ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

アイドル舐めてんじゃねーぞ。

批評再生塾の土居伸彰さん講師回の課題がどうしても素通りできない内容だったので、挑戦してみました。課題の全文はリンク先でご覧ください。「なんでライブの音響がそんなに気になるか?」についてずっと考えてるんです。解答は簡単に出ませんが、この課題は糸口になると考えました。


ポップカルチャー的事象があなたを集団化し、再び孤独化する可能性をもった瞬間について(もしくはその瞬間をベースにした批評を)書いてください。(講師:土居伸彰)
http://school.genron.co.jp/works/critics/2018/subjects/05/
『(前略)改めて課題をまとめます。ポップカルチャー的事象との遭遇によって、あなたには何が見えてしまったのか、それを今回の課題では文章化してください。その事象が何を見せてくれたのか、だけではなく。課題に取り組むにあたって、あなたの個人的なポップカルチャー体験をベタにそのまま書いてくれてもいいのですが、なるべく自分語りを排したかたちで書くことも試してみてほしいということです。「個人的な」瞬間を、あなただけに固有の固定的で限定された現象として記述することを試みる……それは間違いなく、あなたの特有の出来事であるにもかかわらず。この課題は巨大な対象・領域を自らに降ろす経験を目指すものです。なので、あなたの既知にすべてをおさめてしまわぬよう、心がけてほしいということです。そのために、あなたの経験でありつつあなただけの経験ではないものとして書いてみてください。おそらくそのためには、文体などの工夫も必要となってくるかもしれません。文章が読み手の脳裏に浮かばせるイメージそれ自体が重層的かつ流動的に(僕の本が書くところの「原形質的に」)混ざりあうような文体が必要になってくるかもしれません。僕にとっては、『個人的なハーモニー』という本がその実践でした。音楽体験とアニメーション体験が混ざり合うことで(異なるコミュニティの掛け合わせというのも今回の課題のひとつの取り組み方として有効かもしれません)、僕自身の姿は後景化され、自分だけのものではない瞬間として拓くことができました(…と僕は思っています…)。』



◉音楽はここではない場所を作ることができる。(脇田 敦)
ライブに出かけて行っては、音がいいだの悪いだの言ってる自分に疑問を感じることがある。アイドルのライブについてなら尚更だ。大人しく「〇〇ちゃんが可愛い!」と書いてればいいのに。こんなことになったのは1995年に行ったロンドンでの経験が影響してる。もう20年以上も前の話だ。そこで観たダイナソーJr.THE ROOTS のライブは今から思えばもの凄く影響を受けていることに気づく。今回は前者の経験について書くことにする。


当時はインターネットがなかったから、どうやって調べたんだろう? ロンドンに着いた日に地下鉄でブリクストン・アカデミーに行ったはず。昼だったけど、少し怖い雰囲気のある街だった。低音効きまくりのダブなんかが流れててドキドキした。映画の中に自分がいるみたいだった。その日の晩のライブはダイナソーJr. 1600円ほど。前年にでた彼らのアルバム『Without A Sound』は愛聴してた。そのアルバムの1曲目『feel the pain』は後にデヴィット・フィンチャーの映画の台詞としても使われる。


かなりビビりながら夜に再びブリクストンにきた。賑やかで昼間より怖くなかった。当時まだ日本にはなかったスタンディングをメインにした数千人規模の会場。ダイナソーJr. が出る前に聴いたことのない2つのバンドが登場した。1曲目を聴いただけで「凄いバンドを見つけた!」と思った。かなり興奮した。2曲目を聴いたら「なんてつまらないバンドなんだ」と思った。次のバンドが登場してまた思った。「凄いバンドを見つけた!」。しかし2曲目を聴いてまた思った。「なんてつまらないバンドなんだ」。


要するに、こういうことだ。音響の素晴らしさに私は感動していたのだ。あんなに輝いた音は日本で聴いたことがなかった。いや、この旅の中でも最高の音だったと思う。だが、この程度の体験はこれから起こることの前菜に過ぎなかった。ダイナソーJr. の登場を前に私はステージの方に近づいて行く。演奏が始まって驚いた。まったくなんの曲かわからない。メロディも歌詞もわからない。ただ音の洪水に頭まで浸かっているだけ。どうすればこんなことが可能なのか?


最初はそれでも音が鳴ってることはわかった。だがそれも数分だった気がする。それ以降は一瞬なのか1時間なのかもわからない。気付いたのは自分が死にそうだということだった。このままじゃヤバい。人混みを掻き分けて必死に外に向かった。ドリンクカウンターに行きコーラを注文した。カウンターにいた兄ちゃんが爆笑しながらなんか言ってる。わからない。わからないと首を横に振る。兄ちゃんもこれはヤバいと思ったらしい。大丈夫だから。大丈夫だからとジェスチャーで落ち着かせてくれた。程なくライブが終わったらしい。観客がいっぱい出てきた。


帰りの地下鉄でやっと気づき始めた。どうやら周りの人たちが吸っていたマリファナを吸い込んでしまったらしい。完全にぶっ飛んでいた。でも音に溺れた感覚だけは強烈に残っていた。CDを忠実に再現するのが素晴らしいライブだと思っていた私にとってこれは決定的な体験だった。こんなことを書くと、うるさいネット民に批判されるかもしれない。ただのドラッグ体験だろうと。しかしそんなことは問題ではない。もうそれを知る前に私は戻れないのだから。体験は起こってしまった。


辻調理師専門学校創始者辻静雄の伝記小説『美味礼賛』(海老沢泰久著)には、辻が本物のフランス料理を学ぶために、ひたすら本場のフランス料理をお腹の限界まで食べ続ける話が登場する。調理の方法ももちろん学んだだろうが、もっと重要なのは舌でその味を覚えることだった。


ロンドンの体験以降、ライブの音が気になるようになった。例えば、1998年のSPEEDの東京ドーム公演だ。2階席で観た私たちの所には、曲の原形をとどめていない波長のようなものが熱風のように押し寄せていた。もし、私にロンドンでの経験がなかったら、ドームのライブなんてそういうものなんだろうと諦めたはずだ。しかし、そうは思えなかった。アイドル舐めてんじゃねーぞ。もっといい音で聴かせろ! 無理ならそんな席は売るな。


このブログで何回「音が悪かった」と書いたことか。アイドルのファンは音なんか気にしてない。そんなコンセンサスがあった気がする。しかし今は違う。例えば今年の2月に観た Maison Book Girl のライブ。これは sora tob sakana中野サンプラザで開催したイベント『天体の音楽会』でのこと。バンドセットでやった sora tob sakana も強烈だったが、それよりもCD音源で歌った Maison Book Girl のステージが印象に残った。


中野サンプラザ全体を浸すサウンド。天井にあった小さなミラーボールはまるで水溶液の中にあるみたいに幻想的にキラメいていた。もちろんノードラッグだ。その会場にいた他のグループもその音を聴いたはず。そして体験は必ず音に現れる。sora tob sakana の新しいシングル『New Stranger』を聴けばはっきりとわかる。これまでにない立体感のあるサウンド。照井順政がプログラミングしたデザインされた音楽。これがライブでどのように響くのか楽しみにしてる。アイドルがしょぼい音でライブしてた時代はもう過去の話だ。