせていいのだろうか?と、まあそういうことですね』


玉木正之氏「スポーツを考え直すきっかけに」
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/other/text/200903150003-spnavi_1.html
『昔は五輪に、芸術競技があって、アートに金・銀・銅のメダルを出していたんですね。音楽、絵画、彫塑……、要するにアート部門っていうのがあって、正式競技だったんですよ。競技っていうのは、日本語では競技だけど、IOC(国際オリンピック委員会)の言葉で言うとスポーツなんですよ。競技がスポーツで、種目がゲーム。だから五輪では今、全部で28スポーツ、302ゲームが行われているんだけど、スポーツに対する西洋人の考えと、それを輸入したわれわれ日本人、あるいは東洋人の考え方が相当違うんです。音楽や詩といった芸術も昔は競技の一つだったんですよ』

『実はスポーツというのは反社会的なんですよ。何が反社会的なのかというと、実力さえあったら上にいけるわけでしょ。でも社会っていうのは、年上の人を敬うとか、遠慮するとか、それが社会ですよ。ところが、スポーツっていうのは、年上も年下も関係ない。強いやつが上に行く。これは反社会的な遊びなんですよ。スポーツの空間だけに許される遊びなんですよ』