ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

NEXT 月9に向けてサイゾー、アップ中。

佐々木希榮倉奈々 のような輝きを持ったタレントでも、どうにかして自分たちのいる場所まで引きずり降ろしたいと考える人はいるものです(上戸彩さんのお名前は泣きながら外させていただきました。お幸せに)。2ちゃんなどで書かれる文章については、匿名だからと全否定される場合も多いですが、サイゾーなどに出て来る証言も「映画制作関係者」などと、実体がわからないほとんど匿名と言っていいものが多いですよね? 


榮倉奈々が「カン違い女優」状態? 実力が伴う日はくるのか(メンズサイゾー
http://news.livedoor.com/article/detail/6973210/


上の文章には、わざわざ「木村拓哉が何をやっても“キムタク”なのと同じ」という言葉が登場しています。これ、サイゾーお得意の表現ですよね? でも、スターがスターとして存在してはいけないのでしょうか? 例えば、高倉健 がいつもの演技をして、それに対して違う演技をしろと言う人がいるでしょうか? 


木村拓哉 はテレビでコントなども演じているので、身近な存在と感じるのかもしれないですけど、実は大スターなんですよ。ファンも沢山いるわけですよ。「ファンが求めるものを」と、真っ先に考えるのは当然でしょう。そもそも実力とはスターより価値があるものなのでしょうか?


この文章を書いたライターさんは、例えば、文体についてはどう考えているのでしょう? いろんなライターさんがいて、自分自身の文体を持ってる方も多いですよね? そういう方々に「なにを書いてもいつもと同じ」と指摘することはありますか? 自分自身の文体を作り上げた方々にリスペクトはないですか?