ハノイの日本人

アイドル、ジャニーズ、サッカーなど。

新書『音楽が聴けなくなる日』を読んだ。

 

 

昨日からまた隣の部屋から送られる異臭にやられて、今日はご飯つくって食べてるか、ベッドの上で『太田伯山』の動画を観るかしてました。深夜になって少し元気になり書いています。太田さんのトークをまとめて観るのは、昔『検索ちゃん』を観てたとき以来かな。これだけは弟と一緒に観てた気がする。大好きだった。Youtubeのおかげで久しぶりにお笑いブームが私の中に来てます。観てるのはカジサック、キングコング太田上田のように、数人で濃い話をしてる物だけですけど。

 

テレビはしょうもないスキャンダルでどんどんタレント失ってますよね。Youtubeに流出させるためにやってるみたい。ワイドショーやめたらいいのに。太田さんも、伯山さんも、弘中さんも、もっとめちゃくちゃ言って、テレビ出れなくなればいいかも。みんな Youtubeで待ってますから。でもテレビも完全になくなると寂しいから、この本を読むのはどうかな? クレイマーみたいな人たちをどう扱えばいいかも書いてあります。

 

2019年3月、電気グルーヴピエール瀧が薬物で逮捕され、その翌日からソニー・ミュージックが、電気グルーヴのすべての音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を発表。それを受けて、社会学者の永田夏来、音楽研究者のかがりはるきが、ソニーに対して撤回を求める署名活動を行った。そして、その経緯や、このような自粛がなぜ行われるか、さらに社会学者の宮台真司によって、このような自粛の背景であるクソ社会の解説、それに争うことの大切さが書かれたのが本書です。以下はあとがき の最後に書かれた文章です。

 

僕は原発そのものよりも「原発をやめられない社会」をやめようと呼び掛けてきました。この本も同じ。電気グルーヴ作品の販売・配信停止の措置そのものよりも「そうした措置をやめられない社会」をやめようと呼び掛けるものです。電気グルーヴに関心がなくても構いません。

この本を最後まで読んだみなさんなら、本書を指針にクズ(言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシン)になる人間や、クソになる(社会の外を消去する)社会に抗って、仲間と生き抜くことができるでしょう。もう怯えずに、好きなものを好きだと言えるようになるはずです。

 

宮台さんが「クズ」と呼ぶ対象は、「言葉の自動機械」「法の奴隷」「損得マシン」と説明されています。例えば「言葉の自動機械」は、ソニーが謝罪で使った「この事態を厳粛に受け止め」のように、思考停止状態で発せられる言葉に象徴されます。ソニーは社会的悪影響を考えて問題作品の回収をしたと言うのですが、それは学術的に否定されていると説明します。ここでは1968年にアメリカで行われたポルノ規制の是非を検討する諮問委員会が例にあげられており、結果だけを書くと、「ポルノが成人に害があるとは言えない」との結論が学術的に導かれています。そして、その議論をベースに今日に至る表現規制の枠組みが確立されているのです。

 

「問題表現」とは、性表現や、暴力表現や。犯罪者を描いた表現や、犯罪者による表現です。こうした表現に不快感を覚える人間もいるでしょう。しかし、人々の感じ方は多様なので、不快感を覚える一部の人間に応えて表現を規制することには、なんの公共性もありません。

加えて、暴力表現や性表現を抜きには踏み込めない公共的表現があります。

 

一方で、「見たくないものを見ないで済ませたい」という権利の擁護も大切です。そこではプリアナウンスによるゾーニングが重要だと書かれています。それはこの映画には暴力表現が含まれますという事前告知のようにです。もう一つまとめの文章を抜粋しておきます。

 

第一節で、宗教や文化は社会よりも大きいこと、表現も同じく言葉や法よりも大きいことを話しました。人間は言葉や法に収まらない存在です。言外や法外を表出することが芸能の起源で、それがアートに受け継がれたことを、人類学的・歴史学的な観点から述べました。

 

表現は法よりも大きいのです。法は1万年前から順次始まった定住社会と共に誕生しました。収穫物の配分・保全・継承のために、所有と共に法ができたのです。定住社会は部族よりずっと大きい。部族仲間よりも大きな範囲を法共同体だとすることは不自然でした。だから定住社会は定期的に祭りをし、歌や踊りの「法外のシンクロ」を通じて部族仲間を確認し、法共同体を擬似仲間として構築しました。これが芸能とアートの共通ルーツだと書かれています。法は絶対ではないのです。法の奴隷にならないでください。もっともっといろんなことが書かれています。ぜひ読んでください。くだらないスキャンダルでミュージシャンや芸能人が袋叩きにあうとき、この本を参照することで、そのばかばかしさに気付けると思います。ちなみに、電気グルーヴの作品は本書の発売後に再び聴けるようになっています。