ゲンロン批評再生塾、第5回の課題「アニメ『この世界の片隅に』を“批判”せよ」結果が発表されました。また3位入賞できませんでした。残念です。でも今回は結構手応えあったんですよ。初めて批評文っぽいものを書けた気がします。以下のリンク先でベトナム国旗のが私です。正直、批判したいとは少しも思っていませんでした。素晴らしい映画だといまでも思っています。でも批判が書けたんです。驚きました。
◉「アニメ『この世界の片隅に』を“批判”せよ」講師:斎藤環
http://school.genron.co.jp/works/critics/2017/subjects/5/
『(前略)以上のように本作については、「賞賛以外の批評」がほとんど存在しない。これまでになされた数少ない批判は、単なる誤読、偏見、政治的な無知によるものばかりである。確かに本作は圧倒的に素晴らしい。その存在自体を奇跡と呼んで差し支えない。しかしそれでも、これほどまでにまともな批判が不足している状況は健全とは言えない。それは批評の敗北である。この状況に一石を投ずるためにも、塾生の皆さんには、その研ぎ澄まされた舌鋒で、本作に一太刀なりとも鋭い批判を浴びせてほしい。たとえあなたが本作を心底愛していても問題はない。あなたが真の批評家ならば、おのれの命を捧げても良いと思える作品にすら、いくつもの瑕疵を指摘できるはずなのだから。予め断っておくが、その作業は困難をきわめるだろう。凡庸な批判は絶対的片隅信者たるこの私が作品の門前に立ちはだかり、ことごとくはねのけ打ち返すからだ。知略をめぐらせ、時に狡知を振り絞り、語彙とレトリックの限りを尽くして、この私を一瞬なりとも絶句せしめるような批評的挑戦を心待ちにしている』
第3回の渡部直己さんの課題を書いたとき、世話役の横山さんから「引用がスマートじゃない。テーマが決まったらその内容に必要な箇所だけをすっと抜き出す」と言われてました。今回はそれが出来た気がします。だけど、そこからどうしていいかわからなかった。今回下読み委員の方々からコメントをもらっているので、それを読んでみましょう。
『監督が泣く泣く削った的な発言をしている箇所を批判点として挙げても、やはり弱い。ここを批判として挙げるのなら相当独自の切り口でないと厳しく、その域には到達できていないか。可能性があるとしたらリンがすずの成長のトリガーになっているという視点なので、ここからさらにひねりや深化が欲しいところ。例えばそのカットされたシーンを「人が死んだら記憶も消えて無うなる 秘密は無かったことになる」というセリフから(まさにリンの「秘密」は「消えて」「無かったことにな」ったのだから)考えてみる、とかするだけでもだいぶ変わるはず。』
丁寧に読んでもらえて感謝しています。しかし「監督が泣く泣く削った的な発言をしている箇所を批判点として挙げても、やはり弱い」という批判はどうなのか? それを言うなら、好きな映画を泣く泣く批判した私の身にもなってほしい。ここで書いたのは、カットしたことへの批判ではなくて、それによって原作者のメッセージが改変されたことを批判しているわけです。もちろん、監督が原作と違うメッセージを打ち出したかったのであれば話は別ですが。たぶん、絵コンテでカットした時点では気づいてなかったのだと思う。
「ヒロインの成長に戦争は必要であるか?」という問いかけは、まっとうなものだと思います。誰が書いたコメントかはわからないですけど、メッセージが改変されたという私の主張に対して反論できるのであれば教えてほしい。私の文章がダメなのはそこではないでしょう。わかりやすさを求めて橋下徹の発言を引用したことじゃないですか? であるなら、その箇所を削除して、削除して、うーん・・・ここからどうやって深めて行くかが難しい。わからない。
そんな私にイビチャ・オシムさんの言葉を。レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は選手に『走って、走って、走れ』と言っている。そしてゲンロン批評再生塾は『本読んで、本読んで、本を読め』と私に言っている。それしかないか。