ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

ビデオニュース無料放送『トランプ時代を生き抜くために』。

きのうはニコ生で、いつも選挙の後に放送されてる「言いたい事を言う生放送」が22:00から放送されてました。私が気づいたのはテレビで朝生が始まったくらい。東浩紀さんが生主にマジ切れして見せたあたりを観ましたw 大人の怖さを見せてましたよ。ひろゆきが爆笑してました。いま、タイムシフトで最初から観たら、津田大介さんがフジテレビからAbemaTVに出るなと言われた話、東さんがめちゃ食いついてて面白過ぎww ドワンゴ夏野剛さんはあんなに予算かけてたら続かないと言われてました。なるほどー 


◉年越しの瞬間まで言いたい事を言う生放送(ニコ生)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv282060896


さらに、逃げ恥のバカバカしさ解説から、なぜか東さんが『冬ソナ』の聖地巡礼をした話へw 津田さんキレキレ。『バイキング』高畑の事件で視聴率2%アップ。なのでひと月毎日やってた。視聴者もゲス。ひろゆきNHKで放送した宮崎駿のドキュメンタリーで川上社長が怒こられてたの、どうしてニコ生のドキュメンタリーじゃなかったのかと怒る。自分はYoutubeだろうとNHKだろうとBBCだろうと、いつか勝てると思ってニコ動やってた。若者はニコ動観てたから。でも、あれでNHKBBCの方が偉いと認めてしまったと語る。



年末恒例マル激ライブ 「トランプ時代を生き抜くために」がYoutubeで無料放送されています。リベラルの抱える深い問題について宮台真司さんが語られた箇所を文字化しておきます。




宮台真司:1971年にジョン・ロールズがオン・ザ・セオリー・オブ・ジャスティス『正義論』という本を書きます。そこで言ってることは「俺がお前でも耐えられるのか? お前が俺でも耐えられるのか?」。その入れ替え可能性を想像して、「もし、お前が俺であった時に耐えられないのであれば、俺をこのような目にあわすな」というふうに制度の変更を求めるというのが、リベラルの基本なんだという図式を出したんですね。わかりますよね?「お前が俺でも耐えられるの? 耐えられないんだったら、俺をこういう目にあわせるなよ」正統な主張だよね。
しかし、みなさんも『白熱教室』でご存知、マイケル・サンデル、あるいはマッキンタイアーという人たちがね、こういうことを言い出したんだ。ちょっと、抽象的に言いますよ。ロールズが言っているのは、基本的にはこういうことだ。当時、善悪と正義、あるいは良心と正義の対立、これをロールズは持ち出したんです。善悪は人それぞれに観念が違うが、観念がそれぞれ違う人間が社会に共生するための作法としてのリベラル、つまりジャスティスやフェアネス。これを求める気持ちはみんなにある。要するに、善悪は人それぞれだけども、正義は誰もが要求しているし、誰もが合意できると考えたんですね。
で、マイケル・サンデルたちは、「誰もがって誰だよ?」って聞いたんです。で、ずっと論争が起こったんです。これは「リベラル・コミュニタリアン論争」と言われます。そして、93年に完全に決着しました。マイケル・サンデル、マッキンタイアーたちが勝ったんですね。どうしてかと言うと、ジョン・ロールズが認めたんです。「誰でもと言ったけど、国民国家のことだった」と。アメリカ国民の中だけ。日本人の中だけ。同じ日本人同士で、アメリカ人同士で、「お前でも耐えられるのか?」。しかし、同じ日本人、同じアメリカ人というだけで、相当な下駄を履いてるよね。そこでこのコミュニタリアンたちは、「リベラリズムはしょせんコミュニタリアニズムに過ぎない」って言ったんです。正しいでしょ? 
で、そこから先は僕の認識で言うと、リベラリズムは普遍主義的な意味で、ユニバーサルなリベラリズムはなくなったんです。そこでジョン・ロールズ自身も、重なり合う合意という言い方をするようになった。それを僕の言い方で言うと、これも鈴木邦男さんのおっしゃっていたことに近い。鈴木さんの右翼国際主義という言葉があります。つまり、いろんなところにコミューンがあって、それを尊重するコミューナリズムがありますね。コミューナリズムがいろんなところに存在し、それぞれが共生できるように、プラットフォームを調整していくと。コミューナルな物がお互いコンヴィヴィアルできるような つまり、個人の共生ではなくて、コミューナルな物、コミューンの共生をめぐる作法へと転じると。
つまり、僕の言葉で言うと、コミューナルな物とコスモポリタンな物との両立と、課題が変わったんですね。90年代に。今日でも・・・・・
(中略)


神保:それはあれですか? 今までのリベラル的スタンスで観た時に、「こりゃひでえーな」って思うことをいっぱい観るじゃないですか? 森嘉朗がいまだにオリンピック界隈で、あれだけの不祥事起きても普通に我が物顔で発言している様子とかね。二階幹事長が意味不明なことを言っておきながら、自分の地元の土建業をしっかり押さえてるとこ観たときに、バッサリ切るんじゃなくて、もしかしたらそこには何らかの理があるかもしれないぞとか、そんな話?
宮台:いや、理はないと思うけれども、少なくとも対抗する、あるいは対抗のロジックを組織する為にも、単に許せないと言ってるだけではダメで。基本的にはネットワークの力です。彼らの力はね個人の力ではない。森嘉朗が酷いのではなくて。そういう想像力を働かして欲しいんです。霞ヶ関がしぶといのは、あるいはなんとか界隈がしぶといのかはどうしてかと言うと、ネットワークの力なんですね。どうして、金融業でユダヤが強いのかって、ネットワークの力なんで。どっかに悪の大ボスがいて陰謀を張り巡らせてるなんて被害妄想はそろそろやめて、自分たちも力のあるネットワークをつくって行くべきなんです。単なる利害損得で結びついてですね、自分の承認感覚を得たいために意識高い系ごっこをして、いざとなれば雲散霧消してしまう。そろそろそういう関係性はそろそろやめた方がいいね。