ハノイの日本人

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2006年 ドイツ ワールドカップ。中編3

クロアチア戦が終わったところで 日本 は1分1敗。夕方の試合で ブラジル が オーストラリア を5−0で蹴散らしてくれれば、まだまだ可能性は残ります。しかし、そこまでの力の差はありませんでした。2−0で ブラジル 勝利。これで 日本 は最低でも ブラジル戦を 2−0 で勝たないといけません。ですがもう ブラジル はグループリーグを突破しているのです。日本戦でがんばる必要はありません。そこに微かな期待を寄せて試合当日まで過ごしました。


試合のことばかり書いてきましたが、初めて訪れたドイツは美しい国でした。鉄道網も整備されていてまったく不自由しませんでした。食べ物も インド料理、イタリア料理 を中心に食べてましたが おいしかったです。もちろん、ソーセージもチーズも。ただ、大会期間中のホテルはどこも高かったんです。そこで、隣接国のオランダに行くことにしました。アムステルダム には 2005年にバルセロナに行ったとき知り合った友人がいました。このとき、ライブドア・バブル で裕福だった私は、松井大輔 がいたルマン の試合観戦と、夜行で移動し バルセロナ の試合も観に行きました。そのとき、カンプ・ノウ で知り合った男女5人で試合後飲んだんです。そこで ワールドカップ で会おうと約束しました。彼は アムステルダム の日本料理店で働いていました。ライブハウスで行われた オランダ VS アルゼンチン 生中継イベントにも出掛けました。



試合当日、彼の友人も含め3人で ブラジル戦 が行われる ドルトムント に入りました。やはり安いホテルがなく、市の施設のようなところで泊まりました。体育館のようなところで寝ました。寒かったです。この試合のチケットも持っていませんでした。チケットは3万円近くしたのですが、友人がダフ屋と仲良くなり VIP パスをつけてもらいました。たしか、20万円とかで売り出していたものだと思います。試合前にビュッフェスタイルで フランス料理、試合後は同じくドイツ料理。行きませんでしたが、ハーフタイムでもスタジアム内のバーでお酒を飲めたはずです。時計、帽子、バックがセットになったおみやげももらいました。トイレで 松木安太郎 にも遭遇しました。


この試合も 川口 があたっていました。ブラジルの猛攻を受けていたのですが、ゴールを割らせずに凌いでいました。前半34分、稲本 から左サイドでフリーになっていた アレックス にパスが渡りました。そこから 玉田へパスが渡り、左45度から ゴールへ強烈なシュートが突き刺さりました。これまでのうっぷんを晴らす素晴らしいゴールでした。周りのドイツ人たちも握手してきましたし、ブラジル人は小さくなっていました。とても見やすいスタジアムで、もう目の前で観れたスーパーゴールに歓喜で意識を失いそうでした。「このまま前半を終わることができれば…」と思っていました。しかし、ロスタイムに入ったところで集中が切れたのかもしれません。ロナウド のヘディングで1−1になりました。


後半は ジュニーニョ・ベルナンブカーノ のミドルシュートがすべてでした。それまで何度もファインセーブをしていた 川口 がまったく触れられなかったのです。ここからは完全に ブラジル の試合でした。「もう、早く終わってくれ!」とすら思っていました。ドイツ人たちががっかりする私と一緒に写真が撮りたいと集まってきました。将来が期待されてきた 黄金世代の ワールドカップが終わったのです。独断で ジーコ を監督にした 川淵三郎会長に非難の声があがりました。しかし、川淵会長は「オシム…、あっ言ってしまったね」の一言で、ファンの期待を南アフリカ大会に持って行き、自分の責任をうやむやにしたのでした。「オシムさんには、いつか日本代表の監督をしてもらいたい」と誰もが思っていました。ですが、当時は 千葉 の監督だったのです。場当たり的な対応しかできないのでしょう。その結果が今回の南アフリカ大会まで続いているのです。