ハノイの日本人

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人間失格、映画も失格!

あらためて言っときますけど、私はジャニーズの大ファンですからね。以下の文章もその前提で読んでくださいね。正直、今回のは書くか迷ったんだけど、ちゃんと書いておきます。生田斗真主演の映画『人間失格』の感想です。「なかぐろ」は入っていませんからねw



この映画、かなり大きな欠陥を抱えていますね。生田斗真 演じる 葉蔵 はなぜ苦悩しているのでしょう? 映画を観てわかりましたか? 「モテ過ぎるから」「悩みやすい性格をしてるから」「お父さんがお金をくれないから」そんな感じですかね? でも、原作にははっきりと書かれているんですよ。下に原作の一部をコピペしてあります。少し読んでみてください。


人間失格太宰治青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/301_14912.html
『自分は、所謂お茶目に見られる事に成功しました。尊敬される事から、のがれる事に成功しました。通信簿は全学科とも十点でしたが、操行というものだけは、七点だったり、六点だったりして、それもまた家中の大笑いの種でした。けれども自分の本性は、そんなお茶目さんなどとは、凡(およそ)対蹠(たいせき)的なものでした。その頃、既に自分は、女中や下男から、哀(かな)しい事を教えられ、犯されていました。幼少の者に対して、そのような事を行うのは、人間の行い得る犯罪の中で最も醜悪で下等で、残酷な犯罪だと、自分はいまでは思っています。しかし、自分は、忍びました。これでまた一つ、人間の特質を見たというような気持さえして、そうして、力無く笑っていました。もし自分に、本当の事を言う習慣がついていたなら、悪びれず、彼等の犯罪を父や母に訴える事が出来たのかも知れませんが、しかし、自分は、その父や母をも全部は理解する事が出来なかったのです。人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでした。父に訴えても、母に訴えても、お巡(まわり)に訴えても、政府に訴えても、結局は世渡りに強い人の、世間に通りのいい言いぶんに言いまくられるだけの事では無いかしら。』
『そうして、その、誰にも訴えない、自分の孤独の匂いが、多くの女性に、本能に依って嗅(かぎ)当てられ、後年さまざま、自分がつけ込まれる誘因の一つになったような気もするのです。つまり、自分は、女性にとって、恋の秘密を守れる男であったというわけなのでした。』
 

どうですか? 書いてありますよね。幼少の頃に性的虐待を受けたと。自分に対して尊厳を持てないというのが 葉蔵 の破滅的行為の原因なんですよ。映画では自分の机に彫刻刀で女性の口を掘り、そこにキスするというよくわからない描写があっただけでした。これは 監督の 荒戸源次郎 のせいなんでしょうか? インタビューで「小説をそのまま映画にしてしまうと、非常に後味の悪い映画になってしまう。それは避けたかったんです」と語っていますね。どうやら、監督が逃げたようです。しかも 生田斗真 には「原作は読むな!」と言ってたようです。やれやれ。


◉『人間失格』公開記念 荒戸源次郎監督インタビュー
http://yaplog.jp/yapcinemage/archive/486
『小説をそのまま映画にしてしまうと、非常に後味の悪い映画になってしまう。それは避けたかったんです。小説と映画の虚実は違うから、小説のいいところは小説に任せて、映画の「人間失格」を作ることにしました』


でもね、一番肝心なところを外すというのはどうなんでしょう? 他に魅力的なアイデアがあったわけでもないんだし。もしやっていれば、かなりセンセーショナルな話題を巻き起こしたはずですよ。それこそジャニーズ事務所から「カットしろ!」の声もでたかもしれません。でも そこは突破しなければならないとこでしょう。誰もが知ってる作品なんだし(そのわりにはこういう指摘を読んでないな…)。今回『人間失格』を久しぶりに読みなおして、葉蔵 にジャニーズのタレントを配役するというアイデアに感心しました。読みながら「虚実」の境でめまいを起こしていました。映画で子役を観たときには、もしかしたら最初は 稲垣吾郎 にオファーしようとしたんじゃないかとも思いましたけど。まあ、旬のタレントということで 生田斗真 というのもわかる気がします。性的虐待 のシーンがあれば、まったく違う映画になったことでしょう。それがない以上、いくら能書きを垂れても これは駄作でしかありません。残念です。